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リアル70年代〜洋楽女子の話③ブラック系のスリーディグリーズ、グロリア…


なんだかんだで、音楽とは腐れ縁なのかもなぁ、と。
母の私の音楽好きが災いしたのか、子供2人がポップスの作曲家と、クラッシック演奏家を目指すようになったのか?…とちょっと後悔?もなくは無いけど。

63年の早生まれで、70年代半ばから音楽は生きることを助けてくれたけど、私としては黒歴史(?)もある…。
今回は③、ブラック系音楽好きの入り口の話。

ブラック系の入り口
KCとマッコイ


ウエストコースト系を沢山聴きながら、私はブラック系の音楽も好きになり、日本のラジオでは、多くはオンエアはされなかったけど、良いなぁとなっていき。

75年だとソウル、ディスコ系の音楽で、KC &ザサンシャインバンドの
『That's the Way (I Like It)』はカッコいい!ってなった。ボーカル他、白人がいたバンドでしたが。
他の曲はあまりハマらなかったけど、高校生まで、色々流行った曲もあったし、ラジオでも比較的流れたかな。ディスコでも流れてましたよ、長く。

ホーンセクションがカッコいい、ってブラックミュージックに多い感じは、この曲もそう。
今も、映画やドラマなどで流れてたりするので、時々聴くと「懐かしい!」とはなりますね〜。


同じ頃、ヴァン・マッコイの、
『The Hustle』も聞いてたなぁ。
オーケストラサウンドで、ノリノリの感じではないし、イージーリスニング的ダンスミュージックみたいな感じで。

この頃、ビルボードなんかのメジャーでもヒットしたブラック系音楽は、オーケストレーションと、ホーンを上手く使った曲がウケてた感触はある。
後に古いブルースや、JAZZを聴いたけど、そこら辺が一番の違いかも?

そして、翌年に映画「サタデーナイトフィーバー」(ベイ・シティ・ローラーズの曲とは違う、ジョン・トラボルタのやつ。笑)で、世界でディスコブームが起こって、こうした一般ウケするブラックミュージックが広まったのかなぁ…と。 

グロリア・ゲイナー

グロリア・ゲイナーは
『I Will Survive』は(邦題恋のサバイバル)が有名だけど、
『Never Can Say Goodbye』が彼女が歌った曲で一番好き。
ジャクソン・ファイブバージョンより、明るいアレンジも良くて。あのオーケストラ、ホーンの感じは、昔を感じるサウンドだけど好きですね〜。
何よりリズム隊が良い。ベースやドラム以外に、何が鳴ってるのかはわからないけど、リズムキープしながら気持ち良くなる感じ。リズムギターは音色も好き。ノリも良いし、今も踊りたくなる。

で、今年の2月に彼女の半生を描いた、ドキュメンタリー映画が公開されたようで、嬉しい限り。
早く日本でも、配信でいいので観てみたいなぁ。

ザ・スリー・ディグリーズ

ザ・スリー・ディグリーズは、
『Soul Train』も良いけど
『When Will I See You Again』(邦題天使のささやき)の優しいサウンドが好きだった。ほっこりする感じで。オーケストレーションがやっぱり凄いなと。ずっと主張し過ぎずに流れてる感じで。
フィリーソウルなる言葉は当時の私は知らなかったけど、「なんか他とちょっと違う」は感じた。

そして、聴いた記憶はなかったけど、この曲日本語盤が制作されていたんですよね。元曲がオリコンの洋楽チャートで1位になったから、彼女らは日本ウケするって考えたのか?実際は本国で次回作が遅れてるので、日本の制作陣が動いたようだけど。
日本語の歌詞を彼女らが歌っていて、バックの演奏はアメリカ盤を使った感じ。ミックスはちょっと違うのかなぁ。多分ボーカルがアメリカ盤より大きめか?バックを控えめにした感じ。

そう言えば、彼女らが『苦い涙』を歌ってるのは観たし、聴いてるので、一緒に聴いてたのかも?私の記憶に残ってるのは『苦い涙』で、東京スカ・パラダイス・オーケストラのカバーを聴いて、聴き覚えがあったし。
作曲は筒美京平、作詞は安井かずみだから、日本語前提で作られた曲で、「和田アキ子が歌ってそうな曲」って思った記憶も。この曲は好きだったなぁ。彼女ららしい感じで。発音がイマイチな部分はあるけど。
勝手な想像だけど、「スリー・ディグリーズに曲が書ける!」ってなって、関係者は色めいたハズ。そりゃ上手いしね、歌が。本場の人だし。1ドル200円以上で、限られた人しかアメリカなんかに行けない時代だったから。
頑張ってアレンジした感じもあるし。よく聴いてみると、かなり工夫はしたんだろうなぁ、ってなる。ちょっとやり過ぎ?感もあるけど、黒人のノリに近づけようとしてるのもわかる。歌謡曲ともフォークとも違う音楽を作れる人が、日本にもちゃんといたんだなぁ、とはなります。

日本語で歌うこと

今の世界で聞かれてる音楽は、ポップスもクラッシックも元来日本語じゃない、外国語(イタリア語とかドイツ語とか)を話す人達が作ったルールで出来上がってるので、「日本語を音に載せるのって、やっぱり大変やなぁ」感は、まだ凄く感じる。これも『天使のささやき」より『苦い涙』はしっくり来てるし。

同じ時期に、クイーンが『手を取り合って』を一部日本語で歌ってるけど、やっぱりサビは、最初から日本語を載せる、日本語の歌詞ありきで作られた曲だからか、心に沁みるのかも?私なんか、聴くと割とウルウルきちゃう。年齢のせいかも?だけど。笑
クイーンは好きだし(⑤で詳しく)洋楽を聴き始めた頃からのお馴染みさん。好きな曲は沢山あるけど、日本人だからかはわからないけど、エモーショナルになる、いわゆるエモい曲なんだよね。
ちょっと讃美歌風でもある。前半の暗い調子の部分はクイーンらしいメロディーだけど、サビは明るさを希望を感じさせる感じになってるからかも?

