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リアル70年代〜洋楽女子話㉘キャロル・キングPart1


母の私の音楽好きが災いしたのか、子供2人がポップスの作曲家と、クラッシック演奏家を目指すようになったのか?…とちょっと後悔?もなくは無いけど。

70年代半ばから音楽が生きることを助けてくれたけど、黒歴史(?)を抜けて、真面目に、洋楽にハマる。笑

私が聴いた年代順の感じなので、今回は、キャロル・キングのPart1。

色々幅が広過ぎて、間違い、見落としがあるかも?なので、ご助力いただければ、ありがたいです。笑

何故、この見出し画像なのかは、途中まで読めばわかります。笑

キャロル・キングは、もう既に大ブレイクしてたのが71年で、私が洋楽を聴くようになった頃には、彼女のアルバムは、あまり流れてはいなかった感じ。
でも、曲は他の人のバージョンで、多分色々聴いた人な感じで。笑
好きなタイプの曲を作る人だし、私ごときが、何か話すのも…な感じもあって、マーヴィン・ゲイとは違う理由で、筆が重くなる存在かも?

最初はもう小学生から
やられてた?

知らずに聴いた洋楽の中では、多分1番早いのが、このリトル・エヴァの
『The Loco-Motion」。62年リリース。彼女がキャロルたちの子供の、ベビー・シッターさんだったとは!な感じだけど。笑
いつ聴いたかは、ハッキリしないけど、多分中1〜2年には、聴いた気がするし、好きだった。
ドラムとベース、ホーンのイナタイ感じが好きで。甘さ控えめな感じが。

私が産まれる前には、伊東ゆかりもカバーしてたらしいけど、それは記憶にない。彼女の歌う洋楽カバーは、今ひとつノレなかった感じで。
キャロルも、後にセルフカバー。

で、コレは、そのまま、日本でもカバーされてましたよね?笑だけと。
73年発売の、ゴールデンハーフの曲。
作曲者が誰かも、ロクに観てない小学生だったけど。笑
海外の曲の日本語バージョンだったのは、理解はしてた。10歳とかだから、4年生か、5年生の時。この時には出会ってたんだ、キャロル・キング!ってなり。笑
キャロルも、日本語で歌うとか、多分歌詞もわからないだろうし、何それ?みたいな感じだったんかも?笑

当時、誰が作った曲かも知らずに、この曲が大好きで、ダンス?も覚えたいなぁ…ってなったぐらいで。
10年近く経ってからカバーだけど、テンポがちょっと早め、歌謡曲アレンジも入ってるけど、オリジナルの雰囲気はわりと踏襲したアレンジ。
10年分進化した感じではない。笑
奇しくも、同じ名前のエバちゃんが、大好きだった。ゴールデンハーフの中で。
シングル一覧見なくても、A面でテレビで流れてた曲は、海外のカバーなのは理解してたから、やっぱり私の洋楽の源泉は、もしかしたらゴールデンハーフだったかも?笑な感じ。

カバーで洋楽洗脳されてたか?


まあ、ゴールデンハーフは、もう色んなタイプの洋楽の曲をカバーしてて、笑えるぐらい。初期は全曲カバー。それが通じた時代でもあり、他に自作曲を作って貰えなかったのか?
『黄色いサクランボ』が、デビュー曲で70年だから、小2ぐらい。この曲も大好きだったけど、他の曲も今でも、歌えるぐらい好きだったわ〜。笑

範囲の広さは、真面目に凄い。笑
ドリス・デイから、ハリー・ベラフォンテ、イタリアのソフィア・ローレンから、サーフバンドの曲もカバー。
直前の曲もイタリアの人の
『2万4千のキッス』

このあたりの曲、実はやっぱり、親はあんまり良い顔をしてなかった感は、あるかなぁ。笑
キスとかね、「うっふん」とか言う歌詞とか。振り付けも気に入らなかったのかも?だけど。私は聴いたら、懐かしさでいっぱいなんだけど。笑
だから、自認してたより早くから、キャロル・キングとは出会ってたんだ〜とはなって。
「小学生時代から、好きだったとは!」は、まあまあの衝撃度。かなりずっと、全く知らなかったけど、笑
が、60年代、70年代は、日本じゃ他の歌手の人も、テレビで洋楽のカバー曲を歌ってた記憶がある、シナトラやプレスリーなんかは、本人の歌より先に聴いてたし。
後に、ORANGE RANGEが、盗作疑惑?は知ってたけど、相手がキャロル・キングで?ってなったけど。昔、この曲を聴いてた私なんかは、似てるけどなぁ…の感想だったけど。笑

