よむということ 3
上の写真の
著者の文章は、
大学入試とか
小学生の問題集とかにも
載ることが多く、
読みやすい内容で結構好き。
最近は、
家で時間を持て余しているため、
いろんな本を引っ張りだして
読んだりしている。
で、
いま現在の自分の程度は、
「うんうん、なるほどね」
「まあ、そうだよね」
「どこかでも、聞いたことがあるな」
という感じで
少し新鮮味がなくなってきた
頃合いである。
「どうしたもんかなー」
と思っていたのだが、
先日
とある方の
note を拝見して、
「あ、、
この人のレベルには、到底達していないぞ」
と感じられ
少し敬服してしまった。
僕は、自分の守備範囲を
もともとのファーストから
セカンドに広げていたくらいで、
外野などには
視界が及んでいなかったのである。
「こういう世界があるのね」
と思って
感心していたが、
読書のレベルを
引き上げていかないといけない。
ただ、
ちょっと私見を述べると、
人が生きていく
日常生活を営んでいく
上において、
おそらく
読書が必要な人と
そうでもない人とに
わかれる気がするのだ。
書物、文章が好きな人は
読み続けていけばよいし、
そうでもない人は
ある程度で切り上げて、
普段の生活において
自身の感覚を頼りに
実践していけばよいだけのことだ。
僕の父親は
昔から
政治経済の記事ばかり読んでいて、
対して母親は
ほぼ本を読まずに
スマホでサクッと
ニュースに反応するくらいである。
太古の昔は
小さな文字なんてなかったし、
書物を読むようになってから
視力が低下してきている、
ということもあるかもしれない。
朝早くに
海辺で魚をとって、
その後
畑で野菜を収穫して、
夜になったら
早めに眠りについて、、
という感じでも
生活することはできる。
(それだけだと飽き足りないから
文字が生まれたのであろうが)
人間はどんどん進化していく。
だけど、
それだけに
無用なストレスにさらされている人も
多いのではないかと。
”二元論”の考え方は、
個人的には
柔軟性が高い、
と感じられるのだ。
以上
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