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50mmレンズで撮って書く
50mmは詩的になりすぎると過去に書いたことがる。意図するところはその画角が少し狭いということであり、意識を少し集中した時の視点がそのままフレームとして現れるような感覚なのだ。個人差もあるので50mmを広いと捉える人も中にはいると思う。それにしても誰でも持っているスマホ・カメラの標準画角が28mmなので、比較的に狭いというのは普遍的に共有される感覚ではないだろうか。50mmレンズが主流だった1930年〜1960年あたりに生きた写真家、例えばカルティエブレッソンやロバート・フランクにしてみれば50mmレンズしかなかったわけで、画角に対して広いとか狭いという感覚もおそらく無かったはずだ。
なんとなくのスタートではあったけれど、この写真日記はほとんど50mmで撮っている。持ち歩きやすいという理由で28mmのGRを使おうかと思ったけれど、あまりに日記的になりすぎると思い、抽象や詩的な方向にも振れる50mmという選択をした。ネガティブに言えば、無難な方向に逃げてしまった。もちろん50mmで記録やドキュメンタリーという言葉を想起させるようなものや純粋に日記としての写真を目指すこともできるのだろうけれど、そんなに写真がうまくないことを自覚している。眼差しの延長として、あるいは眼差すことと眼差されることの交錯点において、ただ反射的にシャッターを押していくだけの行為としての写真だから。それをスタイルと呼ぶには他の写真家に対して失礼にあたるだろう。日々のスナップでは35mmを使うことが多かったので50mmしばりという、たとえ守らなかったところで誰にも迷惑のかからない自己満足で暗黙のルールを、日記によって設定したわけだ。新鮮さと懐かしさがある。
下の写真はキリスト教会の近くにできてしまった”メッカ”の写真。そんな大喜利の方向に行くこともできる。しかし後で見返した時に、そのつまらなさに自分で落ち込むのだろう。
今日は冷たい雨が降った。正月は間違いなく晴れていてその後雨が降ったりやんだりしてだんだん気温と湿度が上がって春がくるというこの時期の一連のパターンには、いつも同じ美容師に髪を切ってもらうような安心感がある。
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