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好奇心と勢いで神社に就職した話

ついさっき、30分ほど前。
Twitterでフォロワーさんからご質問を受けました。

いわく、私が巫女になったきっかけを教えてほしいとのこと。

普段であればこうした作品に関するお問い合わせ以外の雑談は長引くと本業に差し障るため、さっくりと短く答えて終わりにするのですが、この質問者のかたがこれから巫女として奉職したいと考えている方だったので、これはきちんとお答えしたいと思いました。

作品や制作活動には直接関連しない宗教に関するお話なので、ご興味のない方はここで読むのをやめていただいて結構です。

今夜は私が神社に就職して本職巫女となるまでをざっくりお話します。

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(巫女3年目、右端が私。舞姫姿の二人はこのあと退職する先輩)

今から20年ほど前、私は大学を卒業してからの四年間、少し大きめの神社で本職巫女として奉職していました。

本職巫女というのはいわゆる正規雇用の巫女のことで、アルバイトのように繁忙期に御札やお護りの授与をするだけではなくて、神前奉仕、舞や神楽の奏上、事務方や衣紋方などの多岐にわたる業務をこなす女性のことです。

正職員なのでもちろん月給制で、シフト制の休みを月8日とりながら働いているのですが、なにしろ本職巫女を雇えるほどの規模の神社自体が少ないのであまり実態がわからない存在かもしれません。

本職巫女の職務は、神前奉仕、祭典や結婚式での舞や楽の奏上、御札場と言われる授与所での頒布(繁忙期にはアルバイトの監督)、外祭の準備や同行、神職や伶人舞姫の装束の準備管理修繕、手水やお茶の接客接待、あらゆる社務雑用…多岐にわたるので一言では言えません。

ただ、中でも舞や楽の奏上は重要な仕事の1つなので、日々先生や先輩に見ていただきながらお稽古お稽古と精進しながら暮らしているのが本職巫女の世界です。

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(巫女長だったころのお点前のようす)



私は今年で43才なのですが、昭和52年生まれの私が就職活動をした頃は就職氷河期真っ只中で、大して知名度のない私立大学の日本文学科なんて卒業しても女子は就職は全く見つからないような時代でした。

上級生が50社以上就職試験を受け続けても一社も決まらない、なんて話を聞いて、私はかなり早い段階ですっぱりと「普通」の就職を諦めていました。

若さ故に小説家になりたいなんてぼんやり思ったりしていたので、大学では文芸を専修して小説や戯曲を書いたりしていたのですが、それも当然のことながらさっぱり芽が出る気配はありません。

このままではきっと、どこでも良いからとにかく働き口を、だなんてつまらない選択をして、納得がいかないまま人生を消費しちゃうんだろうな、と思ったら若かった私はとても恐ろしくなり、このままではなんにも面白くない!!と激昂して、そのままディズニーランドのバイトをすることにしました。

非日常を生きるためにはどうしたらいいのか、という悩みに対して、非常に非常に雑な答えを出したわけです。
つまり、

「現実がつまらないから、おもしろい場所で働けば良いんじゃない?」


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(ディズニーランドでバイトしてた頃の一枚)


今思えば思考が飛躍しすぎているし、若さゆえの短絡かもしれないのですが、そんなわけで単なる好奇心からディズニーランドで大学の4年間バイトをしてみて、自分でも意外な発見がありました。

それまで典型的な日本文学愛好家でインドア派一人でいたい派の私はあまり接客が好きではないと思っていたのですが、お客様の幸せそうな顔を見ていると、その幸せの舞台を作る仕事は、とてもやりがいのあることだと思えるようになったのです。
接客業はチームワークですから、それまでド文化系の私に体を動かし、仲間と力を合わせて働く楽しさを教えてくれたことも大きかった。

これなら、たとえ条件がそんなに良くない場所であったとしても、やりがいを見出して楽しい人生を送れるかもしれない。

とはいえこの就職氷河期に超絶な倍率のオリエンタルランド(東京ディズニーリゾートの経営会社)に就職できる気はしないから、それに準ずるようなワクワクする接客業につきたい。
…でも、それってなんだろう??

そんなことを思うようになった頃、私は天啓に近い一言を友人から受け取ったのでした。

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(初の新嘗祭4人舞、三臈を舞ってる余裕のない裾捌きが新人ぽい)


それは、私の高校時代の部活仲間から発せられた一言でした。

「就職ねえ。いろんな仕事があるけどねえ。そういえば私の幼なじみさあ、あの神社で巫女長やってんだよね」

巫女長!!