まあ、曲の出だしと最後は部分は、似てるのは、リズム含めてある。タイトルも近いし。コードとかはそのままだったのか、詳しくは知らないけど。
メロディーの一部が同じってことで、結局カバー曲で、この曲もキャロルが作ったことになったってね。笑
それなりに、曲は良かったから、まさかのカバーだけど。

No.1ヒット曲でスタンダード

この曲の前に、既にビルボードのNo.1を、若いうちにとってるのも凄いなぁって。
『Will You Love Me Tomorrow』。

黒人ボーカルグループの、シュレルズが歌ってる。彼女らは、それまでにヒットも出てたし、曲が良くなかったら、若いライターの曲なんて、なかなか使って貰えないハズ。
私も、キャロルバージョンより先に、彼女らのバージョンを聴いた気がする。
ダスティン・スプリングフィールドのもあるし、この曲も、たくさんの人がカバーしてる。色々聴いた記憶もあるし、改めても聴いてみた。
ブライアン・フェリーが歌ってたのは、ちょっと意外だったかなぁ。
一覧にはなかった、デイブ・メイスンのバージョンは、よく聴いたかなぁ。
デイブ・メイスン。久しぶりに思い出した名前。笑
結構、まあまあ好きだったなぁ…の人。
詳しい歴なんか、全く知らずに、曲しか知らなかったけど。笑
78年にこの曲を出してるから、多分それで聴いた感じ。
リズムもある、バラードな感じで、彼の声も良き。

この後にキャロルが書いた曲は、62年に、クッキーズが出して、翌年にビートルズもカバーした。
『Chains』も彼女の曲とは、知らずに聴いてた。

大いなる勘違い笑

昔、日本のレコードのクレジットで、C・キングって、書いてあったのは、見かけた覚えがある。誰のかは、全く思い出せないんだけど。
海外アーティストのレコードは、名前がアルファベットだった気がするけど、日本語で日本人がカバーしたりのレコードとかだと、当時は海外の人の名前も、アルファベットじゃなく、カタカナとかになってたりした気がする。私だけ?笑
テレビの曲のテロップとかも。
で、お馬鹿な中学生だかは、勝手にかなり長いこと、C・キングさんって、男性だと思い込んでた。笑
キングって名前から、王様→男になったのか、自分でもよくわからないけど。
キャロルって書いてたのとは、違う人だと思ってて。
馬鹿だなぁ…ってなるけど、レコードそのものが、ほぼ無い状態だと、こんな勘違いも起こるってことで。笑
泣きそうなぐらいの、馬鹿だけど。笑
今は、能力がすっかり無くなったけど、人の名前や顔を覚えたり、推察能力は高かったんだけど。わりと。
まあ、こんなこと思ってたのは、多分世界で私だけ?だった可能性は高い。笑

高校生時代にデビューして、再び
彼女自身が歌って、シンガーとしてリリースした曲
『It Might as Well Rain Until September』。
こんなに美人でスタイルも良く、頭も良くて、曲も素晴らしいのに。男だと思ってて、本当に申し訳ない感じ。笑
が、この曲は昔は知らなかった。
アレンジ含めて、後の曲とはかなり違ってて、ちょっと昔の、コニー・フランシスとかの感じが匂う曲かも?

が、一時期までは、真面目にC・キングさんと、キャロル・キングさんが、2人いると思ってたし。笑
そんな勘違いをさせるぐらい、彼女のヒット曲、名曲の作曲能力が高かったってことで。笑
レオン・ラッセルも同じかも?だけど。人に提供しながら、自分もアーティストやってる人は、こんな色々な思い込まれ方を、されがちなのかも?笑。
が、黒人ガールズグループなんかに、60年代当時に曲を書いてた人の大半は、男性の時代だったし。
そのあたりから、思い込みが発生した感じはある。女性作曲家は、ほぼ聞いたことなかったような、そんな時期だった。
シンガーソングライターで女性は、ジョーン・バエズとかがいても、人に曲を書くような、職業作家で女性は思い浮かばなかったかなぁ…。
だから、より筆が重くなるのかも?笑

で、妄想ついでに打ち明けると、作詞してた旦那さんや、その後の旦那さんのことも知らなかったから、勝手に「もしかして、ジェームス・テイラーと付き合ってる?」って言うのも、思ってた。
なんだか、めちゃくちゃ仲良し感を、感じてたから。笑
こんな調子じゃ、あの名アルバムまで、なかなか到達しないな。笑
最初のダンナさんと、離婚するまでの時期に、めちゃくちゃに曲を書いてて、ヒットさせてるし。
時代も私が聴いたのと、10年ぐらい前だから、オンタイムでは聴いてない。
ドリフターズって、日本だとコメディアンだけど、彼らも昔はバンドやってたんだよね〜ってなるけど。笑
これも長くなるので、改めて。

