うたふるよる 第四夜キニー・コーヴェルさん
スペースのための打ち合わせメモ
常盤みどりが選んだキニー・コーヴェルさんの短歌
「海へ海へ」の繰り返しが好きでふと手が止まり最後まで・もう一度と読みたくなる、意味を正確に理解出来た気にならないけれど、理解したくなる一首でした。チャレンジしてみました。
流れ落ちる涙からは雨を、その雨が川に、川が海へと還る情景を思い浮かべました。次にどうして「泣く」ではなく「鳴く」なのか、その疑問と向き合いました。「泣く」は一人の行為で、落ちていくもの「鳴く」は一人の行為であるけれど誰かに対して向けたもの(遠吠えとか)で震えて伝わるもの、悲しみを生き物のように捉えているのだろうと考えました。
最後に「どうして陸地が見えなくなってからなのか」という疑問に向き合います。「鳴きたい」気持ちを最後まで我慢して誰も居ないところで叫んでいるのだろうかと考えました。
自発的に流れるわけではなく、運ばれていく最中は我慢をして、誰にも迷惑をかけず、それでも誰かを呼んでいるような。うーん、上手く説明ができません。でも頭の中に情景は湧き上がってくる、素敵で不思議な一首です。
とてもインパクトのある励ましの一首だと私は考えます。
後書きを読んだつもりかよ→本当はまだ続きがある→今にも諦めそうな人生と解釈しました。作中主体が「これから助けにいくから待っていろ」と強く訴えているようなイメージです。ですが、この一首中の「後書きだと思い込んでいる部分を読んでいる人物」は自身の物語(=人生)に作中主体の登場を知る由がないのではないかとも考えました。そう考えると主体は誰を励まし助けたいと考えているのかと疑問が浮かびます。まだ見ぬ誰かなのか、未来の自分なのか、ひょっとすると昔の友人を遠くで(たとえばネット上で)見ているのか。誰に宛てたと考えても素敵だと感じます。
主体はロイドの製作者ではないかと考えました。製作者はロイドに自身の経験をふまえ長い年月をかけ知識を授けていきます。言葉・食事・排泄・清潔・整頓・勤勉・勉強・運動・読書・他者と関わることの大切さや悲しみ、その方法などなど。最後に「喪失」の経験を与えることを忘れずに。喪失がなければ世界は循環せず、想いは繋がれません。
ゆうさん、「ロイド」って誰のことだと思いますか?アンドロイドのロイドでしょうか。私にはなんだか機械以上の、我が子供に対して語りかける優しくも厳しい主体が想像できるのですが。
「ベルリン天使の詩」という映画のイメージが頭を殴りつけました。映画の内容に触れるとおそらく時間が足りないので割愛しますが(素敵な映画なのでもしよければご覧ください)どうして天使は翼が折れたまま退院するのだろうと疑問を抱きます。作中の翼の折れた天使は天使としての価値がなくなってしまったまま存在が消えてしまうのか、それとも待ち望んだ人間またはほかの何かへの転生なのか。どちらにしても(ほかの結果であっても)天使ではなくなってしまうことを喜んでいる天使を想像してしまい(しまいというのもおかしいかもしれませんが)眩しさを感じるけれど切なくなる一首。
天使の一首に引き続き眩しくも切ない一首だと感じました。
雨粒も粒子もたしかにそこに存在はします。存在はするのですが触れた途端にもう元の形ではいられません。雨も雲間から差し込む光も一瞬の出来事です。主体と君の関係性を表しているのではないかと推察しました。降り続く雨に一瞬の光をもたらした「君」を想う主体の姿を想像します。
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みさきゆうが選んだキニー・コーヴェルさんの短歌
性善説という言葉が浮かびました。主体は元々は誰かの役に立ちたい、人は助け合うものだと信じてた人なんだと思います。年齢を重ね、いろいろな経験を積み、何度も自分を殺して生きないとやってられないくらいの人生だったのかと。主体は、自身の善の部分はもうなくなったと思い込んでいたのかもしれません。忘れて生きてきた…に近いかも。表面上は上手くやってる人でも、心の中は虚しさでいっぱいだったりもしますよね。
辛さは人と比べて大小や上下をつける必要はありません。本人にしかわからないものです。簡単に手を差し伸べない方がいいこともあります。目の前に命が尽きるかもしれない人がいる。助けたい気持ちはあるのになかなかすぐに行動できない、という人もたくさんいます。
