土丸
年男の終演
つゆ入り~セミの声
自粛生活 5月編
自粛生活 4月編
年男その1
子供の頃から 長らく利用している 神奈川南方のターミナル駅。 駅舎の北半分が横浜市で 南半分は鎌倉市という、 なんとも言えない造りになっている この駅の利用者は多いはずだ。 昔は本当にド田舎で、 治安もあまり良くなかったと聞いている。 今月はじめに 大船~江の島間を結ぶ湘南モノレールが ぶら下がりの懸垂式の状態にて 全線開通50周年を迎えたようだが、 途中の湘南深沢駅にあった湘南ボウルは 老朽化とウイルス禍が合わさって 今年の3月には 営業が終了してしまったようである。
昨年の春の緊急宣言が明けてから 6月のマスク勤務で急激に体が重くなり、 結果として 7月には沈没してしまったという苦い記憶。 そうか。 あれからもう1年が経つのか。 音が耳へと流れ込む イヤホン自体が コードレスではないと マスク共々こんがらがってしまうことがあるが、 まあそれもたいしたことではないのだろう。 好きなラッパーが繰り出す音を耳にして 「なんでこんなトラックを つくることができるのだろう」 とひどく感動するものの、 自分で音を作るようなことをするわけでもなく
「堅苦しい恰好が得意ではない」 とか言って ラクな足元を探してみたものの、 スーツスタイルにスニーカーは やっぱりちょっと違うよな、、 と思っているここ数日。 仕事を変えて もうすぐで2ヶ月が経ちそうな。 結局また とある学習塾に お世話になっている。 このような社会情勢ではあるが、 大人に比べ 子供たちの表情はどこか明るい。 少し前のことになるが、 近所に住んでいる甥っ子(姉の息子)が 増進会かどこかの問題集を携えながら ぶらぶらとやってきたので、 僕が 「わからな
先週あたりに、 新しいカバンを買うために 近場の横浜駅をブラブラしてみたのだ。 とりあえず、 かつてのヤングファッションの聖地 ビブレへ行ってみる。 そう思って西口サイドの 相鉄口からビブレへ向かおうとすると、 長きに渡り相鉄口前の象徴でもあった 証券会社のテナントが 空っぽの状態になっており、 個人的には 「ここまできたのね、、」 というなんとも言えない 哀しい感じがしてしまった。 ビブレ自体はレンガ造りの外観をしていて、 デニム、ジーンズが浸透していた 2000~2
昨日の昼過ぎに、 実姉の下の娘がのっそりと 不機嫌そうに家の中に入ってきた。 小学校の入学式での帰りで、 白色なのか紺色なのかで 散々悩んでしまった経緯がある 晴れ着の姿を おばあちゃん(家にいる母)に 見せるつもりで寄ったようだが、 式とその後に相次いだ写真撮影とで 空腹感も募り疲れてしまったらしい。 ちょうど30年前に僕も、 小学校の入学式当日に 父親が運転する車で学校へ向かうはずだったのだが、 朝早くにその車が ”えんこ” してしまい 結局、母と僕と父(その腕には弟
早いもので あれからもう3年が経つようだ。 はじめはたくさんいた同年代も 少しずついなくなり、 最終的には彼と僕だけになった。 彼は人当たりがよく 言ってみれば ”社交の鬼 ”であって、 誰に対しても つつがなく接するのであった。 それは生来からの 彼の持ち味であるかも知れなかった。 それに比べると、 わりと気分屋である自分は 感情が露わになることがよくあった。 しかしながら、 同い年の彼を見習うたびに 「そんなことでいちいち腹を立てるな、、」 というように 省みるきっ
海を目の前にして佇んでいると、 そこへ身を任せたいという思いと それとは反対に 呑み込まれてたまるかという思いとが交錯し、 結局一歩も動けずじまいの 自分がいることに気がついた。 足下には小さなカニが 横歩きをしているイメージが浮かび、 子供の頃にどこかの川で見た 沢ガニの姿を思い出したが、 両者はどこがどう違うのだろうか。 海岸線に沿ってぼんやり歩いていると、 少し先に落ち葉があることに気がついた。 「春なのにどうして ここに落ち葉が、、」 それは一枚だけでなく、
2021年になってからのここ最近 シーザリオ、ジャングルポケット、ネオユニヴァース といったかつての名馬たちが ことごとくこの世を去っている。 競馬にまつわるニュースがホットなようだが、 ウイルス禍になってからも無観客の状態で JRAはきちんと収益を上げているようだ。 you tube で『かつての名勝負!』といった コンテンツが多くあって ここ最近チェックしていて思い出したのが、、 2008年、僕が24歳の時で 宙ぶらりんな状態が続いている頃だが、 (断っておくが、今
