見出し画像

運動不足を解消するため、お金をかけずにストイックに運動に取り組んでみたところ、悲しい結末を迎えるはめに。『デタラメだもの』

年齢を重ねるごとに、運動する機会というものはどんどん減ってくる。運動不足と呼応するかのように、身体つきはその鋭さを失い、要するに、だらしなくなり、動くのが億劫になったり洋服が似合わなくなったり、閉口することしばしば。なんとかこの問題を解決せねばならん。

近頃、フィッシャーズという動画クリエイターの動画にハマッている。特に過激なことをするわけでもなく、タメになる学びのコンテンツがあるわけでもない。ただただ楽しそうに遊んでいる彼らの動画を観てると、無の境地を味わえる。世知辛い世の中から、しばし解放され、どこにも属さず自由に生きられている気がして、精神的にとても癒やされる。

彼らの動画のカテゴリに、アスレチック動画なるものがある。単純に、公園のアスレチックで遊んだり鍛えたり、テーマパークの巨大なアスレチックで鬼ごっこをしたり。彼らが楽しんでいるのが伝わってくるのはもちろん、ただそれだけに留まらない。何が言いたいかというと、彼らの身のこなし、動き、それらがあまりにも軽やか過ぎて、憧れすら抱いてしまう。嗚呼、フィッシャーズに近づきたい。

そういえば、世間にはスポーツジムに通って運動している人がたくさんいる。日常生活では運動する機会がないために、お金を払ってジムの会員になり、ランニングマシンの上を走ったりしている。

しかし、よくよく考えてみると、街なかには階段があったり登り坂があったりと、その気になれば運動できる場所がたくさんある。お金を払ってジムに通うのもいいかもしれないが、まずは街なかにある運動スポットで運動を堪能してからじゃないだろうかと考えたわけだ。

名案を思いついたとばかり、階段を上る機会があれば、全力疾走して駆け上がることにしてみた。もちろん下りる際も全力疾走で駆け下りる。もちろん、周囲の人たちからは訝しがられる。「こいつ何者なん?」という目で見られる。しかし、それは仕方がない。お金をかけずに運動しようと決意した代償として、その程度の恥は甘んじて受けようじゃない。

この運動、意外とバカにできない。取り組んでから数日後、既に身体がすごく軽くなった。当初は階段の上り下りも、身体がズッシリと重かったのに、今じゃスーパーボールのように弾みながら上り下りができる。これを成果と呼ばずして何を成果と呼ぼう。しかし、まだまだ肉体改造にまでは至っていない。さらにストイックに運動に取り組んでやる。そして、お金を一切使わずにやり抜いてやる。

エスカレーターの類は一切使用せず、階段を全力疾走。運動としての効果はありそうだが、目的の階に着いた際には息があがっており、汗も吹き出し、すぐに用事に取り組まねばならないときは、かなりの支障をきたす。

電車の中では座席に座ることなく直立。しかも、踵を少しだけ浮かせながら、電車の揺れに耐える。こちらも運動としての効果は期待できそうだが、コケてしまわないよう神経を集中しているため、読書には集中できず、同じ行を何度も繰り返し読んで始末。たとえ一冊の本を読み切れたとしても、本の内容があまり頭に入っておらず、どこか損した気分になるのが玉に瑕。

電車で帰宅する際は、数駅手前で下車し歩くというのはよくある手法。こちらも運動としての効果は期待できるのだが、歩いているうちに旅情感が漂い、気分を良くした挙げ句、コンビニエンスストアに立ち寄り、缶ビールをグビグビとやってしまう。気づけば、3~4本も飲み干してしまい、酩酊状態になりながら帰宅することしばしば。健康のための取り組みが、不健康まっしぐらな気がしてならない。

