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リアル70年代〜洋楽女子話⑬スティービーとJAZZの叔父
音楽とは腐れ縁だったかもなぁ、と。
母の私の音楽好きが災いしたのか、子供2人がポップスの作曲家と、クラッシック演奏家を目指すようになったのか?…とちょっと後悔?もなくはく無いけど。
70年代半ばから音楽が生きることを助けてくれたけど、黒歴史(?)もある…。
ここらで、音楽好きな私を助けてくれた、JAZZ好きの叔父さんとスティービーワンダーの話
ずっと好きなスティービー
中学生初めは、私の好きの一番はスティービー・ワンダーではなかった。
その時々のお気に入りがあり、ヘビロテした曲やアルバムがあって、それはクルクルと変わったかなぁ。
が、長い期間ずっと好きが変わらない音楽が、スティービーなのかも?
もちろん、最近の活動や曲はしっかり追えてないし、色々と思うことはある。病気も心配だし。
何千曲も、未発表の曲があるなら、ドンドン出して欲しいなぁって気持ちもある。
が、「え!コレがスティービー?」って、ガッカリしたりしたくない想いもある。笑
R&Bもソウルも色々超えて、彼だけのジャンルの人な感じがある人。影響を受けたアーティストも、いっぱい活動してるし。
スティーヴィーといつ、どの曲で出会ったのかハッキリしなくて、いつの間入り込んでた…って感じ。私が産まれる前から活動してた人だし。
ラジオからも、色々な時代の曲が流れていて。発表順ではない感じで、ランダムに聴いたかなぁ。
『Up tight』
『For once in my life』
『My Cherie Amour』『Signed,Sealed,Delivered I'm Yours』
『Superstition』
『Living for the City』
『Don't You Worry 'bout a Thing』
なんかは、全曲大好きで、今も聴くし。
オンエアされたので聴いて、後には、アルバムも聴きまくりね〜。
正直、リトル時代や初期のアルバムは、カバーや他の人が書いた曲もも多いし、アレンジも??で、ちょっと古く感じたかも?当時の私には。
後にまとめて、聴いたりしたけど、コレじゃあんまりハマらないな…って。
モータウンは、彼の10代を無駄にした感じがしたり…。めちゃくちゃ勝手な意見だけど。笑
『Up tight』なんかは、モータウンのガールズグループなんかと似たテイストのアレンジで、好き。イントロも良いし。が、ちょっと曲は良いのになぁ感はあるかなぁ。
今でも、映像作品に使われてるから、昔のテイストはそれなりに、時代感出すのには、良いのかも?
この曲
『Signed,Sealed,Delivered I'm Yours』(邦題涙を届けて)は、わりとこの時期では一番好きかなぁ。スティービー色が出てる感じで。
歌は昔から、上手いって言うか、独特の節回し的なものがあったし、声もすぐにわかるし、ボーカリストとしても、十二分に魅力は発揮したと感じるけど、彼の作る音楽、曲を聴くと「もっと早く自作曲を、たくさん出してあげてたら…」と、ならずにはいられなくて。
JAZZ好きの叔父ちゃん
で、私がスティービーワンダーにハマったのは、この記事の①の幼少期の話に登場する、JAZZ好きの叔父が鍵で。
叔父は高校時代から、デキシーランドJAZZのバンドでウッドベースを弾き、大学ぐらいから、サックスも始め、アルト、テナーを吹いてて。フリーJAZZが大好きな人。
こんな感じのJAZZが好きだったな。
アート・ブレイキーの
『Night in Tunisia」(邦題チュニジアの夜)
私は幼少期には、彼が近くの河原でサックスを練習するのに、ちょいちょい付き合わされた。ひたすらスケール(音階)を吹いてるのを、ススキを抜いたり、小石を投げたりして、待ってたなぁ。
夏場は陽が長いから、練習も長くて。笑
遊びに行ってたのは長い休みの時で、今ごろの時期には、思い出す。
金管楽器吹く人には、多分あるあるな話かも?笑
が、「音楽やるには、地道な練習が必要!」ってことを、私に叩き込んでくれたかな?