入り口にさしかかった時 果たしてここでいいのか という不安があるように思われたが、 今となってはほぼ覚えていないので まあ内心ではどのようにも 思っていなかったのだろう。 そこから流れてくる音に惹かれて、 さらにその源を探ったり その後に他の人に吹聴してみたりして 動き回ることがあった。 誉められることはあったと思われるが、 半面で何それ、というように 怪訝な表情を差し出す人も多かった。 周りの人間を自己のテリトリーに 呼び込むことができるなんていう風に 思った自分の方が
地元の会津は好きだったけれど、 大学の進学を機に 東京の地へ出てくることになった。 大学では理学について専攻したが、 いざ職に就くという段階になったところで 条件がよい仕事があまり見つからなかったこともあり、 結局のところ、 かねてから興味があった 靴の販売を仕事とすることにした。 販売の仕事では上司、同僚に恵まれて わりと順調で、 数年前から同棲している彼女との仲も 上手くいっていたので、 すんなりと結婚という形まで事が運んだ。 そのうちに彼女との間に子供を授かり、
いつだってそうだ。 目を覚ますと そこは真っ暗で辺りに人の気配はなく、 しーんと静まり返って 己がその暗闇の中に同化していっているのではないか と疑ってしまうほどである。 四方八方、どちらへ進んだらよいかわからず、 だがそこに留まってばかりもいられない。 足下に何か小さな箱のようなものがある気がして ひょいとつまんでみた。 指先の感覚からすると、 それは果たしてマッチ箱のようである。 「とりあえず火を点そう」 そう思って、おもむろにマッチ棒を擦ってみた。 ボウッ
先日ネットニュースで知ったのだが、 加藤浩次が長年MCを務めてきた TBSテレビ『スーパーサッカー』が 3月をもって終了するらしい。(1993年からの28年物) 日本テレビ『スッキリ』の MCのイメージが強い彼だが、 そのサッカー熱は止まるところを知らず、 多忙の中でもヨーロッパサッカーの試合を きっちりチェックしているようである。 他のサッカー番組と比べてみると 『やべっちFC』は Jリーグを中心とした日本サッカーを応援するという アットホームな要素が強めであったのに対
学生の頃に机に向かっていて、 ちょっと疲れると そのまま突っ伏して眠ることがよくあった。 いまでも睡眠時間が足らずに疲労を感じると、 よく電車等の椅子に腰掛けてうつらうつらとしている。 以前は電車内でも爆睡して 気が付いたら降りるべき駅の少し手前で ハッとして起きるということが多かったが、 最近は「半睡の状態」が増えてきたような。 身体は疲れているからほとんど動かないのだが、 (動かしたくないのだが) 意識は少しあって だけれども目はつぶっているという状態。 これが結
自分が持っている服は ベージュとかグリーンが多いと 勝手に思っていたけれど、 昨年の春ごろに薄手のニットを試着していると 「Oさん、またグレーじゃないですか。 他の色のモノも着てくださいよ」 と同僚のKにたしなめられ、 その時は「え、、そうかな」と一瞬思ったものの 帰宅してから折り重なった衣類をまじまじと見てみると 「あ、、確かにグレーが多いな」 と思ったのである。 実は白、黒というはっきりした色は インナーとして着ることはあるものの、 身につける回数は多くない。 一口にグ
僕は時間を見つけると、 近くの眼科へよく行く。 視力が結構悪いのだ。 これでも 中学2年生までは両目で1.0くらいの視力はあり、 小学校の視力検査では 一番上に印字されている視力0.1の「C」の形を見ては、 「あんなドーナツみたいな大きいやつを 見れない人なんているのかな」 というように思っていたけれど、 大学生くらいの頃には その”見ることができない人”に 自分が成り下がってしまうのである。 中学3年生の夕暮れには軟式野球の部活で もはや打球の行方がよくわからなくなり
2021年も2020年の12月31日が過ぎてしまえば 何事もなかったかように始まってしまって、 ただ今年に関しては 「年が明けたなぁ」 という実感はやけに乏しい。 冬になってもマスク着用は慣れずじまいで息苦しく、 ただちょっと思い出し笑いが多くなったところがあり、 口元を覆い隠していても 目元はニヤニヤしているから 周りからすれば「変な人」この上ないだろう。 大学時代に入っていたゼミでは めちゃめちゃ面白い後輩がいて、 グループワークでもよく 仲間にユーモアを振舞っては