60年代のヒットメーカーの顔


で、アメリカのブラックのグループの
ドリフターズの曲
『Up on the Roof』は、当時の黒人グループらしい感じの曲。
明るくて、ほっこりする感じの曲調。
良い声を聴かせるような、アレンジ。
コーラス入ってる?ぐらい、コーラスも控えめ。

この曲も、自身が、ファーストアルバムで、セルフカバーしてる。他にもカバーした人が、多数。
で、次の曲も何となく覚えはあるけど、ちゃんと聴いてなかった、女性ボーカルの人の曲。アール・ジーンの
『I'm into Something Good』

この曲は、何となくキャロル・キングな感じの曲。が、なんか歌い方が…な感じだから、自分で作った曲をキャロルが、自分で歌いたくなる感じは、何となくわかるかも?笑
で、同じころの、黒人ガールズグループのシフォンズの
『One Fine Day』

この曲は聴いてた。ラジオで流れてて、好きだった。コーラス含めて、60年代っぽいアレンジの曲。
もちろん、自身含めて、カバーした人はたくさんいる。
まだ、私が産まれたか?ぐらいの時期に、もうコレだけ色々作って、結果も出してて、って。
60年〜63年の3年間で、ビルボードのトップ40に、夫婦で20曲あまりをチャートインさせたってあるけど、真面目にその20曲を全部探して、聴いてみたい気がする。
ハッキリと、曲名が書いてないから、捜索が、また難航しそうだけど。笑
細かく知れば知るほど、凄さが増すような…。

で、ダスティ・スプリングフィールドが登場する。彼女には、アルバム曲で、この時期に2曲書いてて、この
『Goin' Back』は、その後のキャロル・キングを感じさせる曲。

後に、自身でセルフカバーもするし、たくさんカバーされた曲。
次の曲は、聴いて好きになった感じ。良いユルさのある感じの曲。
『Some of Your Lovin’』

何となく、私の好きなキャロル・キングの風味がある曲。
ブラック系グループの曲を、任されるぐらいだから、R &Bの雰囲気もある曲も良いかなぁって。

女性としての人生

で、高校生時代から自身の音楽活動はしてたけど、そっちは上手くいかず。
学校を飛び級したのか、17歳で大学生だったけど、いわゆる出来婚して、作詞や作曲やってたダンナさんと、2人で大学をやめて、翌年に出産。
42年生まれだから、ヒット曲を出し始めた年には、既に子持ちだった。笑
その後、次女を産んでるし。ヒット出しまくりの時期に。
仕事中は、ベビーシッターさんに任せきりだったにせよ、夜も子供は泣くし、手がかかる。次の子を妊娠中も、まあ睡眠浅くなったり、体調も大変。
時代も私より上の人だから、女性が仕事を続けるのが、より大変だった時代だし。リモートもない時代だしね。笑
で、事情はあったにせよ、68年には離婚して、子供2人引き取って。
色んな意味で、お母さんとしても、リスペクトする部分はある。
才能が溢れてる人だからこそ、「自分のためだけに、全部の時間を使えたら…」っては思うことも、あったのかなぁ…って。
結果、ソロアルバム1枚目が70年、あのアルバム『Tapestry』(邦題つづれおり)が、71年、もう1枚を同じ年に出してる。
その間にまた結婚して、71年にとかに娘、その後息子を出産って。笑なペースの活動量。
そこから83年ぐらいまでは、ほぼ1年に1枚ペースで、アルバムを出してて。
アルバム制作だけでも、毎年レベルは大変なのに、子育てと出産、夫と別れたりを何回もやってるのは、マジでパワフル。

彼女の人生なんて、中高生時代には、全く知らなかったけど、知るほどに、女性としても、凄いとしか言えない感じ。4回結婚も、まあまあだし。笑
男性は、何人も子供作ったり、結婚、離婚しながら、活動してる人はいるし、まあ身体にはダメージは無いしね。心は知らないけど。笑
前に書いた、ロッド・スチュアートなんか、66歳で父親とおじいちゃんの両方に、同時期になるなんてことをしてるけど。笑
正直、何をやってても構わないけど、人生の大変なことをやりながら、あのアルバムを作った彼女は、違うなぁってなるから、色々と書いてしまったんだけど。
男性だと、思い込んでたクセに。笑

人生の一大事を、パワーに変えるタイプなのか?

母は強い!もあるかも知れないなぁ。笑

70年以降の曲の話は、Part2で。

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