私は色々あって、楽器をやれなかったけど、私が子供に楽器をやらせた時に、役に立ってくれたかも?笑
社会人になっても地道に練習や、基礎英語を聞いてた人。基礎英語を録音するんは、おばあちゃんか私だったけど。笑
高校野球も好きで、「怪物が出るから観に行くで〜」って、甲子園の外野席から、豆粒みたいな江川を観たな。全然打たれてないから、試合観る小学生には、全く面白くはなかったけど。笑
後に販売されたらすぐに、リリコンも買って吹いてたなぁ。伊東たけしが吹いたの聴いたら、すぐにわかったぐらい。笑
社会人になっても、たまにJAZZクラブで、アマグループで演奏もしてた。
40歳過ぎまでJAZZと競馬だけ…みたいな人で。競馬場にも連行、テレビも見せられたし。
見合いで結婚して、子供が出来たら、さすがに、休みの日に一日中音楽聴く生活は、やめたみたい。笑
いわゆる、オタクのハシリだったんだよね。当時は、そんな言葉すらなかったけど。昭和20年代生まれだし。
JAZZが鍵でハマる
私は中2あたりからは、本格的に洋楽を聴くようになり。それまでは叔父さんとは、歌謡曲やフォークの曲の話しかしなかった。基本無口な人だから、こっちが話さないと、喋らない人だったし。
で、たまたま77年、中2終わりの春休みか、中3の夏休みに部屋に遊びに行くと、なんだか聴き覚えのあるメロディーが流れていて。
それは、当時もう大好きになってた、ホール&オーツの『Sara Smile』で。
叔父さんには、色々聞きたいこともあった。40代でガンも乗り越えて、その後は元気にしてたし、亡くなる半年前には世間話もしたし。が、急に具合を悪くして、ひと月ぐらいの間に亡くなってしまい、お見舞いに行くチャンスすらなかった。
実は、私はやっぱり、この人と音楽の話をしたかったんだなぁ、ってなる。
だから、この時聴いた『Sara Smile』が、誰のレコードだったのか、正確にはわからずじまいで。検索とかしても、特定出来なくて。涙
マイク・マイニエリのアルバム
『Love Play』が、77年リリースだから、コレの可能性が高そう。レコードが出たら、即買う人だったし。笑
このアルバムも好き。カバーはオリジナルの雰囲気の、私の好きな部分が残ってるし。参加メンバーが、後に大好きになる面々で。反対にこれで刷り込まれて、好きになった説はある。笑
彼はヴィブラフォン奏者だけど、メインでサックスを吹いているのが、ポップス方面で活躍する、デビット・サンボーンだから。
って言うのも、叔父ちゃんはゴリゴリのJAZZオタだったから、サンボーンのサックスなんかは、ちょっと…な評価だったし、この日の会話のニュアンスも、そんな感じだったから。笑
ちなみに、その後、私の好きな曲でサックス吹いてたら、サンボーン!ってぐらい、遭遇して大好きだったんだけど。
叔父ちゃんには、色々と教え込まれたかも知れないけど、微妙に好きなテイストは、ズレてた感じ?笑
カバーのIsn’t She Lovely
曲が好きなことを話すと、「JAZZの人らは、曲がええなぁってなったら、色々自分らで演奏してるんやで〜」って、教えてくれた。
で「スティービー・ワンダーって、知ってるか?」と。
「知ってる、知ってる。好き」って答えたら、「こんなんもあるで〜」と、スティービー・ワンダーの
『Isn't She Lovely?』(邦題可愛いアイシャ)を、誰かJAZZの人が演奏してるのを流してくれた。
私は、アルバムが前の年に出たばっかりで、2枚組だから、まだ全曲を手に入れてなかった。だから、もうカバーがあるんか?とはなって。
このバージョンが誰かは、調べたら余計に混乱した〜。笑
コレは録音してくれなかったから、一回聴いただけだけど、わかりそうだと思ったが、マジでわからん。笑
オリジナルが出た直後、同じ年にギターのリー・リトナーが歌入りでやってて。
