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偉大なるお米

今回のテーマ:恋しい日本食

by 福島 千里

唐突だが、私は鍋で米を炊くのが得意だ。
自宅では楽ちんな炊飯器を使っているが、出張先でどうしても米が必要な時は鍋で炊飯することがある。

なぜ出張先で米なのか。

雑誌などの取材コーディネーターとして仕事をする際は、活動拠点のニューヨークを遠く離れることがしばしばある(ここ数年はパンデミックのおかげでめっきり遠征頻度は減ったけれど)。滞在先でのクルーの宿や移動手段の確保、スケジュール管理などは私の重要な仕事だが、その中に食の確保も含まれている。

ニューヨークは贅沢な街だ。物価は高いが、日本食然り、必要となればたいていのものが手に入る。ロサンゼルスやサンフランシスコなど、日本人が多いエリアも同様だろう。だからこうした大都市で「食に困る(高いけど」ということはない。

しかし地方となると話は別だ。近年は通販取り寄せも可能になったものの、大都市に比べれば日本食レストランや日本食材が充実しているとはまだ言えない。訪問先でやっと見つけた日本食レストランも、いざ入店してみたら日本人以外が経営している「なんちゃって系」だったということも多い。

そもそもクルーが若ければ、わずか1週間程度の出張で「日本食が恋しい」なんて状況に陥ることはあまりないし、わざわざアメリカに来てまで日本食を探す必要もない。地方の街だって、食のチョイスはそれなりにある。むしろ日本では味わえない現地料理に感動したり、良くも悪くも色々な意味で感動したり、食文化の違いそのものを楽しんでくれる。

けれども、その年齢層が上になると、そんな心の余裕は大体2~3日で尽きる。食の選択肢が少ない地方での料理は、どれもソースやバターたっぷりのものになりがちだが、脂ぎった食事を目の前に、彼らの食指は日に日に動きが鈍くなっていく。出張中、食のせいでクルーの気力・体力が損なわれるのはなんとしても避けたい。

ーあぁ、皆さん、ぼちぼち米が恋しくなっているな。

そういうタイミングで持参した米を炊くのだ(ただし、簡易キッチン付きのホテルに宿泊していることが前提)。炊きたてのご飯に、同じく持参した海苔やふりかけ、即席の味噌汁が追加される。質素だけど、これで大体の「日本食シック」は乗り越えられる。2ポンドの米なら、大人3~4名で2回は米が炊けるので、1週間ぐらいの遠征であれば息継ぎ的な食事にはちょうど良い。

いつだったか、カナダの離島を訪れた際もクルーのために米を持参した(持込み規定内の量で)。宿の周辺には日本食レストランなど皆無だ。長い1日の取材を終え、宿に帰着してさっそく米を炊く。そこに隣のキャビンに滞在していた釣り師たちがわけて下さったサーモンが加わり、食卓が一気に豪華になった。みんなで日本を思いながら、1つのテーブルを囲んでほかほかのご飯をいただく。異国にいながらにして、なんとも言えない贅沢な体験だった。

と、このように、米の携行はあくまで誰かのためであって、私自身のためではなかった。

けれども、つい最近、フロリダ州へ単身出張する機会があった。連日ひとりで黙々と仕事をこなし、お腹をすかせてホテルに戻る。さて、夕食は何を食べようか。そう思って携帯上のレストラン地図を眺めながら無意識に日本食レストランを探していることに気がついた。これまで旅先で「日本食が恋しい」なんて思わなかった私だが、無性にお茶漬けとかおにぎりが食べたくなっていた。もしかしたらそういう歳になってきているのかもしれない。

現地での仕事を終え、飛行機の大幅な遅延にもめげず深夜2時にヘロヘロになってようやく帰宅。夫が用意してくれていた冷や飯と煮物を冷蔵庫から取り出し、レンジでチン。ハフハフしながら熱々のご飯と煮物を口に運ぶ。それまで萎れていた気力・体力が蘇ってくる。

ーあぁ、やっぱりごはんがうまい!

世界中のどこにいても、お米は偉大なのだ。


◆◆福島千里(ふくしま・ちさと)◆◆
1998年渡米。ライター&フォトグラファー。ニューヨーク州立大学写真科卒業後、「地球の歩き方ニューヨーク」など、ガイドブック各種で活動中。10年間のニューヨーク生活の後、都市とのほどよい距離感を求め燐州ニュージャージーへ。趣味は旅と料理と食べ歩き。園芸好きの夫と猫2匹暮らし



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