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リクエスト企画?スティービーの初期アルバム未収録シングル、リアル70年代〜洋楽女子話55


去年10月あたりから、続けて紹介した、スティービー・ワンダーのアルバム。
わざわざ体力とお金削って、デトロイトまで、ライブに行くんだし。
筋金は入ってないけど、竹ひごと、年季だけは入ってるファンだし。笑

で、今週も「スティービーの初期アルバム」の記事が、映画のジャンルで特に好き❤️をいただいようで。
確かに、スティービーワンダーが出た映画の関連アルバムだから、映画のタグを付けたけど。笑
どこで何が、見て貰えてるかサッパリわかりません。笑
そして、さっきは別の「想い出の曲」のコングラボードもいただき、本当にありがとうございます。
皆さまのおかげです。
ありがとうございます。🙏

が、スティービーの初期のアルバムは、ちょっと追記をしたので。
内容はこちらにも、書いてるから、読んでいただければ、わかりますが。笑

曲はファーストシングル
『I Call It Pretty Music, But the Old』

リクエストをいただき

今回ニック・デカロがカバーした、スティービーの古めの曲を気に入って下さった、noteのお仲間のSky Blueさんが、他に何か良い曲があったらって、私ごときに聞いて下さり。
そのアーティストの話。素敵な元祖AORの隠れた名盤を紹介されてます。↓

彼はゴテゴテしたブラック系の雰囲気は苦手、洗練されたブラック音楽は好きって方で。笑
控えめでシンプル目な、バラード系中心に、何曲か紹介してみようかと、始まったシリーズ。

スティービーワンダー祭り再び

が、いつの間かスティービーの60年代半ば、年齢が15歳以降の古いアルバムのまとめ的な、内容になってきて。笑
この際だし、しばらくまたスティービーワンダー祭りを開催します。
飽きないで下さいね。お願いします。笑
有名な初期の、他の曲はこちらに。

シングルはどんな曲だったか?

で、上の記事に私が選んだ曲は、この時期はほぼヒット曲しか入れてなくて。
おまけに、基本的にはスティービーもそれ以降、オリジナルアルバム中心で、聴いて来たけど。
ふとシングルの一覧を見てみたら、聴いたことはあるけどよく知らない、オリジナルアルバムに未収録の曲もあり。
そして、スティービーがヒットも出したのに、好きに曲を作らせてくれない不満を持った話から、彼が共作してたシングル曲を、探してみようかと。

初期アルバムの制作順は違った

アルバムの記事にも追記したけど、実は英語の記事を見たら、制作順はリリース順ではなくて。
オーディション合格後、社長はライター兼プロデューサーの、クラレンス・ポールにスティービーを預けた形になり。
おそらく自分では、面倒をみ切れ無いし、相性も良さそうだと考えたのかは、わからないけど。
主に男性グループやアーティストの曲を書いてたから、男だから彼にしたのかも?
で、デビュー前の11歳、2歳の時期に、2人でアルバムを作り。
順番はリリースと反対で、『レイ・チャールズに捧ぐ』が最初。おそらくあの声は11歳か12歳頭の時期だった可能性が高いかも?
次にインストアルバム、あのハーモニカ曲が入ってる『Jazz Soul』アルバムを制作したらしい。
この時期以降も、クラレンスと組んだ作品も多めなのは、彼らは師弟関係。
初期はほぼプロデューサーには、クラレンスの名前がある。共同だったりするけど。この時期のモータウンは、プロデューサーが複数付くのは、当たり前にあったし。
例のビーチのアルバムを除いて。笑
音楽の師匠を、持って来なかったスティービーには、影響はかなりあるし、人間的な相性も悪くなかったかと。

