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小さくても大きくても歴史(再び、のらくろと戦争の話)

先日、来ない来ないと書いていた本が届きました。
この豪胆なサイズ感。ほぼ辞書です!

圧巻の800ページ

のらくろを追う旅は続いており、本編以外にも関連本をどんどん読んでいます。そうして立て続けに読んでみて強く感じるのは、今は当然になっている「戦争は悪だ」という感覚は、あくまで戦後からの目線なんだということです。

のらくろは、子ども向けのコメディまんがではあるけど、これが普通に面白いものとして消費されていた事、作中にしばしば登場する、軍への賛美や「良い兵隊になりましょうね」というメッセージ。また、掲載誌の紙面から読み取れる、軍人に対する、子どもたちの羨望の目線。そこには、戦争の最中では、かならずしも争いは“悪”ではなく、ある側面では、日常として受け入れられていたということが感じられます。
そして、その事実を知ることは、戦争の加害側としての日本を見ることでもありました。

現在、各国を巡る情勢について「戦争は良くないが、攻撃されたら攻撃し返すのは仕方ない」という論をしばしば耳にします。私はその言説を「のらくろ」を調べる中で見た、戦争を肯定的に盛り上げる言葉たちと重ね合わせずにはいられません。

しかし、そのように読み進める中で大変印象的だったのは、戦後に描かれたのらくろ作品や、田河水泡自身による随筆などのテキストでした。
「のらくろ」は戦後、たびたびセルフリメイクのような描き直しがされています。また、田河先生のテキストやインタビューを読んでいると、自作が戦意高揚の片棒を担ぐ結果になってしまったこと、戦争を否定しなかったこと、かと言ってもう肯定も出来ない、しかし作家本人にとってもファンにとっても「のらくろ」の存在は大きく、どうしたら良いのか…という、歴史の一部ではなく、個人や作家としての逡巡が垣間見えます。
それは、これまで私が歴史としての戦争を学ぶ時、ほとんど意識しなかった感覚でした。

書籍「のらくろ自叙伝」「のらくろ一代記」の写真

これはのらくろをきっかけに考えた日本の戦争の話ですが、この「歴史ではなく個人の経験」を意識するというのはあらゆる問題を考える上ですごく大きなポイントだと感じます。
それらを鑑みて「だから仕方ない」と言いたいのではありません。
善悪を断定せず、しかしそれが否定されるべき理由はなぜか?と自分に問うこと。それは、世界に対する認識に深さを増すぞ!…と言いたいのです。

つい描いてしまった。

というわけで、ふとしたきっかけから思いがけず大河ドラマを見た…というお話でした。

で、最後に強調したいんですが、のらくろ及び、田河水泡先生は、作品・作家としては本当に素晴らしいのです!「のらくろ」を、プロバガンダ漫画だったなんて揶揄する向きもありますが、そんな風に片付けられるものではないし、実際違うと思います。
漫画史に於ける画期的&重要な作品であり、面白くて、かわいくて、めちゃくちゃ愛しいのですよ!そしてものすごく魅力的な作家です。本当に読んでほしい!でも古本しかないのが惜しい…。

そうこうしているうちに、戦前漫画や、漫画の歴史も調べるようになり、完全に沼に突入してきました。ここまで書いておいて「この文章面白いのかな」と疑問に思っていますが、まあ…。私が書きたかったので…。

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Tokin
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