カッコーが鳴いていた朝
私は、晩年の祖母とは仲がよいとは言えない関係だった。しかし幼い頃はとても仲がよかった。
祖母とは同居していたのだが、たまに祖母の部屋で一緒に寝る="お泊まり"が大好きだった。
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"お泊まり"にあたり、祖母が準備する寝具の香りは新鮮だった。毛布の柄も自分のとは違う。枕の中にストローを切ったやつみたいのがたくさん入っているのも面白かった。そして、冬は布団の中に「あんか」(布団の中をあたためる電化製品)を入れておいてくれた。
部屋の中央には堀りごたつがあったため、それを囲むようにⅬ字型に布団を敷いて横になった。
寝るときは、必ず、電気を豆電球にする。電気の紐には、リボンが結び付けられ、床に届くほどの長さになっているので、横になったまま豆電球に切り替えられた。
「じゃあ寝るよー」
と祖母が就寝を促すが、その後の会話が楽しかった。
豆電球の暗さに慣れてくると、和室の天井の木目がぼんやり見えてくる。
「ねえ、バーバ―! なんか顔みたいのあるよ!」
と話しかける。
「えー?どこかねえ? あら、これかしら。耳みたいのもついてるねえ?」
「犬かなあ~?なんだろう 他にもいるかなあ・・・」
といった感じで、天井の柄に夢中になってしまう。
それからいつの間にか眠りに落ち、明け方5時頃。
遠くから聞こえる音で目が覚める。
「カッコーーーー カッコーーーーー カッコーーーーー ・・・」
1980年代の当時、私たちが住んでいた東京の西の多摩地区には、まだ多くの雑木林が残っていた。
稀に、明け方にカッコーが鳴くことがあり、それに気づくと、ラッキー!な感じがしたものだ。
「バーバ―!カッコー鳴いてるよ!!」
「あれ、ほんとだ!何回鳴くか数えてみよう」
まだ薄暗い朝、布団の中で、遠くのどこかの枝にいるカッコーの姿を想像した。
優しく、しかしハッキリとした鳥の声は、私たちの部屋に朝を連れてきた。
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それから、私は思春期になり、色々あった家庭内の問題への理解が深まるとともに、どんどん祖母との距離が開いていき、共に暮らしていても、”お泊り”することなど一切なくなった。
カッコーの鳴き声も全く聞かなくなった。
もし、
今は亡き、大切な人と過ごした時間に、タイムスリップできるとしたら、
カッコーが鳴いていた、あの日の朝に戻りたい。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、また。