62年デビューの年


1、『I Call It Pretty Music, But the Old People Call It the Blues」
曲はこの時期に作ったか、詳しく書いてなくて不明だけど、世の中に出した曲としては初。
シングル発売だけの曲。かなり後のコンプリートアルバムには収録。
日本では同時期のシングルは、68年までは発売されなかった。
アメリカのシングルを持っている人、ラジオでたまたま聴いたとかでないと、ずっと聴けない状態が続いてた曲。
今はアナログのEP?で、4曲入りも再発売されたり、Spotifyにもある。
B面は同じ曲を、テンポをスローにしたブルース色強めのアレンジが収録。
作詞作曲は社長のゴーディーと、預けてた、作家のクラレンス・ポール。
曲の感じは、同じ時期に制作した、インストアルバムの『Jazz Soul』と、次のアルバムのレイ・チャールズを歌った感じをミックスしたサウンドやアレンジで、ブラックダンスミュージック系統の曲。
歌もあるけど、ハーモニカも多め。
ビルボードは、惜しい101位。笑
曲には、オルガンなんかも入ってる。
実際に歌、ハーモニカ、ドラム、パーカッション、(ベースはシンセがまだ出てない時期だから、どこまで出来たか不明だけど)を全部本人に演奏させて、「奇跡のマルチプレイヤー爆誕!」とかの方向で売り出すとか?笑
単なる、素人の勝手な意見だけど。お馬鹿にもほどがあるけど。笑
この曲でも、かなりハーモニカを吹く部分は多いから、社長はかなりハーモニカはお気に入りだったにせよ。

勝手に妄想プロモーション戦略

当時はマルチプレイヤーは、今より少なかったし、ピアノも弾けたし、ドラムは叩ける。ハーモニカは超一流。
映像化は難しい時代だけど、シングルのB面は歌とドラムだけ、歌とピアノだけ、ハーモニカとドラム、オルガンとドラムだけ、パーカッションと歌とか、1曲分を繋いだのを作るとか?お馬鹿過ぎるか?笑
例えば、1人で演奏を全部やることで、10年ぐらい前にYouTubeでブレイクした、ジェイコブ・コリアー。
動画のほうがわかりやすいから、彼は時代に合ってて良かったけど。ちなみに映像だとこんな感じ。

色んな楽器が出来る方向を、もっとアピールしても良かったかも?はある。
おまけに、それがほぼ目が見えない12歳だし。考えたら、キャッチーな部分はたくさん。
レコードを聴いて本当に、楽器が全部出来るのか、ライブも観に行く人が増えそうなんだけど。笑
ライブの構成は、狭い場所を歩き回るのは難しいから、工夫はかなり必要だろうけど。
司会者に話で繋がせるとか、方法はありそう。笑
実際に後のライブを収録した時も、ドラムに移動する間に、司会者が話したりしてるのが、レコードになってるし。

2、『Little Water Boy』
デジタルコンプリート盤に収録。これも同じ時期で、スティービーが作曲者のクラレンス・ポールと掛け合い?で歌ってて。
スティービーも、楽しそうに歌ってる感じはするし、クラレンスも良い声で、歌う雰囲気も良い感じ。
お嫌いな方は嫌いかも?だけど。
男2人のデュエットって、実はあまりヒットしない感じはしなくもなく。笑
近所の子供と、叔父さんのやり取りな雰囲気。30歳過ぎと12歳だから。
曲の感じは、モータウンサウンドでもなく、JAZZっぽいけど、ノレるブラックダンスミュージックかなぁ。
クラレンスは、あまり情報が出て来なくて。先に書いたように、スティービーには、叔父さん?的な存在であり、師匠でもある。
音楽制作だけでなく、作曲に役立つように、色々なスタンダードナンバーを教えたり、歌の指導や音楽の基本を教えた人でもあり。
また、音楽を離れても、実の父親がいないスティービーの父親代わりになって、面倒をみたとか。
50年代から活動し、ソウルでは重要だと言われてる、R&Bグループのザ・ファイヴ・ロイヤルズ。
このグループは、本名のボーリングで、実の兄ロウマンと、クラレンスなんかが始めたグループ。
50年代にはヒット曲も、重要な曲も出していて、後にジェームズ・ブラウンがカバーした、『Think』とか。
グループには、既にスタイルがあり、ソングライターとしては、ギタリストでもあった兄が書くのが、彼らの代名詞になっていて。
クラレンスが、グループを離れた時期や理由は、私は見つけられなかったけど、作曲家として活動を始めて。
理由はわからないけど、ドゥアップやブルースがベースの曲が多くて、クラレンスは新しい自分の、何か違う音楽をやりたくなったのか?
ライブツアーが嫌になったか?
単なる兄弟喧嘩なのか?
どうやら、兄のロウマンは、アルコール依存性と闘ってた記載もあるから、この時代から問題があり、離れたのか?
理由や経緯はわからないけど。
時期もハッキリはしないけど、作曲家として曲を書き、レーベルからリリースされたのが58年だから、その時期にはグループを離れていた可能性は高そう。
共作だけど、カバーも色々ある曲。
59年リリースの、ロイ・ハミルトンバージョン
『I Need Your Lovin'』