その響きの強さ。
巫女さんという非日常的な仕事をしている人が友人の身近にいるのも面白いし、しかも、その巫女を束ねる長だなんて、一体どんな人なんだろう。
絶対会ってみたい。会わなければならない気がする。会いたい。会って話を聞いてみたい。

そんな食いつきを笑っていた友人でしたが、親切に取り次いでくれて、巫女長さんと一緒に遊ぶようになったのが大学三年生の冬でした。

まさか、その巫女長さんの次の代の巫女長に自分がなるとは、その時点では思っていませんでしたが。

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(巫女2年目、右端が私。厳しい一年で激痩せした…)


巫女長さんと知り合って、いろいろな話を聞いているうちに、そのころ大好きで通っていた狂言のような伝統芸能の世界に通じるものを感じて、徐々に神社で自分も働きたいと思うようになりました。

なにしろ、神社の中では圧倒的に多い仕事はお祭りやお祝いに関することで、それは私が「お客様の笑顔を観られる接客業に就きたい」という気持ちとがっちり合っていたのです。
また、年齢制限による定年があるのも良かった。
そこを老いるまでの安住の地とするのではなくて、若いうちにしかできない仕事を、若いうちにだけする。その後はまた別の何かに進化するための、濃い時間を過ごせる気がしました。


ただ、当時はその巫女長さんのように本職巫女の世界は圧倒的に高卒の女性が多くて、大卒の採用枠がほとんどなかったので、巫女になりたい!!と思えどもどうしたら良いのかは悩みどころでした。

なにしろ巫女は未婚の若い女性(大抵20代後半くらいまで)しか務められませんから、若いうちから務めないと舞や楽を覚えてもすぐ定年になってしまい、もったいないのです。

昨今では巫女を上がったあとも経理部や事務職にするためには大卒のほうが良い、と考える神社もあると聞きますが、神社側も大卒よりは高卒の女性を優先してとっていた時代でした。

ただ、可能性はゼロではないと思ったので、私は最終手段に出ることにしました。

つまり、正面から行っても突破できないのであれば、ありとあらゆるコネをたどってたどってたぐり寄せて、トップを攻めればよいのではないか。

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(巫女長だったころの私。前髪上げているのはこの後舞姫で簪をつけるため。巫女長は中間管理職なので書類仕事が多めです)


いくら大きいとはいえ地元の神社ですから、古くからこの地に住まう自分にもどこかで遠い縁があるのではないかと考えた私は、調べに調べて電話を各方面にかけまくり、かなり遠い親戚に神社の関係者を見つけ、渋る父を説得して親戚に話をつけてもらい、私は宮司さんと禰宜さんに直接アポイントをとることに成功しました。

今から考えると本当に恐ろしくなるのは私のこういう思い切りの良すぎるところで、普通はある程度以上の規模の宮司さんが巫女志望の個人と会ってくれることなどはまずありません。

たまたまその親戚が古くから神社と関係のある家で、なおかつ、タイミング的に偶然が重なってそういう流れになったのですが、なんだかんだあって初の大卒採用候補として試験を受けさせてもらえることになり、トントン拍子に就職が決まったという次第。

思いが強ければ、そしてそれに見合う行動力と戦略さえアレば、意外になんとかなるものです。


そんないわばチートを使っての就職ではありましたが、ここから私が言えることは一つ。

なりたいと本気で思ったらどこかに突破口はあるし、そうして知恵を絞って就いた職では得るものはとても大きい。ということです。


神社では本当に様々なことを教えてもらいましたし、若いうちにあれだけのきつい思いをしておいてよかったと今では思っています。

特殊な職業に本気で打ち込んだ経験は、人生に深みを与えてくれるのかもしれない…などと思うこともあります。

今の私の制作活動にこのような過去がどれほど影響しているのかはまあ、わからないですけれど、やってみたいと思ったことに対して素直に全力投球することの大切さは学べた気がします。

お若い、これからの将来に悩んでいらっしゃる本職巫女志望の方のご参考にはあまりならないかもしれませんが、以上が私が巫女になった経緯です。
辛いことや苦しいこともたくさんありましたが、今となっては若い頃にやりたいようにやっておいてよかったと思っています。


……人生は思い切りよく、自分の生きたいように生きたもの勝ちだと思うんですよね。

もちろん、自由に生きるためにはある程度の戦略は不可欠ですが、そこさえちゃんと練れば案外面白い経験ができるのが、この世の楽しさではないかなと私は思います。


就職活動、頑張ってくださいね。

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時計荘
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