#想像していなかった未来
こんなことになるなんて、想像もしていなかった。
私立大学の文学部を卒業したわたしは、大学の専攻とは全く関係のない、AI技術を使った業務支援を行う企業「フューチャービジョン株式会社」に入社した。何社も受けた中で、たまたま内定をもらった会社ではあったけれど、給料は高いし、同僚もいい人ばかりだし、周りと比べれば充実した社会人生活を送っている方だと思っている。ときどき、「このままでいいんだろうか」と不安が頭をよぎることもあるけれど、目の前の業務に追われているうちにそんな思いはいつもかき消されてしまうのだった。
ある日、課長に呼び出された。
「小嶋、14時にC会議室に来てくれ。」
指示された時間に部屋に入ると、課長と人事部の部長が座っていた。嫌な予感がする。
「君の業務が全てAIによって自動化されることが決まった。心苦しいが、年度末で退社してもらうことになる。」
──胸にズドンと重い衝撃が走る。何も言葉が出てこない。AIに仕事を奪われ、リストラ勧告を受ける人が続出しているとニュースで最近よく見かけるけれど、どこか他人事だった。まさか、自分の身に降りかかってくるなんて。
「わかりました。」
平静を装って返事をしたものの、心の中は絶望でいっぱいだった。8年間働いて30歳を迎えた今、再就職先なんて見つかるのだろうか。これまでの業務がAIにできるなら、わたしにしかできない仕事なんて何もない。
リストラ勧告から半年が経ち、今日は出社最終日。
「8年間、お世話になりました。ありがとうございました。」
長い間働いたけど、別れは意外とあっさりしているものだ。涙が出ることもなく、大きな花束と共に職場を後にした。
これまでの経験を活かせそうな会社をいくつかピックアップし、何社か面接を受けてみたけれど、どの企業も「今後はAIの導入を前提とし、人手を減らす方針」だそう。
「小嶋さんの能力はとても高いのですが、AIに置き換えられやすい業務内容が多いですね。」と言われ、自分の無力さを痛感した。
家に戻ると、スマートスピーカーが
「あかりさん、おかえりなさい。お疲れさまです。」
と明るい声で迎えてくれた。その無機質な明るさが今の自分には皮肉に思えて、無言でコンセントを引き抜いた。将来への不安で押し潰されそうになり、ご飯が喉を通らず、涙が止まらない。
「これから、どうなってしまうんだろう…。」
泣き疲れ、そのままソファで寝落ちした。
翌朝、泣き腫らした目を冷やしながら朝食を食べ、すぐに散歩へ出かけることにした。今日は何も考えたくない。
雲ひとつない快晴で、太陽の光が眩しい。いい天気だ。
ついこの前までAIのことばかり考えていたけれど、陽の光を浴び木々の揺れる音に耳を澄ませていると、「ああ、自分は人間だったんだ」と実感することができた。こんな感覚は久しぶりだ。就活で内定をもらった会社に入社してから、流れるままに過ごしてきたけど、わたしが本当にやりたかったことって何だったっけ。そこそこ充実していると思っていた生活も、ただの錯覚だったのかも知れない。
そんなことを考えながら歩いているとき、古びた喫茶店の看板が目に留まった。
「こんなところに喫茶店なんかあったっけ?喫茶アナログ?」
デジタルに疲れ切っていたわたしは、吸い込まれるようにその店に足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ。おひとり様ですか?こちらへどうぞ。」
出迎えたのは、30代後半くらいの赤いメガネをかけた優しそうな女性だった。店内は、カウンター5席に4人がけのテーブルが2つ。空いていたから、テーブル席に案内してもらった。
「ご注文がお決まりになりましたら、この呼び鈴でお呼びください。」
クリアケースに入れられたメニューに触るのは久しぶりだった。会社の周辺はQRコードでメニューを読み取って注文するシステムの店が多かったため、呼び鈴を使うのも新鮮だ。
豊富なメニューの中から、クロックムッシュとコーヒーを注文した。
ふと見渡すと、店内には大きな本棚があり、アート、短歌、詩、小説など様々なジャンルの本が並んでいた。初めて見るはずなのに、どこか懐かしい。
「そういえば、わたし、小説家になりたかったんだ。」
小学生の頃から本が大好きで、休み時間にはひとりで図書館で本を読んでいた。休日は家族で街の大きな本屋へ行き、一冊選んで買ってもらうのが楽しみだったな。
中学生になると、ノートにこっそりと物語を書くようになっていた。そのノートがクラスの男子に見つかり、みんなの前で大声で読み上げられたときには、顔から火が出るほど恥ずかしかった。