後のモータウングループの曲とは違う。
あっちが、めちゃくちゃヒットしたから、曲名だとあれを思い出すかも?だけど。笑
で、50年代の終わりにデトロイトに移住し、その後モータウンの所属作家に。
主にスティービーや、マーヴィン・ゲイ、テンプテーションズなんかに曲を書いたようで。
モータウンサウンドの代名詞のガールズグループじゃなく、主に男性向けの曲を書いてた様子。
本人も男性グループにいたし。グループだけど、兄はギター弾いて曲も作ったから、シンガーソングライターグループな部分もあり。
表舞台での経験もあり、作曲もするクラレンスに指導を任せて、前のデビュー曲も、社長と一緒に担当。
活動したグループは、元々はゴスペルで、世俗のR&Bに変わって名前も変えたグループだから、何となくいわゆるモータウンサウンドとは、サウンドやノリがちょっと違う感じはする。
この前には、もうアルバムの『レイ・チャールズに捧ぐ』を、録音している。
が、リリースはこの時期。アルバムからは、シングルカットは無し。
この曲は、そんな時期でもあり、ちょっとアルバムと雰囲気は似てるかなぁ。

B面もカッコいい曲

実はシングルのB面も、ライブ版にしか収録されていなくて。前のインストアルバムにも、他のオリジナルアルバムにも無い曲。
ちょっと声は出すけど、ドラムを叩くスティービー!社長もやっぱりマルチプレイヤーは、推しポイントだとは考えてたんだろうけど。笑
ドラムがカッコ良いんだけど、やっぱりリズム感が独特な感じはあって、ギタリストとか他の楽器の演奏と、合わない部分があるのは感じるかなぁ。笑
ライブでは最近は、ほぼ叩かなくなったから、生のドラム演奏は聴いてみたくはある。
そう言えば最初に始めた楽器は、クリスマスプレゼントに貰った、オモチャのドラムセットだから、最初はドラムから。
オモチャだし、本人がめちゃくちゃなテンポで叩きまくるから、年末にはボロボロになってたとか。笑
ピアノから始める人は多いけど、打楽器好きは何となくわかる。作ってる曲を聴いてた感想だけど。
ピアノも実際は、一種の打楽器だし。鍵盤を叩いたら、ハンマーが動いて弦を叩いて音が出る仕組みだし。
考えたら、私の好きなアーティストのタイプ、歌うドラマー、歌う鍵盤楽器奏者、歌うベース弾きの全部を兼ね備えてるから、そりゃハマって当然な感じは、自分で凄く納得する。笑

3、『Contract On Love』
コレは、何故かアルバムの『アップタイト』に収録。
アルバムで聴いたら、声に何だか違和感があったのは、12歳?ぐらいの時期の録音曲だったからか…って。笑
作家陣は変わって、ヒットメーカーチームの、ホランド、ドジャーに、ブランドフォードの3人の作品。プロデュースはホランド。
モータウンのガールズグループの匂いがする感じは、作家がそこを手掛けた人たちだったからだろうなぁ…で。
悪くはないけど、ヒットするか?な曲ではある。まだ、『Fingertips』の前の駆け出し時代。
曲頭のサウンドはもう、ダイアナ・ロスが歌わないと!な感じだし。
『愛はどこに行った』が始まるしか無い、刷り込みをされた私には、後で聴いたこの曲はそんな風に聴こえたなぁ。笑
が、曲のリリースはスティービー曲が先。2年早い62年。
より洗練した感じ?印象的になった、シュープリームスの曲は64年。
曲の頭から、全体のリズムを刻むのは、同じに近い。メロディーは全然違う。
シュープリームスのは、頭の感じが上手く曲に入っていて、仕上がりはかなり違うから、結果スティービー曲はランキング圏外、シュープリームスは、全米1位。笑
こんな感じでヒットしなかった曲の、サウンドやアイデアの使い回しなんかを、スティービーは見て体験して来たのか…もあり。

63年13歳でNo.1

翌63年に4枚目のシングル
4、『フィンガーチップス・パート2 』
アルバムは『12歳の天才』の頭に収録。パート1がB面に入って、全米No.1を、13歳で取ることに。
録音が12歳だけど、リリース時には13歳になってたから、ピルボード記録は13歳。未だに破られていない。
パート2をA面にした社長は、商売上手と言うか。マーケティング上手?
パート2の最後には、盛り上がって長くなったから、アンコール中なのに司会者が次の人を紹介してしまい。
次のグループのバンドも、出て来てしまい、「いったいどのキーで弾いたら良いの?」とか聞いてたりする声も入ってたり。
混乱したステージを生々しい感じでそのまま録音して出したのも、ちょっとウケたのかも?笑
パート2だけはここに。『メリーさんの羊』が出てきて、最後あたりに混乱してる様子が聞ける。
アドリブで、スティービーが♪good-by〜good-byeとか歌ってるし。笑