だけど、主体の「生き残った部分」が反応します。「AED」を探さないと!と走り出したんです。まだそんな自分にも「生き残った部分」があったんです。言葉通りだとしても、比喩としても、誰かの為に走り出せた主体は素晴らしいです。
目の前の人を生かすために「殺して」「生き残った部分」が行動するという言葉を使われたのがとても面白いです。助けることで自分の善の部分もまた生き続けられるように思います。
自分の本音はちゃんと向き合って意識しないとわからない時があります。当たり前に口にした欲も本当に?それが本心?と問われると、考えれば考えるほどわからくなることもあります。
暑い寒いは身体的な感覚で、本能的な体温調節行動に繋がります。深く考えなくても出てくる言葉と言えるかもしれません。
言語化できないもやもやを誰かのせいにすることで発散しているのか。「君の静かな叫び」は主体には感じられるけれど「君」はまだはっきり気付いていない、もしくは、押し殺して 無いこと にしている本音なのかと思います。
この歌の「君」は主体にとっての目の前の「君」でもあり、歌を読んでいる私でもあると感じました。キニーさんにこう問われたら、私は長い時間黙って考え込むかもしれません。きっとキニーさんはゆっくり待っていてくださるのでしょう。
余命わずかと言われていた人と天使との会話だと読みました。本当なら早く亡くなるはずだった人に寄り添っていた天使。その人はとても長く患っていて、人生の何年もの間を病院の中で天使と過ごしてきたのかもしれません。きっとお若い。天使は子供や死に近い人には見えるような気がするのです、私の勝手な想像なのですが。何年も親友のように寄り添いながら。何度も危篤状態になったのかもしれません。その度に天使は何かを犠牲にすることで生き長らえさせてくれたのでは。あとはもう羽根を折ることでしか助ける術がありません。堕天使になってしまうのか、もう命尽きてしまうのか。その大きな代償を払うことで、入院できるまでに回復した。最後のお別れの時の会話。折れた羽は相手には見えない、もう消えかかってしまっているから。そんなイメージです。
「さよなら」は天使の願いが叶った言葉なので、とてもあたたかいです。
「、」の意味はなんでしょう?
キニーさんのSF的な短歌もとても好きです。「」の台詞だけでいろいろ想像させてもらえるのがとても楽しいです。
舞台はどこだろう。「人」が絶滅して、もう化石になっている未来の地球?RPGの世界も浮かびました。授業風景だったとしても面白いです。
「人」ではない生物には生まれ持った「心」はないのでしょうか。それとも、その生物が他の何かを生み出す能力や技術があるのかもしれません。「人の化石」は他の用途もありそうですよね。
私たち「人」がいつかそんな「原料」の一つになる未来。ありえなくはないですよね。
ロボットの短歌好きなんです。
短歌を詠み始めてすぐの頃に九羅ささらさんの
と出会い、ああ好き!となったのですが、キニーさんのこちらのお歌も読んだ瞬間ああ好き!となりました。
「深呼吸」そもそも呼吸さえロボットには必要のない行為ですよね(ため息をつくドラえもんは別かも)。ロボットと言っても、柔らかい素材で出来ているものもあるだろうし、金属部分も酸化物を形成しないようにコーティングなどされているとは思うんです。ロボットが朽ちるほどの未来ですし。
でも私のイメージしたロボットはやはり金属ベースのメカっぽいものです。初期のスターウォーズに出てくるような。「深呼吸」によって酸素や水分まで奥深く吸い込んで壊れ、そして朽ちたロボット。本を読む行為、ロボットはしなさそうですよね。感情もデータから学びそうです。が、ロボットの持ち主が先に亡くなり恋しく思っての行動かもしれません。そのまま朽ちているということは、壊れたロボットを修理に出してくれる人がいなかったということなので。ああ。都会とは離れた場所で、あまり裕福でもなく人付き合いもなく、古いロボットを大事に修理しながら使っていた老人が浮かんできました。そんなロボットを見つけた主体になったような気持ちです。「会う」が良いですよね。見つけた でもなく、いた でもなく。大好きです!