時間がないとしても諦めない。どこまでも表現は続けていく。だからこそ選んだショートショートの世界。
店舗でレジをする際に、「ポイントカードはお持ちでしょうか?」「持ってないっす」「お作りしましょうか?」「あっ、結構ですー」「すぐにお作りできますが?」「あっ、すみません、結構です」のやり取りを、なんとか短縮できないものかと考える今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
さて。
僕は常日頃から、短編よりもっと短い小説であるショートショートと呼ばれるジャンルで、ショートストーリーを執筆しているわけですが、ここにはちょっとした背景がありまして、今日はそんなお話をしてみたいと思います。
今の感染症の猛威が僕らにもたらすことのなかに、「何かをやめなくちゃならない」「何かを続けていけない」、そんな選択に迫られる場面もきっとあることでしょう。外的要因によって、せっかくやってきたことが続けられなくなってしまう。苦く苦しい思いをしている人も多いはずです。
そういう状況を鑑みるうちに、自分がなぜショートショートを執筆しているのか、改めて思い返してみることに。そこには、今の道を諦めなくちゃならなくなったから、別の道を探すことにした。頑張ってきたことが続けられなくなったから、新しい道を歩みだすことにした。という不屈の精神が隠されていたりするわけです。ちょっと大袈裟ですが。
僕の音楽人生に訪れた「諦めなければならない理由」とは?
もともと僕は10代の頃から音楽活動をやっていて。音楽で飯を食っていくのが目的だったから、仲間とワイワイ盛り上がりながらバンドをやるという道を早々に断ち、楽曲を作って事務所に所属し、プロとしてやっていく道に挑んだ。
今でこそ、たくさんの道具が溢れかえっているけれど、当時はインターネットも普及しきっておらず、無料で使えるツールなんかもほとんどない時代。そんな環境下、レコーディングの機材を購入し、歌や演奏を録音し、せっせと音源をつくる日々が続いた。
いくつものレコード会社が主催するデモテープオーディションに応募し、アーティストとしての成功を夢見た。そんな気概で続ける努力。が、我が家はそれほど裕福ではなかったから、いつまでも夢を追うことは良しとされなかった。夢を追うのは成人するまでという条件が。なので、20歳になったと同時に、就職をしなければならなかった。
そして、音楽への未練を残したまま社会人に。初めてネクタイを首に巻き、姿見で自分を見た初出勤の朝。鏡の前で大号泣したことを、今でもハッキリと覚えている。夢を諦めることがあまりにも辛すぎて。社会人の日々がモノクロに感じ、やり場のない虚しさばかりが募っていた。
社会人になると、ほとんどの時間は仕事に取られてしまうし、夜は夜でお付き合いがあったりもする。音楽なんてやる時間はない。趣味で楽器を演奏するくらいならできたかもしれないが、プロを目指していた自分と、音楽を趣味にする自分との落差があり過ぎて、あえて楽器に触れようともしなかった。夢破れた現実に触れることに等しいと思っていたからね。
夢を追う方法は、たったひとつしかないのか?
でも、音楽は誰よりも好きだ。就職するまでのやり方で夢を追うことは不可能になってしまった。でも、ちょっと待てよ? 夢を追う方法は、たったひとつしかないのか? そんなはずはない。考えろ。考えろ。目から血が吹き出すくらい考えろ。
そうやって考え抜いた末に辿り着いた答えが、時間がないからできないんじゃなくて、時間がなくなったからこそできることがある、というものだった。
もともとはプロを目指していたということもあり、やたらめったら複雑な構成の曲をつくってみたり、アレンジにも時間をかけたり、いくつもの楽器を駆使して曲を仕上げたりしていた。
だけど、今はもうそんな時間はない。だからといって音楽を諦める理由にはならない。そうだ! 僕はパンクロックも大好きじゃないか。ロックンロールも大好きじゃないか。たった3分。たった3分、演奏するだけで、みんなが楽しくなれる。そんな音楽も大好きじゃないか。
そう思いついてから、僕の反逆は凄まじかった。時間のない中で、楽しみながら楽曲をつくり、演奏し、録音する。もちろん手抜きなんかじゃない。仮に、10という時間しかない中で、50の工程を課そうとすると、それは不可能だからと、人は諦めてしまう。