こんなにウケてるなら、どんな人なのか、聴いてみたくなる感じは、わかるけど。スティービー絡みは、色々と前代未聞なことがあったんだなぁって。笑
ちなみに、ライブはシカゴのお客さん。
曲はクラレンス・ポールとヘンリー・コスビーの作品。
ヘンリーは、ガールズグループから、男性グループまで、色々なメンバーに曲を提供。
モータウンのバックバンド、ファンクブラザーズの一員でもあったから、めちゃくちゃに、忙しかったのでは?担当はサックス。
しかし、この曲はどれだけの枚数のレコードになった?って感じ。
まずはファーストアルバム、次にライブ版のシングル、初期のベストアルバム、今回紹介したNo.1を取った曲を集めたアルバムにも。色々なアルバムに入ってる。笑

詳しくは、この記事に。アルバム1枚目から5枚目の時期。
このヒット以降、モータウンのツアーには欠かせない存在になり、あちこち巡業して、学校に通うのも難しくなり。
苦肉の策の、盲学校と家庭教師。
実は、盲学校はミシガンだけど、デトロイトからはかなり離れていて、距離的にも通うのが難しい場所で。
あまりちゃんは通えなかった様子。
でも、盲学校で音楽仲間が出来て、後には曲も共作したりは、彼には良かっただろうけど。
一般の人は、目が見えないことが、理解出来てない…みたいな発言もしてるから、同じ見えない世界をわかり、音楽好きな人と出会えたのは、やっぱり彼には福音だったのでは?

5、Workout Stevie, Workout
同じ63年リリース。コレもオリジナルアルバムでは、未収録作品。最初のベストアルバムには入ってる。
今は、EP?で、デビューシングルと一緒に4曲(2曲が2バージョン)で、アナログ盤もあるし、配信もある。
チャートは33位。普通だとまずまずの順位だけど、1位のあとはもうキープするか、下がるかしかないし。笑
作詞作曲は、『フィンガーチップス』と同じ、クラレンスとヘンリー・コスビー。
路線は、ノレるブラックダンスミュージック系。テンポはかなり早め。ハーモニカも多め。
悪くは無いし、コレはコレで好きだけど、後のスティービーらしさとは,かなり違う路線。
ガールズグループ含めて、当時のブラックミュージックは、バラードかダンス系の曲が多かったから、こんな感じになったのかも?で。
おそらく、この後か同時に次の、大人の雰囲気のJAZZアルバムをレコーディングして、発売した感じで。
さすがに、このJAZZアルバムからは、シングルカットは無し。プロデュースには、クラレンスも入ってるけど。
大人の曲が上手く歌えるって、世間に知らせたかったのかも?

14歳はビーチアルバムから

64年
6、『ひとりぼっちの浜辺』
アルバム『アット・ザ・ビーチ』からのシングルカット。ビルボードは52位。
曲は最初期の記事で紹介。
曲はモータウン作。後にジャクソン5の70年代の曲『I'll Be There』を書いた、ハル・デイビスとか4人クレジット。
何故かプロデュースにも、作家にも映画のプロデューサーの名前も入ってるから、歌詞とかサウンドの雰囲気は映画のプロデューサー案が入ったのかも?な曲。

7、『ヘイ・ハーモニカ・マン 』
同じアルバムから、もう1曲シングルカットした曲。ビルボードは最高29位。
曲はミュージカルや、ソフトカントリーロック系って表記のある、マーティー・クーパーと、グループ活動もしてたルー・ジョシーって人の作。2人もホワイト男性。
曲はアルバム紹介に入ってる。

8、『Happy Street』
これも同じアルバムから、シングルに。
映画で本人が演奏して、出演した場面で歌ってるけど、ヒットはせずに、ランキング圏外。
曲はミュージカル曲も多い、白人男性作曲家のジュール・スタイン作。
同じくアルバム紹介に曲あり。

やっと、リトル時代が終わった。笑
色々わからないこともあるので、また改訂する可能性はアリ。笑



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