もう辞めよう。こんなノート捨ててしまおう。そう思ったとき、隣の席の男の子だけが
「さっきのあれ、面白いね!どうやって考えてるの?普段どんな本読んでるの?教えて!」
と興味を持ってくれたっけ。そんな思い出たちがぶわっと蘇ってきた。
「お待たせいたしました。クロックムッシュとコーヒーでございます。
ここにある本は全て店主のものですので、食べながら読んでいただいて構いませんよ。少しくらいコーヒーがこぼれても問題ありませんので。」
「ありがとうございます。では遠慮なく。」
たくさんある中から、”おかみさんは中学生”を選んだ。わたしが読書好きになるきっかけとなった本。祖母の旅館を継ぐことになった中学生の女の子が、苦労しながらもお客様へのおもてなしを通して成長していく物語。こんなところで再会するとは思ってもみなかった。
「懐かしいなあ。新刊が出るたび母に買ってもらって、その日のうちに読み終えてたっけ。」
熱々のクロックムッシュを頬張りながら、ページをめくる。
あっという間に読み終えた。自分が失業したという事実を、少しの間忘れることができた。クロックムッシュも最高に美味しかったし、他にもまだいっぱい読みたい本があるから、また食べにこよう。
レジへ向かうと、そこにもまた呼び鈴が置いてあった。鳴らすと、男性店主が小走りでキッチンから出てきた。
「ありがとうございますー。クロックムッシュとホットコーヒーで、680円です。」
「QR決済は使えますか?」
「あ、すみません。うちの店、現金のみなんですよ。」
しまった、喫茶店に入るつもりなんてなかったから財布を家に置いてきた。
最近はスマホで支払うから、そもそも現金を持たずに家を出ることが多くなっていた。
「あの、本当に申し訳ないんですが、今日現金を持っていなくて…
ここからうちまで20分くらいなんですけど、取りに帰ってもいいですか?」
「大丈夫ですよ!今日じゃなくても。また次に来てくれたときで。
そういえばさっき真剣に本を読んでましたけど、何を読んでたんですか?」
同じようなこと、どこかで聞かれたことがあるような…。
胸もとの名札を見ると「田中」と書いてあった。
田中、田中─。
「田中くん…?」
「え、小嶋さん?」
中学生の頃、わたしが書いていた物語を唯一褒めてくれた田中くんだった。
「わたしのこと覚えてくれてたんだ!嬉しい。」
「当たり前だよ。あのときの物語、すごく面白かったもん。今でも覚えてる。ほら、あの"小さいわたし"ってやつ!」
「すごい、よく覚えてたね!」
田中くんの優しい言葉で、懐かしい気持ちが込み上げてきた。
「そこの本棚、小嶋さんが勧めてくれた本がいっぱい並んでるんだ。気が付かなかった?」
通りで、懐かしく感じたわけだ。
田中くんは、少し前まで小説家を目指していたそう。でも、賞を取れない悔しさが募り、本が嫌いになりそうだったから、執筆の代わりに好きな本を集めた喫茶店を始めたらしい。今どき珍しく小説を鉛筆で書いていたほどデジタルに疎く、それが店名「喫茶アナログ」の由来なのだという。
「わたしさ、最近リストラされたんだよね。次何しようかなって毎日考えてる。」
「ここで働く?」
「え、こんなに暇そうなのに人を雇ってやっていけるの?」
「失礼な。近くにあるいくつかの喫茶店にコーヒー豆を卸して生計立ててるから大丈夫。客いない時間は本読み放題だぜ。」
と誇らしげに語っていた。デジタルには疎いけど、営業マンとしての才能はあるらしかった。
さっきのメガネの女性は田中くんのお姉さんで、人手が足りないから一時的に手伝ってもらっていたのだそう。
「働きたいです。なんでもしますので、よろしくお願いします。」
こうしてわたしは、喫茶アナログで働き始めた。ホール業務の傍ら、本を読み、小説の執筆に励んでいる。
──
喫茶アナログで働き始めて1年。
noteに投稿した「#想像していなかった未来」というタイトルの短編小説がSNSで拡散され、少しずつ読者が増えてきた。会社で培ったAI技術を取り入れた小説は、最初の頃こそ批判が殺到したものの、今では新しいスタンダードとなっている。8年間AIと共に働いた経験も無駄ではなかったのだ。
AIに仕事を奪われたわたしが、また物語を書き始めることになるなんて。想像もしていなかった未来は、これからも続いていく。
「いらっしゃいませ!」
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