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給食のミルクプリンと森永の牛乳プリン

 小学生の頃、給食で苦手なメニューがあった。ミルクプリンだ。
 
 私は小さい頃からほとんど好き嫌いがなかった。唯一、生のトマトだけがどうしても食べれなかったが給食で出る機会がほとんどなかったので、そこまで困らなかった。ピーマンやゴーヤなどの苦い系も好きだったし、白和えや卯の花など子供にあまり人気がないメニューも食べれた。だからこそ私はミルクプリンには衝撃を受けたし、何より苦手だと思った自分自身に驚いた。

 タルト生地にミルクプリンが流し込まれているそれは、なんといえばいいのか、無味だった。どちらかというと牛乳寒天といったほうが正しそうな食感で、特に甘みもない。口の中の水分が全部持っていかれそうなタルト生地で咀嚼中ずっとモサモサしている。このタルト生地は逆にモッタリ甘くて嫌に残る感じだった。デザートなので他の食べ物や飲み物で誤魔化すこともできない。一口齧ってしまった以上食べ切らなくてはならない。無味の寒天の食感と好みではない甘さのタルト、性質上飲み込むのに時間がかかるのが苦しかった。

 小学校の給食にそこまで期待するのが間違いだったかというとそうでもない。私の通っていた小学校は特に給食が美味しいと当時から評判だったので思い出補正でもなく、いつも美味しいメニューが提供されていた。少なくとも私好みではあった。だからびっくりした。まさかデザートで、苦手なメニューができるとは思わなかった。

 私は給食で出るまでミルクプリンというものを食べたことがなかった。人生初のミルクプリンがほぼ無味の寒天となれば、ミルクプリンと牛乳寒天への警戒は自ずと高まってしまう。その後スーパーやコンビニで牛乳寒天を見るたび、あれは一生食べないものだろうな、と思っていた。


 時は流れ高校も卒業した後、友人とコンビニに行くことがあった。パンやおにぎりといった軽食に飲み物、財布に余裕があればデザートやおやつを買うのがいつものことだった。私はおにぎりと紙パックのジュースに個包装のバウムクーヘンを手に持っていた。友人はもう選び終わったかなと様子を見に行くと、その手には森永の牛乳プリンが握られていた。太陽のようなキャラクターがトレードマークのアレだ。
 会計を終えて私は友人に、給食のミルクプリンが苦手だった話をした。すると、一口食べてみる?と提案された。少し迷ったがありがたくもらうことにした。

 柔らかくて白いプリンをスプーンで掬って口に運ぶ。美味しい。甘くて、まろやかで、とろっとしていて、後味はさっぱりしている。思い描いていたミルクプリンそのものだった。小さく感動する私に友人は美味しいでしょ?と笑っていた。この時ミルクプリンの呪縛から解き放たれたようだった。

 森永の牛乳プリンは時々買うようになった。毎回美味しさを噛み締めている。だが、牛乳寒天という名称のものへの苦手意識は依然としてある。近所のコンビニにいつも並んでいる牛乳寒天。いつか食べて苦手意識をなくす日は来るのだろうか。気が向いたら挑戦してみるか。

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