時期が春休みなら、コレで確定なんだけど。フュージョンのアレンジ。
叔父ちゃんは、後にラリカル好きの私を小馬鹿にし、リトナー推しだったから、可能性はある。笑
実はこのバージョン、この曲の歌入りのカバーの中では、かなり私は良いと思ってて。歌もスティービーとは、ちょっと違うテイストで。後に好きになる、ビル・チャンプリン。
曲のニュアンス残しながら、リトナーのクロスオーバー色が出てて、違うものとして、彼がやる意味みたいなのが、ちゃんとあるかなぁって。まあ、オリジナルに引っ張られてるけど。笑
彼のギターも、聴けるし。
あの曲のハーモニカの間奏部分とか聴いたら、これはJAZZの人が、演奏したくなる要素があるのは、当時の私でも何となく理解出来たし。
77年の6月には、ミルト・ジャクソンが、8月にはソニー・ロリンズまで出してるやん!で。笑
ミルトバージョンは、ヴィヴラフォンがメロディーやってる、生音の昔の正統派のJAZZのアレンジ。
コードの上で、ソロ弾いてる人が、それぞれ楽しそうに、自由にやってる感じが好き。
ロリンズは、そらテナーサックス吹くよね。笑
バックはエレキの音で、クロスオーバー色が強め。バックのアレンジは基本的にオリジナルと同じ感じで、ソロを演奏する人は自由にするスタイルは、ミルトバージョンと似てるかなぁ。
が、オリジナルのハーモニカの間奏部分がカッコいいから、あの部分のパートが、ちょっと残念な感じがしなくはない。好きなんだけどね。私も、ソニー・ロリンズ。
色々あって、ウチには彼の直筆で自作のモチーフの楽譜と、別にレコードにサインしたのがあるから、親近感は強い。笑
脳内の記憶のイメージに近いのは、ミルトな気もするけど、ロリンズな感じもあるし、時期が違うなら、リトナーになるしで、マジでわからん。笑
結局、後には3つともの演奏を聴いたから、余計に混乱して。直後からこの曲はJAZZだけでも、半端じゃない物凄い数の人が、演奏してるし。
で、とにかく「好きなんやったら、レコードあるで」と、スティービーのアルバムを丸ごと録音してくれて、他にスティービーの昔の曲の、JAZZのカバーを、余った部分に入れてくれた。
「マジ?さすがおっちゃん(実は友達みたいに思って育ったから、名前呼びだった)神!」となった。笑
JAZZマンに愛されてるなら、スティービーまで買うんか?って。
嬉しくて。スティービー・ワンダーのアルバムが、丸ごと2枚分ゲット出来るとは!だった。
なかなかFMでも、2枚丸ごとはやってなかった。って言うか録音出来る時間に、家にいなかった。笑
他に入れてくれた、カバーのJAZZバージョンも、色々探したけど、曲も違ったかも?だし、アーティスト名も覚えてないと、やってる人が多過ぎて、わからなくて。
私がビョーキになりそうだから、諦め。笑
曲は、『Golden Lady』と
『Bird of Beauty』(邦題美の鳥)かなんか、怪しい。違う気もする。笑
CDを買って、テープを処分したからわからない。
とりあえず、わからんから、全然別の最近の曲が、良いなって思ってたロバート・グラスパーと、87年発売だから、多分違う、スタンリー・タレンタインのバージョン。
さすがに、彼も他のスティービーのアルバムは持ってなかったけど。他のアルバムを丸ごと聴けたのは、レンタルレコード店が出来てから?ラジオで流れた、シングルじゃないけどの、名曲は聴けたけど。
新たなスタンダード曲
この時代のJAZZの人は特に、カバーって感じじゃなくて、リメイクに近い感じで、ポップスの中から、次世代のスタンダードナンバーになりそうな曲を探して、色々とチャレンジする雰囲気があったかなぁ。
今もやってるのかは、詳しくないからわからないけど、当時は積極的に皆んなが取り組んでた感じで。
クロスオーバーとか、フュージョンとかが流行って、JAZZはこの先どうなる?みたいな危機感もあったのか?
