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レールを外れた先の出合い

先日、とあるセミナーで出会った講師の方の口から、こんな話が出てきた。

人生には、上り坂、下り坂、そして、もうひとつの坂があるという。
ピンとくる人にはくるだろうか。

その坂は"まさか"。

思えば、人生はその坂が多いような気がする。
私の場合、一番衝撃的な"まさか"はカナダへのワーホリだ。
いや、ほんとまさか、私がワーホリに出る日がくるなど、幼い頃は夢にも思わなかった。

そしてその後まさか一年も経たずに帰国して、まさか正社員に復帰せずに、日々英語に触れられる環境にいるとは…。

ほんと、人生何が起こるかわからない。

事の起こりは、大学卒業後に正社員として入った会社を退職したことだ。つまり、新卒採用の安定レールを外れるという決断をした私。

大卒の新卒採用で寮住まい。しかも田舎の、年間休日も約107日だったから、ある程度の蓄えもあったのは確かだ。
3年弱務めた仕事を辞めてから、すぐさま「さぁ次!!」という気にもなれず、ハローワークに通いながら焦りやモヤモヤが募る日々を過ごしていた。

そんなときにふと、「今だから出来ることって何?」「やりたかった事って何だ?」と思い巡らしたときに、ワーホリが浮かんだ。

過去に一緒に働いていた派遣社員さんが何ヵ国も渡り歩いてきた猛者で、その人曰く、カナダのバンクーバーが過ごしやすいよと言っていたのを思い出した。

折しもコロナ禍の影響で、各国が渡航やビザ発給の制限をかけていたなかでも、カナダは、門戸を開いてくれていた国の1つだった。

でも…そんなの自分に出来るのか。遊びと思われて転職に不利なんじゃないか。せっかく貯めたお金が飛んでいくし…。
どうしても頭に浮かぶのは日本での将来への不安ばかり。
そんなウジウジしていた私を見かねたのか、当時同居していた家族や、まわりの親戚が背中を押してくれてようやく「なんとかなるか-」と、半ばノリと勢いで、家族のもと、いわばコンフォートゾーンを飛び出すこととなった。

当然、楽しいことばかりではなかった。

プラスマイナス含めて色んな事や人との"まさか"の出合いを経験して、わたしの世界は確実に広がった。

「バリスタやりたいな」と思い立てばコースを受講し、レジュメを配り歩き、まさかの採用に至り、周囲に感化されダンスクラスに参加することになったり、オーロラ見に行きたいと思い立てば試行錯誤しながらも実現させている自分がいた。(もちろん、衣食住や、価値観の違い、言葉の壁で苦労した話もあるのはあるがここでは割愛させてほしい。)
まさか、最後は尾てい骨を痛めて、後ろ髪を引かれるように帰国することに。

帰国後に直面したのは、お金と将来への不安。
この問題は、いつでも誰にでも付いて回るものだろう。が、当時の私にとってはとんでもなく恐ろしいものでしかなかった。3桁あった蓄えも、2桁をなんとか保てていた状況だった。


再び焦るなか、ワーホリの成果をせめて目に見える形で証明したい!と思い立ち、即申し込んだTOEIC試験。対策も身を入れて積み重ね、結果は"まさか"の夢の800点突破。
いやはや、人生、失うものばかりではない。「ワーホリに行った自分よ、ありがとう。」と深く感謝した瞬間だった。

とはいえ、いつまでもプー太郎になっている訳にはいかない。
自分は何がやりたいのか。それの答えを出すために、正直出来るのかわからないけど昔から「やってみたいなぁ」と秘かに思っていた色んなことに、日本各地の仕事暮らし体験という形で飛び込んでみることにした。

北海道で酪農家の現実に触れたり、震災後の陸前高田のインバウンド観光ツアーに同行したり。三重の狩猟体験に参加して緊張の瞬間を間近に見、和歌山の小売りやライターの仕事を手伝い、茶畑での作業にも携わった。まさか、ここにきて夢に描いたことを実現できるとは思いもしなかった。

それらの仕事に携わっているわけではないが、どんな経験も「全ての道はローマに通ず」ということわざのように、今の私に至る道のりを彩ってくれている。
と、まぁ、かく言う私。現在はご縁あって、古都・奈良のとある事業所で、日々を諸外国から訪れる人と英語に触れながら仕事をしている。小学生の頃に抱いていた、英語を使って国連ではたらく!というスケールの大きい夢とは異なるが、まさか、英語に触れる日々を過ごしているとは。

もちろん、毎日が夢のようにキラキラしている訳ではない。
就いてからしばらく、戸惑う日々が続いた。
なんとなく、空気感が合わない気がする…。価値観が合わないかも…。自分は周りの人に遠く及ばない…。心のなかで何度も何度も「辞めよう!」と決断したし、心も病みかけるほどに苦痛に感じることもあった。

今もときどき、「人生このままでいいのかな?」という不安がつきまとう。が、気づけば就職して1年が過ぎている。
「え、まさか!」
病みかけるほど嫌だったはずなのに、いつの間にか「もう少しだけ、やってみようかな。」という意識に変わっていた。
この境地に至るまでに周りの人の支えや励ましがあったことは間違いない。この場を借りて、支えてくれた全ての人に感謝の意を伝えたい。

さらに、今回の仕事を長く続けることで見えてきたものがある。
いかに自分が勉強不足であったか。いかに自分が恵まれているか。いかに自分の考えが小さかったか。
大学生時代に"まさか"の手術を経験し、「当たり前なものはない」ことを痛感した自分が、いつの間にかどこかへ行っていた。そしてようやく、いくつもの出合いを経て遠い旅路から戻ってきたような気がする。
いつまた、そんな自分がふらっと旅に出るかわからないけど…。



「あの時レールを外れなければ」とか、「あの時あの選択さえしなければ」とか、後悔することも数えきれないほどある。
しかしだ、敷かれたレールを外れた結果、まわり回って、多少は違えど将来の夢の実現に繋がっていたのだ。そして、その先で出合った"まさか"の出来事が人生をドラマチックに仕立ててくれたことを思えば、「あの時レールを外れたおかげで!」と過去の自分に感謝するばかりだ。

人生は、物事を捉えるかでその後が大きく違ってくるような気がする。
つくづくそんな風に考えられるようになったのは、成長した証だろうか。

このさき、レールを外れることになった場合、その先に広がる世界や"まさか"な出来事との出合いもどっしり構えて受け止められるような自分であれたらと願う。
そのためにも、まずは好奇心の赴くままに、見るもの聞くものにつけ、心や人としての器を広げ、心身の柔軟性を培っていこうか。


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