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鬼滅の刃から和柄を学ぶ

その②竈門禰津子 ~麻の葉文~

禰津子が着ている、ピンク地の着物の模様!麻の葉文は正六角形を基本とする「割付(わりつけ)文様」の一つです。名称の由来は麻の葉を連想させたところから。

割付文様とは?
三角形、菱形、円形など、同じ文様を上下左右に連続させ、規則的に繰り返して一定面積の中に割り付けたもの。「幾何文様」や「幾何学文様」とも呼びます。

麻(大麻)は、古代から日本に自生しており、稲と並んで人々の生活に欠かせないものだった!
麻は成長が早く、繊維が通気性に優れ、江戸時代以前は衣類として最も広く使用されていた素材。他にも食用にできるなど、人々の生活にはとても密着した植物でした。

また、大麻は繊維がとても丈夫なため、穢(けが)れを強く祓うとして神聖視されており、神道では「注連縄(しめなわ)」や「大幣(おおぬさ)」、「祓串(はらえぐし)」など、さまざまな神具や神事の道具に使われているそうです。
神社でのお参りの際、ガラガラと鈴を鳴らしますが、その鈴を引く縄も大麻ですし、日本の国技・相撲で横綱だけが腰に締めることを許されている「綱」も、白い大麻でできているそうです。これら、初めて知りました!

もともと魔除けの意味がある三角形が集まってできた六角形は、より強力な魔除けの力があると考えられました。そのため、麻の葉文様は魔除けの吉祥文様として、平安時代には仏像の装飾に、鎌倉時代から室町時代にかけては繍仏(しゅうぶつ)に多く見られるようになります。

説明

麻の葉に込められた両親の思い
子どもの死亡率が高かった時代、子どもが生まれると、女の子には赤、男の子には黄色か浅葱(あさぎ)色の「麻の葉文様」の着物を着せました。これは、麻は生命力がとても高く、まっすぐに育つことにあやかったもの。何よりも、麻の葉の模様そのものに邪気をはらう力があるとされていました。「麻の葉文様」の産着の習慣には、大人たちの「すくすく健康に大きく育って欲しい!」という子どもの健やかな成長と厄除け、魔除けの祈りが込めてられていたんです。

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麻の葉文様も流行ったきっかけは歌舞伎役者!
江戸時代、歌舞伎役者の岩井 半四郎(いわいはんしろう)が『八百屋お七』役に、嵐 璃寛(あらし りかん)が『お染』役で麻の葉文様をあしらった衣装を着用して以来、町娘役には定番の文様となり、若い女性たちの間でも大流行したそう。当時のアイドルの影響力って凄まじいですね~!!!

1人ずつ少しだけ詳しく見ていきましょう!
① 岩井半四郎(いわいはんしろう)
天性の美貌で眼に魅力があり、「眼千両」と称された歌舞伎の女形・五代目岩井半四郎。彼が着用したのは浅葱色の「麻の葉鹿の子」。これが錦絵で広まり、浅葱色の「麻の葉鹿の子」は「半四郎鹿の子」と呼ばれるようになったとか。

錦絵は、当時の人々に最先端の文化を伝えるタブロイド、ファッション誌であるとともに、アイドルブロマイドのようなものでもあったそうです。
浅葱色の「麻の葉文様」の着物は、江戸の女子たちの間で大流行! さらには、半衿(はんえり)、襦袢(じゅばん)、裾廻し(すそまわし)などにも「麻の葉模様」を使うのが流行したそうです。

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② 嵐璃寛(あらし りかん)
同じ頃、大坂では、文政年間(1818~1830年)に嵐璃寛が『染模様妹背門松(そめもよういもせのかどまつ)』でお染を演じた際に「麻の葉文様」の着物を着たところ、京坂の女子たちの間で「麻の葉文様」が流行し、「お染形(おそめがた)」と呼ばれて親しまれまれたそう!
同じ麻の葉文でも今と比べると情報伝達の広がり方は狭く、早さは遅かったため、呼び方が違ったんですね。面白いですね✨

結局、今は麻の葉文ってどういう時に使うの?
私だったら、ご出産の祝いに「子どもがすくすく育つように」と願いが込められた麻の葉文の肌着やベビースタイを送ります。調べて頂くと楽天市場などでもすぐ出てきます!
お宮参りやお食い初めなどイベントの日だけでなく、日常にも使っていただけるかなぁと思っています。

そして、上では親から子への願いとしてご紹介しましたが、私は逆でも使いたいです。
もし親が入院するような時があれば、麻の葉文の肌着をプレゼントして病気や怪我を跳ね除けて帰ってきて欲しいという願いを込めます。

また、普段の自分用として麻の葉文のマスクで邪を払うバリアを。
私は、禰津子カラーの麻の葉文のマスクを入手し、成人式の着付け時に少しでもお嬢様方に親しみを感じていただけるようにと着用しました。が、このマスクから話が発展することはなかったです\(°Д° )/

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