この後マイルス・デイビスが、
シンディ・ローパーの
『Time After Time』をやった時には、叔父ちゃんのほうから、「この曲は元のは、どんな感じやったん?」とか聞いてきて、ちょっと嬉しかったなぁ。
私が、叔父ちゃんに音楽で、何か教えられることがあるとは!ってなって。笑
マイルス・デイビスのは、ラジオで聴いてた。この曲をチョイスする、マイルスのセンス!笑
シンディのは、83年にアルバムが出たから、私は大学生。レンタルレコード店が出来てたから、すぐにアルバムをゲットした。よく聴いたなぁ。好きだった。
ポップな曲、ロックな曲も良かったけど、アルバムで一番好きだったのが、この曲だったから、マイルスが選んだことは、嬉しかった。
マイルスがカバーしたのは、85年だから、渡したのは社会人になってたな。
「テープにダビングしてあげる」って、ボーナスで手に入れた、ダブルデッキステレオで、ホール&オーツが歌う『サラスマイル』とか、矢野顕子とか、叔父ちゃんでも聴きそうなアーティストと一緒に、シンディの曲も入れて、渡したな。
キーオブライフは私の人生の鍵
このアルバムは、2枚あるけど、全体として好き。社会人になって、CD化されてすぐに買った。
『Sir Duke』(邦題愛するデューク)はクイーンの話で書いたように、日本でもラジオのリクエストで、一日に何回も聞くハメになり、曲がちょっと嫌になったり。自分で、テープを早送りしたな。笑
が、流れが好きで。この際だから、2枚分貼っておきます。笑
曲としてはシングルになった
『I Wish』(邦題回想)
『Another Star』
『As』(邦題永遠の誓い)
なんかは、もちろん好き。
アルバム1枚目の始まりに
『Love's in Need of Love Today 』
(邦題ある愛の伝説)がくるのが良い。ほっこりと始まる感じで。
インスト曲だけど、
(Contusion』(邦題負傷)も好きだし、言い出したらキリがない。笑
レコード時代、A面から始まるけど、各面の頭の曲が、入りが最高なのも推しポイント。
A面は、
『Love's in Need of Love Today 』
(邦題ある愛の伝説)
ひっくり返して、B面が
『I Wish』(邦題回想)
2枚目の頭が
『Isn't She Lovely 』(邦題可愛いアイシャ)
裏側の頭が
『Ngiculela - Es Una Historia - I Am Singing』(邦題愛を唄えば)で。
始まりが良いアルバムは、たくさんあったし、他にも推すアルバムもある。
が、4曲違うタイプの曲で、始まりにハマる曲を作るって。笑になる。
この当時、毎年ぐらい濃いアルバムを連発した、スティービー・ワンダーって。笑
その最中に、2枚組でこの完成度のアルバムを作ってるし。それも、この時期には、全部自分で作詞作曲やって、アレンジして、楽器もほぼ全部弾くとか、「この人、どうかしてる?」ってなる。笑
アルバムもこのアルバムの前の『Talking Book)』から『Hotter than July』の時期は、特に全部好きだなぁ。
1人でなんでもやれる人
テクノロジーの進化が、全部自分でやれる環境を作ったにせよ、まだまだアナログの時代。で、曲と歌のクオリティの高さも素晴らしいし。
目が不自由なんて、もはや誰も言わないし、気にしてないよね。ライブでは、ステージに出てくる時は、ちょっと感じたけど、レコード聴いてる分には、全然思い浮かばない。
