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もぐったり、持て余したり、ビッグマック食べたり
前日に夜更かししちゃって、寝不足感が抜けなかった本日。
朝マックで「マックグリドル」のベーコンエッグをモバイルオーダーで頼んだはずが、間違えてただのベーコンエッグバーガーを頼んでしまっていて、非常に萎えました。
あの甘じょっぱさがたまらないグリドルを食べるために、わざわざ朝マック行ったのに。
ベーコンエッグバーガー食べてる時は虚無でしたよ、虚無。何しにきたんだろうって。
しかもグリドル食べようと思って、似たような名前の違う商品頼んじゃうのこれで2回目なんですよ。間違えた私も悪いけど商品名も悪い。2:8くらいで商品名が悪い。「グリル」と「グリドル」はさすがに名前が似過ぎなんですよ。モバイルオーダーのあのメニュー画面ではすぐに判別できない。間違い探しですよほぼ。
せめて【】←こういうの使ってくれ。「【グリドル】ベーコンエッグ」みたいに。「ドル」の部分だけ太字にしてくれてもいい。「【グリドル】ベーコンエッグ」。これでだいぶマシになったでしょう。
マクドナルド関係者にこの心の叫びが届くことを祈りつつ、日々を振り返ります。
幸せについての一つの解
昨夜、友達と電話で幸せについて考えました。
ちなみに寝不足の原因、これ。
私の「人の幸せを、共に喜べるような人間になりたい(=今はできていない)」
「自分の幸せのことばかり考えてしまう。そんな自分本位な自分に嫌気がさす」
というお悩み相談から始まった幸せについての話。
話しているうちに、
「まずは自分自身を満たさなければ、人の幸せなど願えないのではないか」
という結論に辿り着きました。
「私は満たされている」と感じられていない場合、きっと他人の幸せに対する思いとして、「幸せでよかった」よりも「自分より幸せそうでいいな」が上回ってしまうのではないか、と。
「満たされている」という感覚がない限り、自分の幸せは他人との比較によって定められる相対的なものになってしまう。そうなると永遠に幸せには辿り着けないし、人の幸せを喜ぶことなどできないのでは、と。
だから、私はまず「人の幸せを喜びたい」と思う以前に、自分のことを満たしていく必要があるのだなと思いました。
満たすというのは、アイスを食べたり、可愛い洋服を買ったり、そういうちょっとしたことで自分を「ごきげん」にするとかではなく、もっと何か、根本的な部分を。
じゃあどうしたら私は満たされるのだろう、私にとって幸せな状態ってなんなのだろうと考えたのですが。「自分をコントロールできている状態」が、私にとっての幸せのファーストステップかもしれない、と思いました。
欲望や誘惑、世間の声や周囲の目に惑わされることなく、自分で自分の舵を切れている状態。
やりたいと思っているのに周囲を気にして遠慮しちゃうとか、失敗した時に自分のことを必要以上に罵倒して傷つけてしまうとか。絶対に食べ過ぎだと分かっていながらお菓子食べちゃうとか、机の上とかクローゼットとか常に整えていたいのにめんどくさくなってある程度の汚さに達したらヤケクソになって余計に汚してしまうとか。そういうのはコントロールできていない状態。
自分の心や身体やその他色々を、他の要因に振り回されずに自分でしっかりと管理していくこと。多分それが、私にとっての「満たされている」条件であり、ひいては人の幸せを喜べるようになることへのスタートラインなのだと思います。
まずは食とか睡眠とか習慣とか小さなことから、自分の面倒をしっかりと見ていく練習をコツコツしていきたい所存です。
いやあ、幸せになるのって大変だ。
資質を完全に持て余している
ストレングスファインダーというものがございまして。
自分の強みがわかるというやつなんですけれども、それを3年前くらいにやった時、私の一番の強みが「内省」と出てきたんです。
で、最近友達数人に「そこまで自分自身と向き合っている人はなかなかいないと思う」というようなことを言われまして。確かに、日頃から自分の行いや言動についていちいち振り返ったり、自分とはどういう人間なのかについて常に考えているし、確かに内省の資質はあるのかもしれないと。まあ内省というか反省みたいになっちゃう時のほうが多いけど。
もっとも、友達にそう言われるまで、わりと本気でみんなこのくらい色々考えて生きているものだと思っていたから、自覚なかったんですよね。
で、内省の資質があることを褒められた時、「(褒めてくれて)ありがとう」とは思うわけですよ。
ただ、この「内省」という強みの活かし方が私にはわからず。完全に「内省」を持て余しているんです。
だってさ、内省してても辛いだけなんですよ。
自分ってこういうところあるなとか、思ったよりできなかったなとか、こう言えばよかったなとか、自分の嫌なところだったり、直したい部分だったり、後悔や失敗、そんなことばっかり考えているから、内省しても最終的に辿り着く先は「あ〜しんど」なんです。
それに、内省って自分の中で行われるものだから、自分1人で完結してしまうんですよ。なんか、論理性とか、コミュニケーション能力とか、協調性とかだったら、他の人との関わりの中で活かせる場面がパッと思い浮かぶじゃないですか。でも内省って。内省を以て他者にどう貢献すればいいんだ?どうしたら内省を人のために役立てられるんだ?
