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40代から変わる人生「記憶の道具」52

谷川俊太郎さんの詩を覚えていこうと思う

 今月、谷川俊太郎さんがお亡くなりなりました。多くのメディアがこのニュースを取り上げてくれたおかげで、彼の詩集を読み始めました。
 改めてその言語感覚に驚きました。明快なのに複雑。アンマッチな言葉の組み合わせ。なぜその言葉がくるのかと戸惑いますが、美しい。私にはまったくない感覚です。

 このブログで何度か書きましたが、昨年、iPhoneアプリ「キオクの達人」の効果を試すために百人一首を覚えました(5回)。おかげでNHKの大河ドラマ「光る君へ」にときどき潜ませてあった隠し味を味わうことができました(11、12回)。詩情も湧いてきて、この秋には月を観ると古風な和歌が浮かびました。これ、生成AIと同じメカニズムかも、という話も書きましたね(43回)。

 それと同じことをやってみよう。今度は平安時代の和歌ではなく、谷川俊太郎の詩を100ほど覚えてみれば、この言語感覚が少しは身につくかもしれない。と考えています。
 まず手始めは、詩画集「旅」に収録された「鳥羽」の第1作です。

何一つ書くことはない
私の肉体は日にさらされている
私の妻は美しい
私の子供たちは健康だ

本当のことを言おうか
詩人のふりはしているが
私は詩人ではない

私は造られそしてここに放置されている
岩の間にほら太陽があんなに落ちて
海はかえって昏い

この白昼の静寂のほかに
君に告げたい事はない
たとえ君がその国で血を流していようと
ああこの普遍の眩しさ!

 詩人の高橋陸郎さんが、11月21日の日経新聞に忘れがたい作品として引用されていた詩です。高橋さんは、「本当の事を言おうか」ではじまる3行が谷川俊太郎の原点を示していると評しています。自分は詩人ではないという谷川の自覚と孤独が彼を「国民詩人」にしていると。
 私には、「20億光年の孤独」から続く、科学者のようにすべての現象や想像を客観視する視座、その視座さえ客観視して見せるリフレーミングが魅力的です。
 来年の今頃には、少しこの言語感覚が身についているだろうか…。

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