ブラックで、目が悪いは、レイチャールズもそうだけど、音楽やるには大きなハンデかと。今より条件が厳しい中、凄いことを楽々とやっているように、中学生には見えてた。めちゃくちゃ大変だろうとも、思ってたけど。
スティービーワンダーの曲とかは、また改めて。
で、私は結果スティービーから、また色んなアーティストを聴くようにもなった。
レイ・チャールズや、フュージョン系や、JAZZも。彼の活動の幅の広さが、私の視野を広げてくれたことは事実。で、叔父ちゃんの貢献度も高い。笑
良き理解者
後の話で、私が2人目の出産を知らせた葉書を、家族の近況便りを、皆さんに送った。
で、子供2人の名前が並んでる葉書をみて、唯一連絡をくれたのが、この叔父ちゃんで。
当時はまだ、メアドを持ってない人もいた時代。でも理系の人で、パソコンは早くに導入してて、私にメールをくれた。
デカい画面に、1行だけ。
「おまえ、子供の名前でちょけとったらあかんで〜」
ちょけるは、ふざけてるって意味で、「名前で遊ぶな!笑」のニュアンス。
「あーこの人には、ちゃんと伝わったんや」ってなって、めちゃくちゃ嬉しかった。
子供の名前は、1人ずつ聞いても読んでも、至って普通な感じで。キラキラネームでも全くなく。が、2人の名前が並ぶと、音楽に興味があるとか、勘の良い人は、「2人とも、音楽に関係のある名前なんや!」ってなる感じ。
これまでに、直接それを指摘した人は、この叔父ちゃんと、かなり後の子供たちの師匠になるピアノの先生だけ。笑
大した名前じゃないし、単体ではよくある名前で。
名前が音楽に関係してて、私が意図したことを、ちゃんと理解してくれた人が、
それを、わざわざ伝えてくれた人が、この人だけだったことは、やっぱり嬉しかった。考えたのも私だから。笑
お棺にはWaltz for Debby
叔父ちゃんからは、多分有形無形で、色んな物を貰ったから、感謝してる。
奥さんは音楽には全く興味のない人だった。子供たちに音楽に興味を持たせるために、色々やろうとしたのは知ってた。
が、子供は全く別の人間だから、彼の情熱なんかを全く理解してない様子で、お通夜の時に「えーそんなに、音楽好きやったん?」とか、歳の離れた従姉妹に言われて、こっちがビックリした。苦笑
色々音楽の話をしたことを話すと、お父さんのことが、大好きだった彼女は、喜んでくれた。
で、興味のない奥さんが、唯一覚えてたのが、このアルバムだったらしく。多分ジャケが印象的だからかも?笑
お棺には、ビル・エヴァンスの
『Waltz for Debby」が入ってた。
勝手に、個人的には「もっと好きな、一番好きなアルバムが、あったんと違うの?」とはなったけど、さすがに黙ってた。笑
このアルバムも、気に入ってたのは知ってたから、ヨシ!
足が悪かったし、遠いからと、亡くなる前年にやった娘のコンサートを、やっぱり聴いて貰ったら良かった…とか、後悔はある。
亡くなった時、子供たちはまだ学生で、修行中。音楽に詳しいからこそ、もうちょっと何とかなってから…って思って、声をかけたり、曲を聴いて貰ったりする機会を逃した。まさか、突然亡くなるとは思ってなかったから。
今、テレビから息子の曲が流れてるのを聴いたら、喜んでくれたかなぁ…とか考えたり。
お盆だし。
好きだったミュージシャンや、アーティストを偲びながら、叔父ちゃんのことを、一番考えてるな。
送り火の日には、帰らはるけど、まだ多分、そこら辺にいてくれてるよね。
皆んなの大事な人たちは。笑