あんまりにも泣いてしまって、私ももう家族になっていると気づいた。~銀河鉄道の父~
あぁこの映画は泣けるなぁ。
と、途中で気づきはしたものの、
よもやこんなわかりやすい場所にて、
信じられないくらい号泣してしまうとは。
人の死ぬシーンで泣くのは、なんだか悔しい。
人が死ぬシーンで泣くのは、狙い通り、泣かされた感じがするから。
涙を誘いたいなら、強い感動を起こしたいなら、
とりあえずストーリー上、誰か死なせておけば、
ぐらいの「死」になんて、泣かされてたまるもんか。
そんな気持ちになる。
けれど私は、賢治が死んで号泣した。
トシが死んだときも泣いたけれど、
賢治が死んだときは、文字通り号泣した。
家族が死んだかのように、本当に悲しかった。
そしてそこにはふしぎと、
悔しさもなくて、
ただただ素直に、悲しみがあった。
それはきっと、役所広司さんの演技が素晴らしすぎたから。
その他、出ている役者さんの演技が素晴らしすぎたから。
もう私は、映画のストーリーを追ったり観たりする者ではなく、
ほとんどその話の中の関係者となって、
むしろ家族の一人となって、この映画を観ていた。
映画を観ているというよりは、
映画の世界の内側にいた。
だから賢治が死んだのが、辛くてしかたがなかった。
お父さんがあんなにかわいがっていた賢治が。
あんなに大切に思われ、大切に紡がれ、大切に守られてきた命が、
消えてしまうなんて。
お父さんの気持ちが痛いほど伝わってきて、
無力さを感じ、涙がとめどなく出た。
だれも賢治を助けられなくて、だれもお父さんを救えない。
そのことが悲しくて、苦しくて、たまらなかった。
賢治を育てているお父さんの姿に、
学ぶべきことは多く、
こんな子育てをしたいと思ったり、こうであるべきなんだろうと考える視聴者も多いのかもしれないが、
私はあまりそういう観点ではみていなかった。
多分、私もこれに近い育ち方をしてきたからだと思う。
自分のしたいことを追いかける人生を、ゆるされてきた。
可能性のあるなしに関わらず、成功するしないにもよらず、
何か作れば喜ばれ、ほめられ、幸せであれと願われている。今も。
私も子供たちを育てるうえで、
導くというよりは、サポートしていくようなスタイルを、
自然ととっているような気がする。
子育て論としては、共感が多かったかもしれない。
だからこそか、感情移入も強くなり、
涙の出方がすごかった。
死に関する直接的なシーンではなかったが、
妹トシが、おじいさんを落ち着かせるシーンも、涙が出た。
怖くないと抱きしめる愛が、
共感することのエネルギーが、まるで目にみえるようだった。
また自分の信じるものを自信をもって人に与えられること、
それが誰かの心を救うことの、美しさも感じた。
人の役に立ちたい……
それは宮沢賢治の作品からも感じられる思い。
「虔十公園林」(けんじゅうこうえんりん)を思い出す。
誰かの役に立つように生きたい、自分を活かしたい。
これは人の真理ではないかと思う。
ちょっと喪に服そうかと思うほど
悲しい気持ちにはなったけれど、
それをも乗り越え生きていくご両親を見て、
生きるということの強さも感じることができた。
生きるということほど、尊いことはない。
何があっても死なないで、
生きていられることは、素晴らしいことだ。
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