ビールは水
ビールと言えば思い浮かべるのがドイツ。1989年欧州縦断ひとり旅をしていた僕はドイツに行った時、毎日ドイツ・ビールを浴びるように飲んでいた。その欧州旅行の直前、僕は3ヶ月の米国横断ひとり旅を敢行したのだが、行く先々で偶然3回も出くわしたドイツ人のクラウスという若者と仲良くなった。クラウスは、ドイツに来ることがあれば、いつでも遊びに来い、と言ってくれたので、何の気兼ねもなしに母国に帰っていた彼を訪ねてたが、結局3週間もお世話になった。彼はミュンヘン郊外の小さな街で、家庭が裕福なのか僕から見たら豪邸に両親と住んでいて、「居たいだけ居ていいぞ」と言って、食事も優しいお母さんがいつも用意してくれて、欧米人は懐が深いと実に感心したものだ。
その頃ドイツと言えば思い浮かべるのは、世界的にヒットした「ロックバルーンは99」ネーナ | NENAかへヴィメタルバンド、スコーピオンズ、そして、マイケル・シェンカーというロック・ギタリストだったが、そんなヨーロッパの国にまで友達ができて、とても世界が広がった気分だった。
NENA | 99 Luftballons [1983] [Offizielles HD Musikvideo]
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さて、クラウスと僕は毎日何をするわけでもなく、ただただ遊び呆けた。クラウスはいつもご両親が所有するBMWで僕を乗せて、バーに連れて行ってくれ、一緒にビールを飲んだ。1〜10までなら、Eins(1), zwei(2), drei(3)… neun(9), zehn(10)で数えられるし、簡単な挨拶なら今でも言える。クラウスはドイツ人の女の子に声をかけろとけしかけるので、英語すら話せないドイツ人女性に若かった僕は無邪気に声をかけたものだ。それでもボディランゲージと通じるかもわからない片言の英語を駆使して、コミュニケーションできていたのだから、若さというものは実に頼もしい武器だ。それにしても、そんな僕を相手にしてくれていたドイツ人女性は優しかった、とつくづく思う。様々な出会いと彼女たちと過ごした短い時間の数々は、思い出に残る楽しいものばかりだ。
ドイツと言えばビールだが、さすがドイツ人だなと思ったことがある。それは、クラウスが昼間からビールを飲んでいたことだった。「朝からビールを飲むのか!?」と聞くと、「あぁ、ビールは水だ」と切り返してきた。この名言がきっかけで、僕はビールを飲んでも酔っ払うことがなくなったように思う。ビールは水。しかし、そんな僕たちに事件が起きた。クラウスがバーで飲んだ帰り道、飲みすぎたのかコントロールを失い、僕を助手席に乗せたまま、BMWごと雑木林に突っ込み、車は廃車になるくらい大破したのだ。それにも関わらず、シートベルトすらしていなかったクラウスと僕が、無傷だったのは奇跡としか言いようがない。そして、この事故後まもなく、僕はクラウスとお世話になった彼の家族や友人、そして、ドイツに別れを告げて、オーストリアへ向かうことになる。ミュンヘンからクラシックの街ザルツブルグへ。
ドイツ人のクラシックの作曲家と言えば、一般的にバッハ、ベートーヴェン、ブラームス、オペラならワーグナーなどの名前が挙げられると思うが、僕が一番好きなドイツの作曲家は「三文オペラ」で知られるクルト・ヴァイルである。そして彼の曲を実に巧みに歌い上げるドイツ人シンガー、ウテ・レンパーも本当に素晴らしい。1999年5月にマンハッタンで観た初めての彼女のコンサートも最高だった。
Ute Lemper - The Song From Mandalay (Live - October 2013)
そして、このライブを観た同年に公開されたのが、ドイツ映画『ラン・ローラ・ラン』(トム・ティクヴァ監督)で、この映画も非常に印象に残っている。それは当時大好きだったポーランド人のクシシュトフ・キエシロフスキー監督の「偶然」(1981年)を彷彿させる作風で、赤毛の主人公ローラが人生のやり直しができるかのように、3つのパターンの異なる展開を見せていくストーリーだった。世界がミレニアムを迎える直前に発表された作品で、自分がどんな選択するかによって、未来を大きく変えていくことができることを教えてくれた。
Run Lola Run (1998) Original Trailer [HD]
ローラを自分に当てはめてみると、僕は車の事故があったからドイツを離れる選択をしたが、事故がなかったら、僕はもっと長く滞在していたかもしれないし、再びドイツを訪れていたかもしれない。そう考えると、人間は自分が置かれた境遇の中で選択を何度も繰り返し、辿り着いた場所に立って、過去と未来を眺めながら、次の目的地を定めていく生き物なのではないかと思う。
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少し前になるが、ドイツ料理店で友人たちとジョッキを片手にドイツ・ビールを久々に飲んだ。暑い夏に冷たいビールは実にうまい。ドイツ・ビールは実にうまい。彼にせがまれて教えた日本語は「くそったれ」だったが、うまく行かないと決まって笑いながらその言葉を使っていた当時の記憶が蘇る。今でも彼はビールを水のように飲みながら、「くそったれ」と言って、笑っているのだろうか。古き良き友クラウスに「Prost!」(ドイツ語で乾杯の意味)。
2022年7月31日
文:河野洋[プロフィール]
河野洋、名古屋市出身、'92年にNYへ移住、'03年「Mar Creation」設立、'12年「New York Japan CineFest」'21年に「Chicago Japan Film Collective」という日本映画祭をスタート。数々の音楽アーティストのライブ、日本文化イベントを手がけ、米国日系新聞などでエッセー、コラム、音楽、映画記事を執筆。現在はアートコラボで詩も手がける。
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