外タレと日本での
プロモーション


当時は日本で人気になると、ハッピ姿をさせられたり、着物を着させられたり、海外アーティストもプロモーションのために色々やってました。今、ビヨンセはそんなことしないよね。笑
スリーディグリーズが、日本語盤の曲をレコーディングしたのも、そうした一環かも?もちろん、売り上げは期待されてただろうけど。

スージー・クワトロなんか、ハードでロックなイメージが売りだったのに、何故か日本で文金高島田で、紋付き袴姿の旦那さんと、結婚式まで挙げてたり。(プロモーターの提案だったとか)日本酒のCMにも出てた。
時代は後だけど、デビット・ボウイもお酒で、大好きなジャミロクワイもカップヌードルのCMに出てた。しかも替え歌だし。「カップヌードルが良いよ!他のは…」って歌詞は「ちょっと大丈夫?イメージ」ってなりましたが。(CM考えた人、日清食品は凄い!とはなりましたが)外タレさんが日本のCMに沢山出てた時期がありましたね。
「世界の果ての日本だと、多少何やってもイメージに関係ないから大丈夫!」って感じはあったのかも。
プライベートで日本びいきになって来るだけでなく、色々イベントをやったり、当時の外タレと呼ばれるアーティストさんたちは、それなりに大変だよなぁ…と中学生ながらに感じてはいたかなぁ。

脱線したけどブラックミュージック系音楽では、外せない人がいますよね。
70、80年代は無双してた人たちがいるから。
スティービー・ワンダー、アース・ウィンド&ファイヤー、マイケル・ジャクソンなんだけど、それはまた後日。

ジャクソン・ファイブ
よりフィンガー5?

ジャクソン・ファイブは、私が洋楽をラジオを聴き始めた75年に、名前もジャクソンズに変わって、ちょっと停滞気味の時期で、オンタイムではあまり耳にする機会がなかったかなぁ。
以前の曲はラジオでまだ流れていて、聴いてはいたけど、正直、私の年代の認識では、ジャクソン5より、フィンガー5のほうに親しみがあって。笑

私が小学生だった頃、フィンガー5は小学生には圧倒的に支持されてました。後にジャクソン5を意識して、フィンガー5にしたのを知っても、反対に「ジャクソン5は、フィンガー5と同じような、お子様向けのグループ」的に見えてしまっていて。
日本では映像も見られないし、動くフィンガー5に肩入れしちゃう。『個人授業』は良かったしね。いわゆる歌謡曲っぽくなく、カッコ良かった。

音楽性含めて、色々違うグループなのは理解してても、ジャクソン5が本物志向のグループに見えてなかったのと、爆発的に売れていた時期には、まだ聴いてなかったことで、軽くみていたと言うか…。かなり申し訳ない感じ。

が、初の黒人アイドルグループとして、認知度も人気も出たことが、やっぱり後のマイケル・ジャクソンや、ジャネット・ジャクソンの成功に繋がったのかなぁ、とはなる。
アメリカの時代背景的にも、60年代はまだ公民権運動の時代。70年代に入っても、チャートは白人のポップスがメインの時代に、他のモータウンアーティストたちと一緒に、黒人の作る音楽に耳を傾けるきっかけを作った人たちだし。何より聴いて楽しいのが、一番良かったところかなぁ。

『ABC 』、『I'll Be There』なんかは大好き。考えたら、マイケルは私とは5歳ぐらいしか離れてないけど、私が産まれた頃にはお兄さんたちはもう活動を始めてるし、ジャクソン5は。
一番好きなのは、やっぱり
『I Want You Back』かなぁ。
一時期、携帯の着メロにしてたぐらい。
早く出ないと!ってなる。笑
楽しく、ファンキーさもあって。
動画を観ると、楽しげに歌うマイケルが、好き❤️ってなる。その後、楽しさより、悲しげに見える姿を見てたから余計かも?

お兄ちゃんたちの歌も上手いよね〜。普通の水準で考えたら。
兄弟の中に、何百年に一人のレベルの天才がいなければ、一族の誉れになれたような才能の人たち。
歌が上手いだけでなく、ダンスも上手くて、曲も書けるし、顔も可愛い。色々持ちすぎる人だったよね。マイケルは。

アベレージホワイトバンド

時期は少し後になるけど、アベレージホワイトバンド、割りと好きで聞いてましたね。(ホワイトだから、ブラック系じゃないかも?だけど、曲はブラックだと思ってた)
75年にアメリカでヒットした
『Pick Up the Pieces』は、すぐに日本ではあまりラジオ等では流れなかった記憶が。(違ってたらごめんなさい)
まあファンク系は好きだし、曲が良かったのと、バンド名が面白いなぁってので聞いてみて。
「アベレージ?ホワイト?ってなんの平均?」となったけど、レコード買わないと調べられない世の中だったから、深追いせずに、ただ気に入ってた感じで聴いてた。インストはこのあたりから聞き始めたかなぁ。 


このレコードのジャケ、好きなんですけど。当時はジャケットで、選んで賭けに出て買う…みたいなのもありましたね。失敗することもあるけど。笑
70、80年代はジャケが素敵だったし、デザイナーさんもめちゃくちゃ頑張ってた。良いジャケ探しはこの時代の楽しみ方の一つですね。

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