ただ「忙しい」と言いたいだけ
「忙しい」って、人に言いにくいしなるべく使いたくない言葉だな、というか使えないなと思う。
自分の忙しさが相手の「忙しい」の基準値を下回っていた場合に、「こいつこれごときで忙しいとかほざいてるのか」と思われそうだから。人によって「忙しい」の定義は違う、頑張れるレベルは違うって頭ではわかっていても、実際自分も「最近忙しくて19時くらいまで残業してるんだよね〜」とか友達に言われると「大変だね(19時に帰れるなら十分じゃないか)」って思ってしまうし、逆にとんでもない時間残業している友達と仕事の話をするときは、口が裂けても彼女に「忙しい」だなんて言えないなと思うし。
それに、「忙しい」ってなんとなく「自分の意思に関わらずこうなってしまいました」というようなニュアンスを感じるときがあるけれど、忙しい状況って自分の選択が招いた結果だったりすることもある。
例えば、私は最近自分の仕事や私生活を「忙しい」と感じているけれど、仕事にそれなりに残業があって繁忙期には結構頑張って働かなきゃいけないことについては入社前から知っていて、それを承知で入ったわけだし、私生活が忙しいのも、自分が入れた予定や自分が受けた友達からの誘いや頼みによってスケジュールが圧迫されているというだけ。私が感じている「忙しい」は、完全に私が作り出したもの、選んだ道だから、因果応報、自業自得、当然の報いということ。
(「忙しい」自慢に腹が立つ要因の一つがこれだと思っている。言葉が強いかもしれないけれど、自分の選択が招いた状況、そうなるとわかっていて進んだ道のはずなのに、さも自分が被害者であるかのように話すことに、私たちは強烈な違和感を感じるのだと思う)
だから、相手と忙しいの基準が同じでない限り、誰もが認めるくらいのハイパー忙しい状況に置かれていない限り、もしくは全くもって自分のせいではなく外的な要因によって意思に反して忙しい状況が訪れているのではない限り、人に気軽に「忙しい」と言うことができない。
でも、「忙しくて、余裕がなくて、なんとなくちょっと辛い」みたいなことをただ人に言いたいだけの時がある。
別に誰かに「忙しい」と伝えたところで、相手が手伝ってくれない限り、何も状況は変わらないし、そもそも自分が選んだ道だということはもちろん理解している。それでも「忙しくて辛い」みたいなことをもっと軽い気持ちで人に言いたい。「いつも何かに追われている感覚がして嫌だ」「忙しすぎて、今自分が持っているあらゆる"やらねば"を全部投げ出して鈍行列車に乗って海でも見に行きたい」。そんなことを軽々しく言いたい。それに対する助言とか「こうするといいよ」的な言葉は本当にいらない。ただ頷いて適当に聞き流してくれればいい。
本当は「忙しい」明日に備えて一刻も早く眠らなきゃいけないはずなのに、これからしばらく続きそうな忙しさを思うと本当に嫌気がさして、もういてもたってもいられなくて、重い瞼を無理やりこじ開けるようにして何ヶ月かぶりに文字を打っている。
全く関係ない話になるけど、
この前会った友達は「自分の人生を生きている自信がある」と言っていた。
自分の人生ってなんだろう。
自分を生きている自信って、そんなものいったいどこから湧いてくるんだろう。
私は、幼い頃から色々なことを自分の意思で選択してきたという実感はあるものの、じゃあ自分の人生を生きていますか?と聞かれたら即答できない。その自信がない。
いつも頭の片隅には選ばなかった道、選べなかった道が思い浮かぶし、その道を辿った先にいる自分は、今の自分よりつまらなそうにしている場合もあるけど、今の自分より輝いていることもあって。あの時あっちを選んでいれば、なんていう、今考えても本当にどうしようもないことをよく想像してしまう。「あの時あっちを選んでいれば」が頭をもたげてくる限り、自分の人生はこれでよかったと信じられる自信は湧いてこないし、今の人生に満足していない自分がどんどん浮き彫りになる感じがする。
いつか私にも「自分の人生を生きている」と胸を張って言える日が来るのかな。「言える日」より「思える日」と言い換えた方が適切な気もするけど。もしくは「これでよかったのかな」と常に思い続けるようなこの日々自体が、もうすでに「私の人生」なのかもしれない。