岩井紀子

取材したり、文章を書いたりする仕事をしています。 誰かの思いを伝えることを生業としてきましたが、自分の内側を表現することは、裸を見られるようで恥ずかしい。そんな理由で仕事以外で外に向けて文章をかくことはしてこなかったのだけれど、いろいろと思うところあってnote始めてみます。

岩井紀子

取材したり、文章を書いたりする仕事をしています。 誰かの思いを伝えることを生業としてきましたが、自分の内側を表現することは、裸を見られるようで恥ずかしい。そんな理由で仕事以外で外に向けて文章をかくことはしてこなかったのだけれど、いろいろと思うところあってnote始めてみます。

最近の記事

あけましたね、おめでとう。 年を越した途端、今年は何か実になることができそうな、やらなくちゃいけないような、おもしろいことを企みたいそんな気持ち。思考が巡る。 完璧でなくてもいいかな。 自分が楽しくやれることを。 誰かに喜んでもらえることを。 自分にしかできないことを。

    • 眠れない 夜空に たったひとすじの あかるい朝が くるような希望

      • うまくはいかなかったけれど

        「〜すべき」思考を手放せたら…。 これまで何度となく思ってきたことだ。 完璧主義な傾向が強いがゆえに力不足な自分に苛立ち、仕事の出来栄えはいつも不安。 それでも自己ベストと思えるところまで考えた結果を提案するので、クライアントから「いいですね」なんてお褒めの言葉をもらえたら夢のようだ。 その実、いやいやこれはきっとリップサービスで、もっといい正解が出せたんじゃないか、と心はすぐに逆戻りして揺らぎまくる。 それもこれも、もっとできる自分でいなくてはならない、いるべきだ、とい

        • 18歳成人で、ひとり息子が別れた夫の名字に戻り、母の戸籍から独立したはなし

          変わりたい、と思うのにちょうどいい節目がある。 例えば年の初め。新年の計を立てて、その一年の自分の目標なりを定めたりする。私はあまりしないけど。 月の変わり目。年に何度もやってくるから、何かを新しくしたいと思うのにちょうどいい節目。使い捨てのコンタクトを新しくするタイミングは、わりと月初めにしてしまう。 あとは誕生日。これは結構、この一年をどう生きるか的な、まじめな思いが詰まりがちな節目だ。 学生とか転勤や移動の多い職場の人だと、新年度もそうかもしれない。新生活、新学期、新

        • あけましたね、おめでとう。 年を越した途端、今年は何か実になることができそうな、やらなくちゃいけないような、おもしろいことを企みたいそんな気持ち。思考が巡る。 完璧でなくてもいいかな。 自分が楽しくやれることを。 誰かに喜んでもらえることを。 自分にしかできないことを。

        • 眠れない 夜空に たったひとすじの あかるい朝が くるような希望

        • うまくはいかなかったけれど

        • 18歳成人で、ひとり息子が別れた夫の名字に戻り、母の戸籍から独立したはなし

          他己評価でジコにあう

          プライドが高すぎる。 上司に叱られる時は大体それ。 自分としては、プライドというより「もっとできる」「もっとよくなるはず」を追い求めてるだけなのだけれど。 経営サイドの目線で見たらそれは、コストに合わない。となる。 会社員だから仕方ない、というのもわかる。 でも1mmでも、1%でも、喜んでもらえるものをつくりたいと常に思う。そのための自分の手間や労力は惜しみたくない。これは単なる自己満なのか? ここ2年ほど、私の精神状態は泥の中深く潜った状態で、その中でもなんとか足掻き

          他己評価でジコにあう

          居心地がいい、の落とし穴

          ひさしぶりに、ひとりマックした。 健康的ではないとわかっていながらも、たまに無性に食べたくなるファーストフード。コロナ禍ということもあり、このところは大抵ドライブスルーでテイクアウトしていたのだけれど、この日は待ち合わせの時間までかなりあったので、店内で1時間ほど過ごすことにした。 土曜日のお昼を少しすぎた頃。店内はわりと混んでいて、ほどよくガヤガヤしている。 お客が交わす会話や笑い声。店員の声。厨房から聞こえるさまざまな音。それらが混じり合った中に、抑えめのヴォリューム

          居心地がいい、の落とし穴

          しょーもなく、でも多分しあわせな日常。

          またやってしまった。 それはそれは振り返るのもアホらしいほど、どーでもいいことで始まる親子げんかで、「あーもう、私なんか死んでしまえばいいのに」とダークサイドまで落ちてしまう、よくある自己嫌悪のスパイラル。 『嫌われる勇気』を読んで以来「これは私の課題ではない」と、できるだけ人の問題には踏み込まないように注意しているものの、家族と住んでいるとついつい発した配慮に欠いた、もしくは踏み込みすぎたひとことをきっかけに言葉の応酬となり、精神をすり減らす結果となることがままある。

          しょーもなく、でも多分しあわせな日常。

          これまでにない気づきのあるオリンピック

          競技が始まり、改めて、選手のための祭典なのだと感じたオリンピック。 開会直前まで続いた大人たちのゴタゴタで、少し斜めな気持ちで見ていた開会式。 演出について思うところはたくさんあったけれど、選手の入場行進が始まってすぐに、ああ、これはこの人たちのためのお祭りなんだなと思った。 1年延期されてもなお、安心できないこの状況下、たくさんの制約を乗り越え、その日に照準を合わせてやってきた選手たち。 やっとオリンピックを迎えられたという彼らの輝きは、選曲やプラカードがどうのとは別次