結局は内省って、自分にとってより良い生き方を模索する行為みたいな側面あるから、内省した結果て結局自分だけにしか返ってないんですよね。ここにきてもやっぱり「自分」なのか、結局私は自分人間なのか。
この内省という厄介な資質について、かれこれ3年くらい悩んでるんですよね。
まあ、内省ができるからこそ、深夜に友達と幸せについて語るみたいなことだったり、いわゆる“深い”話をすることができるのだろうな、とは思ったりもする。同じようにたくさん考えてしまう人と繋がれたりもできる。と、思うと悪くない気もしてくるけど。
なんか良い感じの活かし方を知りたいです。わりと切実。
潜るのが得意な人
友達が「(人生において)高みを目指すより、深みを目指したい。潜っていきたい」というようなことを言っていました。
この「潜る」という表現がものすごくしっくりきまして。
働くとか、生きるとか、死ぬとか、幸せとか、そういうことについて考えたり、友達と話したりしている時って、確かに「潜ってる」感じ、する。
暗くて深い海の底へと、コポコポコポと小さな泡を出しながら、一緒に沈んでいく感じ。
水の中だと、陸のように思ったように手足を動かせなくて、ちょっともどかしさを感じるあたりもなんか、すごく、なんていうんだろう。どこか重なる部分があるというか。
いい表現を教わりました。「潜る」。うん。私が好きな友達って、大体みんな一緒に潜ってくれる。潜りスキルがある。
「潜る」を教えてくれた友達とふざけて、これから好きなタイプとか聞かれたら「足が速い人」と同じ感じで「潜るのが得意な人」って言おうかね、みたいなことを話したりもしました。
好きなタイプは、潜るのが得意な人です。
必ず誰かの代弁者
社会人になって二週間経ちました。
新人研修が4日間という異例のスピードで終了し、さっさと配属。
徐々に仕事っぽいことをさせてもらえるようになりました。
今のところ、社会人、ふつうに楽しい。
思ってたより全然辛くないです。元気にやれてます。
(研修はクソつまんなかったけど)
仕事はクライアントワークで、色々な業界の人と関わることになるので、とにかく分野やジャンルにとらわれずに、幅広く情報収集をすることが求められるような職種に就いたんですけれども。
だからこそ、一見仕事に関係なさそうなことや、日常の何気ない瞬間でさえも、自分の捉え方次第で学びにできる。それが楽しいです。24時間学びです。
入社してからの二週間で、学んだことは色々あるのだけど、その中でも印象的な言葉を一つ。
「自分の言いたいことを言うな」
という言葉。
「自分の言いたいことを言うな」
とは、「自分の言いたいことを言うな」という意味ではなく。
(お手本のような進次郎構文)
自分はどういう立場にいて、何を求められているのかを考えた上で発言をせよ、という意味だと私は解釈しています。頭に浮かんだことをすぐに話したり、「自分」個人として発言するのではなく。
お客さんに求められていることは何で、それを実現するにはどうしたらいいのか、自分がお客さんになったような気持ちで考える。お客さんの気持ちになって考えたことは、つまり「お客さんが言いたいこと」です。「自分が言いたいこと」ではなく。
クライアントワークにおいて、自分は必ず誰かの「代弁者」なんだなと思いました。代弁者とか翻訳者とか通訳さんって、自分の意見を言うわけじゃないですよね。何かを伝えたい人がいて、でもその人1人では伝えきれないから、代わりに伝わるように言ってあげる。それと同じなんだなあって。「自分が言いたいこと」ではなく、「クライアントが言いたいこと」を代弁してあげるのが、私の仕事。
きっとそういう意味で、あの社員さんは「自分の言いたいことを言うな」とおっしゃったのだと思います。
そう考えると、自分の言いたいことを言えないなんて抑圧的だ、自分を殺している、それが会社で働くということなのか、そんなんだったら就職なんて嫌だ、みたいに思う人もいるかもしれないけれど、でも私は「自分の言いたいことを言わ」ず、その代わりに「誰かの言いたいことを言うこと」が、イコール自分を殺すことだとは思いません。
どれほど「誰かの言いたいことを言うこと」ができるか、そこに工夫の余地があると思うから。自分の仕事を「いかに代弁者になれるか」というゲームとして捉えると、その方法を模索したり、伝える方を考えたり、試行錯誤が必要になるはずで。その試行錯誤のやり方って人によって絶対に異なるし、そこにこそ、“人間”が映し出されると思うので。
「今自分はどのような代弁者になるべきなのか」
「代弁者となるためにどんな準備をすればいいのか」
「代弁者としてどんな発言をするべきか」
常に自分は誰かの代弁者である、ということを肝に銘じて、明日からの一週間も頑張ってまいりたいと思います。
なんて、日報みたいな書き方で締める。
冒頭に朝マックの話しましたが、実はお昼もマック食べたんです。色々あって。
朝も昼もマックは多分人生初。めでたい。何でも初めてというものはめでたいですからね。
いつもはダブルチーズバーガーなんですけど、今日はなんか分厚いハンバーガーが食べたくって、ビッグマックにしました。
ビッグマック食べるのは、人生2回目。1年半ぶりくらい。
いや、ビッグマックってかなりおいしいですね。
チーズバーガー信者の私でしたが、これからはビッグマックがレギュラーメニューになりそうです。
あと、グリドルリベンジは近日中に必ず果たしたいと思います。
今週も元気に過ごせますように。
では寝ます。
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