子なしの人生はハードモードらしい
先日Twitterの子なし夫婦界隈でちょっとした話題になったツイートがあった。
3人の子どもを育てる女性の方のツイート。
だいたいこんな事だった。
『出産は痛いからいや、子どもを育てる自信がない」
そんな理由で子どもを作らない人は、人生ハードモードだ。
そういう事もちゃんと考えて、もっと覚悟を持って選択するべき。』
とのことだった。
ひとまわり近い年下の夫と暮らす私は今40代、夫30代。子なし転勤族夫婦真っ盛り。
最初はこのツイートの意味がわからなかったけど、繰り返して読んでいくうちにやっとわかってきた。
てっきり子どものいない人生はイージーモードって言われているのかと思いきや真逆だった。
『子どもがいない人生はゆくゆく、将来、老後が大変だよ。
協力してくれる家族もいないのに、困難に直面した時に2人きりで乗り越える覚悟がおありか!?』
と言われていると私は受け取った。
まあ、あれだ、
なんていうか…
うっせー!
余計なお世話じゃろがいっ!!
他人様の生活に首突っ込んでないで、自分の家族の幸せのことだけ考えて$@』?>_*`#”『|〜=!!!!!
である♡
だから、ほっとけよ♡
このツイートに関して言えば、不妊治療したけども子どもができなかったとか、子どもが欲しくても縁がなくて授からなかった場合のことではなく、
出産は痛くて嫌
立派に子どもを育てあげることができるか自信がない
と思っている人に対して言っていることを前提に書かれているので、私もその前提で考えてみた。
子なし夫婦の将来っていうのは、同じ子なし夫婦なら一度は考えたことがあるのではないだろうか。
結婚すると決めたとき
子ども作るかどうかパートナーと話し合ったとき
親や親戚が集まったときに早く子どもを産めの圧を感じたとき
真剣にじゃなくても、漠然とでも、人生の最期って介護施設かな、孤独死かな、先立たれる方は嫌だなとか。
私はそう考えたことがある。
将来は介護施設に入って、用事がない限りは特段連絡をするわけでもない兄弟、それと施設のスタッフさんに看取られていくのだろう。
お葬式に来てくれる人はいるんだろうか。
私が死んだら誰かそのことを知ってる人がいるんだろうか。
だがしかし、ここで思い出したことがある。
うちのおばあちゃんも最期は介護施設だったな、と。
昭和初期生まれで、関東の片田舎に生まれ育ちながら当時女学校に通ってたのが自慢の祖母。
古い童謡はたいてい祖母から教わった。
痴呆が進んでいったんお昼寝して起きると、日付が1日進んだ気になるおばあちゃん。
足が悪くて歩けなくなり、自力でお風呂もトイレも大変になって、家族の手だけでは大変だったので介護施設に入ることになった。
子なしだろうが、孫までいるおばあちゃんでも最期は同じじゃないか。
人生最期って話は最終的すぎたけど、それまでの間にもどちゃくそ大変な困難が起きる可能性はある。
病気、親の介護、自分たちの介護とか。
それをたった2人で乗り越えていくのは『ハードモード』ということだろう。
じゃあ子どもがいても、訳あって離れてしまったり、縁を切ってもうすっかり音信不通になったいたら?
何かの理由で子どもの援助が得られなかったら。
子どもがいる夫婦でも、いろんな理由で夫婦2人の生活を営んでいる人もいる。
逆に子どもがいない夫婦でも、何でも話せる友だちたちや頼れる人がいる夫婦もいる。
子どもがいても、いなくても、人生ハードモードかどうかは、周りに頼れる人がいるかどうかじゃないか。
どんな生き方をしているかによるんじゃないか。
そう思う。
何が言いたいかというと、家族の形の分だけ価値観があって、それぞれの生活の形がある。
それぞれの家庭で決めたことに、絶対の正解はないし不正解もない。
そんな2人の決めごとに、私だったらわざわざ助言することもないし、助言する権利がまずない。
子どもがいる夫婦が子育てが大変なことも、想像以上にメンタルやられることも聞いてる。
夫婦2人暮らしは、今は大きな波風が立たずまるで凪のような生活でも、人生の終盤には寂しくなるんじゃないかと心配がよぎる気持ちもわかる。
それでもみんな、夫婦ができるベストな生活を考えてるし、それぞれの家族の形で今を一生懸命生きてる。
子どもを立派に育てられるか自信ないと言っている人だって、夫婦で考えて出した2人のための形。
このツイートについて考えているうちに、だんだんこんな感情も湧いてきた。
当事者じゃないのになんでこんなツイートする気になったんだろう。
身近にそう言っていた人がいたのか
急に思いついたのか
普通だったら自分の子どものことや家族のことを考えるものじゃないのか
なのに子なし夫婦の将来のことを考えている。
自分は当事者ではないのに。
そしてツイートまでしている。
そうなるともうなんか、わざわざ考えてくれて「サンキューな」という感情すら溢れてくる。
まるで落ち込んでるときに好きな女子に励まされて、お前のおかげで元気が出たよと照れくさそうにはにかむ男子校生のように。
最初「うるせー」とか言ってなんかごめんな。
このツイートを読んで、将来の自分の最期のことまで考えることができた。
これからの人生に何が起きるのか、どんな最期を迎えるのかきっと誰もわからない。
だから私は、私たち夫婦の幸せを考えて生活していこうと思えた。
みんなちがって、みんないい、と金子みすずを思い出すことができた。
相田みつをかと思ってたら、そうじゃなかったことに気づけた。
もしこのツイートを見て、こんなこと言うなんてひどい!と心を痛めた人がいたら、「ま、気にせずいこうよ」と言いたい。
自分の人生がハードかイージーかなんて、他人には決められない。
他人にとやかく言われたら、”そんなに気にしてくれるなんて”と思って照れくさ男子校生みたいに照れ笑いしていこうぜってこと。
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