          これまでにない気づきのあるオリンピック

          「忘れる」機能のありがたさ

          会社の定期検診でひっかかって以来、定期的に総合病院に通っている。とはいえ幸い悪いところは見つからず、血液検査の数値を見守る経過観察が続いている。 通い慣れたこの病院はわりと新しくて快適だ。 天井は高く、スペースをゆったりとった近代的な造り。大きな窓は中庭の植栽や遠くの山々が見える配置になっている。 ずらりと並ぶソファで静かに待つ人々はなにかしら患っていて、不安とか苦痛を抱えてそこにいるはずなのだけれど、明るく開放的な空間のおかげで、他人のそれを意識せず、自分だけに向き合って

          「忘れる」機能のありがたさ

          視野は広いに越したことはないのだけれど

          あの頃は、ある意味常軌を逸していた、と今は思う。 Facebookから「過去のこの日」のお知らせがきた。満開のミヤマキリシマが、遠目からでもピンク色に山肌を彩る九重連山。清々しすぎる景色とはちぐはぐな、重い気持ちの私がいた。2泊3日の合宿をギブアップした息子を、迎えに行った朝。ちょうど3年前らしい。 適応障害でほとんど中学に通えなかった息子。学校に行きたいのに体が拒否反応を起こす。親子で悩み、泣き、もがき苦しむ日々を過ごしていた。 この合宿は中学最後の合宿で、息子なりに

          視野は広いに越したことはないのだけれど

          桜が散って、内心ほっとする。

          桜が好きだ。 開花宣言から三分咲き、五分咲きと、日々花開き、春のおとづれを実感できる様子にこころ弾むのは、春生まれのわたしだけではないだろう。 にもかかわらず、 満開が近づくにつれ、追い詰められるような焦る気持ちがわたしを襲う。 やばい。やばい。やばい。 もうすぐ満開になってしまう! その焦りの原因、わかってるんです。 満開の日を逃さず、ちゃんとお花見をしなければ、という強迫観念。 だって満開の桜が見られる機会なんて、年に数日しかないのだから。 わたしにとってお花見は

          桜が散って、内心ほっとする。

          「すばらしき世界」のような隣人に到底なりきれない未熟さを抱えたまま

          見終わったあと、苦しさが残る映画だった。 西川美和監督の「すばらしき世界」。 主人公・三上の持つ、まっすぐで純粋な目線と、暴力的衝動以外に解決する術を知らない人物像とのアンバランスさが常に痛々しく、胸に響いた。 長い刑務所暮らしを終えた三上にとって、カタギの世界は生きづらい。それでも前向きに、生きようとする。時に腹を立て、時に激しい言葉を吐き、時に暴力を振るいながら。 普段は屈託のない笑顔を見せつつも、スイッチが入ると怒りや不満をぶちまける三上。 そんな彼を取り巻く人々

          「すばらしき世界」のような隣人に到底なりきれない未熟さを抱えたまま

          こころのバロメーター

          いい雑草がないなぁ。 都会で子育てをしていた頃、そう思っていた。 花屋で買う花でなく、道に生えてる草や花をコップに生けるくらいが好きだ。 なのに道端でも公園でも、私が求める、かわいい雑草は見つからなかった。 九州の田舎育ちの私からすれば、道端には雑草が生えていてあたりまえ。 住宅の石垣にも、側溝の周りにも、たくましく生きる雑草がいた。 雑草の中にもかわいい花をつけるもの、葉やツルや穂がいい感じなものがある。 知らないだけで、ちゃんと名前もあるはずだ。 それを見つけて摘

          こころのバロメーター

          期待され続けた親知らず。

          4本のうち1本だけ残した右下の親知らず。 そいつが昨日から主張し続けている。 つまり痛いのだ。 大学時代に抜いた親知らずを、なぜ1本だけ残していたのか。理由は2つある。 ひとつ目は簡単。埋伏歯だったので、虫歯になる心配がなかった。3本の抜歯で十分に心は折れ、もういいや的な放置。 ふたつ目の理由が本当の目的。未来への希望だ。 中学時代、大きな虫歯の為に奥歯の神経を抜いた。巨体な銀の冠をかぶったその歯は、何度も化膿を繰り返し、歯磨きを怠った私を責め続けた。 銀の冠を強引に外

          期待され続けた親知らず。

          安い女、なわけじゃないのよ。

          仕事で遅くなったので、普段はあまり行かない24時間営業の激安スーパーに行った。 入り口を入るや否や、山積みの板チョコレートに迎えられた。 ああ、バレンタイン前だしね、なんて思いつつその値段に一瞬、足が止まった。 78円! 2ヶ月ほど前、これの10枚入りボックスを2箱、サプライズでプレゼントしてもらった。 チョコに目がない私。 大人買いのチョコの束を受け取った顔が、普段見せないほど満面の笑みだったらしく、プレゼントしてくれた当人に「ホントに好きなんだねー」と笑われた。

          安い女、なわけじゃないのよ。

          プロのさじ加減。

          一年の計は元旦にあり、というけれど、元旦に、「今年はこれを叶えよう」なんて強く願うことなく生きてきた気がする。みんな何かしら目標をたてて生きてるのだろうか? しかし、今年はちがった。 元旦どころか、仕事納めの翌日の12月26日には、2021年に叶えるべき目標のために動き出したのだ。 目標とは健康なからだをつくること。 長年の運動不足に加え、コロナ禍によって春からの続いているリモートワーク(でおやつが増えたせい)で着実に脂肪の厚みは増し、体力は落ち、健康診断でも過去最悪の内

          プロのさじ加減。