視野は広いに越したことはないのだけれど
あの頃は、ある意味常軌を逸していた、と今は思う。
Facebookから「過去のこの日」のお知らせがきた。満開のミヤマキリシマが、遠目からでもピンク色に山肌を彩る九重連山。清々しすぎる景色とはちぐはぐな、重い気持ちの私がいた。2泊3日の合宿をギブアップした息子を、迎えに行った朝。ちょうど3年前らしい。
適応障害でほとんど中学に通えなかった息子。学校に行きたいのに体が拒否反応を起こす。親子で悩み、泣き、もがき苦しむ日々を過ごしていた。
この合宿は中学最後の合宿で、息子なりにどうしても参加したいイベントだった。初日は出発前に過呼吸を起こし、参加できなかった。2日目の朝、本人の希望で登山に間に合うよう5:30出発で現地へ車を走らせ、無事合流させることができた。
適応障害は、できない自分を責めてしまう。だから「できたことを数える」ことが大切だと教わった。
学校には行けなくても、この合宿に参加することはきっと、彼の中学時代の大事な思い出になるだろう。だから、チャレンジしたいのならいつでも送って行くし、迎えにも行くと伝えていた。私に可能なことなら、それは無理でも無茶でもなかったし、全く苦にならなかった。
担任の先生から楽しそうに笑う息子の写真も届き、安心して残業していた夜10時頃、先生からの電話が鳴った。本人に代わってもらうと「もうムリそう、迎えに来てほしい」という。えー⁉︎ 一晩寝たらあとは帰ってくるだけだよ? でもすぐにでも迎えに来て欲しいらしい。
こういう場合の本人の「ムリ」という判断は正しい。そのことは長い不登校生活の中ですでに学んでいた、だから決断は早かった。「なんとか翌朝までがんばって」と励まして、翌朝、2日連続のの九重ドライブが決行された。甘いと思われるかもしれないけど、 私たち親子にとってはベストな判断だった。
あの頃は、学校に通えないことが人生の終わりのように感じていた。このまま不登校で高校に行けなかったらどうしよう。そもそも小6までの学力しかないのに、行ける高校なんてあるんだろうか? 通信制の高校なら通えるのか? 私が離婚したから? 転校させたから? いじめにあったから?…。
人と一緒なことを好まずに生きてきた私なのに、我が子が学校というレールに乗れないことに焦り、苛立っていた。あの頃の私たち親子は目の前しか見えなかった。どんなに励まされても、制服姿の子を見れば苦しかったし、何もできない姿に、そして自分に、絶望していた。
今、息子は単位制高校の3年生となり、大学進学を目指している。今なら、あの頃の担任の先生や保健室の先生、校長先生、ママ友たちがかけてくれていた「大丈夫」の意味がわかる。長い長い人生のうちのわずか数年、立ち止まったからってゼロにはならないし、ダメにもならない。
あんなに苦しくて、何度も死を考えた3年間は、笑って話せる思い出になった。息子は苦しみや痛みを知ったぶん、芯があってよく気がつく、やさしい子に育っている。自慢の息子だ。
思いが強ければ強いほど、こだわりや執着があるほど、ついつい視野が狭くなる。でもそれがすべてダメだとは思わない。狭い視野なりに真剣に考えてるんだから、思いつくことは全部やってしまえばいい。そうすれば後悔は残らないんじゃないかな。いつか大きくまわりを見ることができるようになれば、「あの頃はちっちゃいとこばかり見てしょーもなかったなぁ」と笑えるんじゃないかな。そこまで行って、やっと糧になる気がする。とはいえ、視野は広いに越したことないんだけど。
ふたりでよくがんばったよねー。キツかったねー。母としてはちょっとやり過ぎたよねー。
今、あの風景の中に立ったなら、おだやかな気持ちで景色を楽しむこともできる気がする。
そんなことを思った6月1日でした。
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