そんな風に愚図愚図言ってはいるが、何かしら取り組みというものはしっかりと結果が伴うもので、想像以上に身体が軽くなり、ピョンピョン飛び跳ねることだってできるし、きっと、アスレチック鬼ごっこだってできそうだ。フィッシャーズと共演できる日が楽しみだ。まぁ、そんな日が来ることはないが。

元来、運動は好きなほうだし、それほど鈍臭いタイプの人間ではないと信じていた。ましてや、今じゃお金をかけずにストイックに運動に取り組むアスリート。自分の肉体は改造されたものと信じ切っていた。

そんなある日、コピーライターの大先輩に焼き肉をご馳走してもらい、その後、軽くお酒を嗜む機会があった。会話の流れから、「近くの銭湯に行って、ひとっ風呂浴びてこよう!」と相成り、久方ぶりの銭湯へ。

浴場には先客がほぼおらず、貸し切りに近い状態。美味しいものを食べ、美味しいお酒を嗜んで、のんびりお風呂に浸かっていると、もはや温泉よね、これ、という満足度。アルコールを摂取しているため長風呂はせず、脱衣所へ。火照った身体を冷ましながら雑談をしていると、脱衣所の隅に設置された懸垂器具が目に留まった。

「いっちょ、やってみましょうよ」と相成り、大先輩からチャレンジ。年齢からは想像もできないほどのパワフルな懸垂。迫力のパフォーマンスを見せつけられた。これは負けてられへんで、と選手交代。

そういえば昔、懸垂やら雲梯やら鉄棒やらが得意だった。棒を見るやいなや飛びつき、自由に身体を浮かせたり沈めたり移動させたり。軽やかに棒を操っていた頃の記憶が鮮明に蘇ってきた。

よし、と身体を浮かせ、棒を握る。握り込む。腕に力を込める。身体を引き上げる。引き上げる。いや、引き上がらない。あれ? 数センチも引き上がらない。なんで? こちとら、お金をかけずにストイックに運動に取り組むアスリートよ。懸垂が一度もできないなんて、そんなバカな話があるわけないじゃない。

自分の能力を過信していただけでなく、自分の能力の衰えから目を背けてきた結果、懸垂が一度もできないまでに肉体が弱体化してしまっていた。これはアカン。こんなはずはない。久しぶりの懸垂だったから、何か様子がおかしかっただけだ。二度目はなんとかなる。

そう意気込んだ結果、上部の持ち手の棒にジャンプして飛びつく。ところが、簡易の懸垂器具だったため、成人男性がジャンプして飛びつく重みに耐えられるようには設計されておらず、グワングワンと器具が揺れる。器具が倒れそうになる。横転が危惧される。器具を壊してしまえば、せっかくの温泉気分も台無し。銭湯の主人からこっぴどく叱られ、苦笑いを浮かべるハメになる。

飛びついたことに多大なる後悔を覚えながらも、何とか器具の揺れがおさまったことをきっかけに、全神経を集中して二度目の挑戦。言うまでもない。身体は全くと言ってもいいほど、引き上がらなかった。

これはきっと何かの間違いだ。もしかしたら、以前、右手の甲を骨折した際に骨がうまく付着せず、あれ以来、握力がガクンと減少したため、きっとそのせいに違いない。それか、毎日毎日、マウスばかりを握っているため、マウス以外のものを握ると、手のひらが拒否反応を起こすのかもしれない。

念仏のように唱えながら自分自身を誤魔化す。お金をかけずにストイックに運動に取り組むアスリートのプライドを何とか保ちながら、何気なく体重計に乗ってみたところ、お金をかけずにストイックに運動に取り組む以前の体重よりも重くなっていた。

デタラメだもの。


▼ショートストーリー30作品を収めた電子書籍を出版しました!

▼常盤英孝のプロフィールページはこちら。

▼ショートショート作家のページはこちら。

▼更新情報はfacebookページで。


今後も良記事でご返報いたしますので、もしよろしければ!サポートは、もっと楽しいエンタメへの活動資金にさせていただきます!