おいしいミステリー
子どものころからミステリーが好きで、図書室に並んでいたミステリー小説を読み漁っていた。小学校の図書室には、コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」や、アガサ・クリスティーの「名探偵ポアロ」などの有名ミステリー小説が、児童向けに分かりやすく翻訳されて並んでいた。
これらのミステリー小説には、しばしば食べ物が登場する。例えば口ひげが特徴的な名探偵エルキュール・ポアロは大のチョコレート好きだ。
チョコレートといっても、コンビニに並んでいる12粒入りのチョコレートなどではなく、ショーケースに入ったボンボンショコラのような高級チョコレートだ。
エルキュール・ポアロシリーズには「チョコレートの箱」というまさにチョコレートを題材にしたミステリーも存在する。
ポアロが私立探偵を始める前、警官だった頃のお話で、大臣の男が知人と食事をした後に、好物のチョコレートを食べて急死してしまう。そこでポアロは事件解決に乗り出すのだが、この事件の解決のカギはまさにタイトルのチョコレートの箱にある。
このように食べ物を扱うミステリーというのは、意外に多い。
「シャーロック・ホームズ」シリーズには、やたらとお酒が出てくる。ホームズとワトソンが酒を酌み交わすのはもちろんのこと、ホームズの元を訪れる依頼人はしばしばホームズの前で気を失ったり、ヒステリーを起こしたりする(女性の依頼人に多い)。
そこでホームズはストックされているブランデーを気付け薬として、依頼人の口に含ませるのだ。
倒れた人に微量のアルコールを気付け薬として与えるという方法を、ホームズを通してはじめて知ったように思う。
さらに、アルコールを摂取する表現が独特である。原文でどう書かれているかは分からないが、しばしば「ブランデーを舐めた」という風に、お酒を舐めるという表現が使われる。
幼心にお酒は舐めるものなのか、と疑問に思っていたが、ブランデーのような度数が高く高級なお酒をちびちびとやることを、舐める、と表現していたのだろう。
「シャーロック・ホームズ」であったかは記憶が曖昧だが、"〇〇は戸棚からコニャックを取り出し、カミュの封を切った"という一節があった。
コニャック、カミュ、何なのかよく分からないが、字面がかっこいい。しかも蓋を開けたのではなく、封を切った、である。
よく意味は分からないが、かっこいいお酒としてぼんやりと脳裏に記憶されていた。
今改めて調べてみると、コニャックとはフランスの南西部コニャック地方で作られるグレープブランデーのことであるらしい。
そのコニャックの人気銘柄のひとつが「カミュ」なのだそうだ。「カミュ」に並んで「レミーマルタン」や「ヘネシー」などの銘柄も、コニャックなのだそう。
ブランデー四天王みたいな感じで、やはりかっこいい。
大人になってから、コニャックやカミュの正体が分かるわけだが、アガサ・クリスティーの小説「コーンウォールの毒殺事件」にも、当時は正体が分からなかった食べ物が登場する。
オートミールである。
現代となっては、日本でもオートミールは米に代わる主食としても市民権を得て、その実態は広く知れ渡っている。しかし、子どもだった当時は、その正体が皆目見当がつかなかった。
オートミールのお粥を食べた夫人が、体調が悪くなり、何か薬物を混ぜられているのではないかと疑い、名探偵ポアロの元を訪ねる。そこでポアロは調査に乗り出すのだが、子ども心に「オートミールって何?お粥ってことは米っぽいってこと?」と疑問に思った。
今では米風に扱える食材であることが分かっているので、ミルクや豆乳に甘味を足してレンチンしておけば、お粥として食べられることは知っている。
当時は謎のまま、オートミールという名称の食べ物がある、ということだけが記憶に残った。
再びオートミールを目にしたのは、確か同じくアガサ・クリスティーの作品だったと思う。元貴族でありながら没落した夫人とその子どもは、住むべき家を探していた。そんな時、なぜか格安の条件で豪邸を借りられることになる。条件は、執事込みでその豪邸を借りること。半信半疑でその豪邸に移り住むのだが…というお話。
夫人が家について描写するシーンで「オートミール色の壁紙」という表現が出てくる。お粥にもできる、オートミールという謎の物体の色をした壁紙!?それ何色!?と、子どもながらに空想した記憶がよみがえってくる。
今となっては、薄めのブラウンカラーであることが分かるのだが、当時の自分にとっては、壁紙の色は未知の色だった。
このように、ミステリー小説には食べ物や、食べ物をメタファーとした描写がたくさん出てくる。食いしん坊やお酒好きの胃袋をほどよく刺激してくれるし、子ども目線で見ると、未知の食べ物が登場し、好奇心をくすぐられるのである。