ただ、10という時間の中において、5の工程で仕上げられるものに取り組んだ場合、時間は5も余る。余った5の時間の中でとことん拘り抜き、満足の行くものを仕上げる。自分がやったことは、50の工程のジャンルで夢を追うことから、5の工程のジャンルで再び夢を追うことに切り替えたことだった。
楽曲をつくり、CDをつくり、オリジナル音源を引っさげてバンドも組んだ。10代の頃とは状況が変わり、インターネットも味方をしてくれた。Webを死ぬ気で勉強し、インターネットを通じて音源をリリースしたり、ファンを獲得したりする道を学んだ。ちなみにそれが、今の本業でもある。
完全にやりきった。未練も不満もなく、全てを出し切った。そして、プロとの圧倒的な壁を感じ、自分の才能の無さも感じ、自分にできることはそこまでだと清々しく、潔く思うことができた。だから、今度は自分から、きっぱりと音楽をやめた。
こうして、《3分後にはもう、別世界。》は生まれた。
今のように、SNSがあってファンとつながれたり、Youtubeや配信サイトみたいに、自由に作品を発表できる環境があれば、あと数年は結果を出すまで粘ったかもしれない。だけど、当時はそこまでの環境は用意されていなかったし、何より環境だけが理由で成功できるほど甘い世界じゃない。だから、自分の出した答えは間違っていなかったと、今でも思う。趣味でやっていたんじゃなかったからね。
で、音楽をつくるのと同じくして、当時から小説はずっと書いていた。それこそまだ、小説投稿サイトなんてものがなかった時代。自前でウェブサイトを作って、そこで短編や詩を公開したりしていた。ただそれも、音楽を主として活動している傍らの表現方法だったので、音楽をやめたと同時に、執筆活動も自然とフェードアウトしてしまった。
それから社会的立場もそれなりに高くなり、仕事で課せられる責任も重くなり、体力も精神力も時間も、そのすべてを仕事に捧げるようになった。でも、やっぱり自分のことは騙せなかった。何かを表現したいという欲求を押し殺し続けることはできなかった。でも、今の自分には時間がない。小説を書き上げるだけの余裕も時間もない。じゃあ、どうする?
まるであの日と同じような問いを自分に投げかけてみた。もう慣れっこだった。答えはすぐに出た。何かができなくなったときは、新しくできることを探す機会。何かが続けられなくなったときは、新しいことを始める絶好の機会。3分だ。3分あればいい。たった3分あればできる。
3分後にはもう、別世界。
今でも拘っている自分に付したキャッチコピー。ショートショートを体現したコピーだなと、自分でも気に入っている。もともと短編や掌編を読むのも大好きだった自分が取り組むのに、これ以外の選択肢はない。ここで勝負しよう。
世の作家さんたちがその才能を発揮し、魅力的な長編小説を発表している。賞を獲っている人や書籍に掲載されている人もたくさんいる。でも、気にしない。僕が再び夢を追う道の上には、ショートショートがある。
仮に、「作家の世界で成功するためには、長編小説を書かなきゃダメなんだよ」という定説があるなら、むしろ大歓迎。「短編小説を引っさげて、作家の世界で成功する第一人者の席が、まだあいている」ということだから。まぁ、短編小説で世に出ている人も、たくさんいるけどね。
そんなこんなで、新しく『ショートショートガーデン』という、400文字の限られた文字数の中でショートショートの作品を投稿できるサイトに、作品を公開していくことにしました。田丸雅智さんという、現代のショートショート作家ではダントツで有名な作家さんが、旗を振って運営している投稿サイトです。
140文字ピッタリのショートショートを毎日更新で書き続けて、もう1年以上が経つ。思えば、とても少ないページ数で構成するショートショートというジャンル。今回はじめることにした、400文字制限のショートショートガーデン。ずっと書き続けている、140文字ピッタリで書く超短編ショートショート。どうやら僕は、何かを課せられるのが大好きみたいだ。
たった3分。たった3分だけ、皆さんの時間を割いてもらえるなら、必ず満足させてみせます。それが、ロックンロールの魅力であり、ショートショートの魅力でもある。
時間がないという理由で夢を諦めてしまう人もいるだろう。でも、こうして、わずかな時間だけを頼りに、再び夢を追いかけ始めた人間もいる。何かが終わってしまう瞬間は、新しく何かを始める絶好のチャンスかもしれない。楽しいことを死ぬまで続けられるよう、今日も明日も明後日も、挑戦し続けて生きて行きまーす。
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