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リーダーとは、僕らにとって生贄である。
子供の頃に将来の夢を聞かれて、
「総理大臣」
と答えた人はいないだろうか。
僕の周りにもいた。
1番偉い人。
王様。
何でも人に命令を下す事ができて、自分の言う事に皆従ってくれる。
きっと小学生の頃、そんな存在になりたいという野望を、誰もがちょっとでも思った事はあるはずだ。
でも僕は、絶対にそんな存在になりたくないと固く思った事を覚えている。
なんなら、学級委員長だって絶対にやりたくなかった。
学級委員の選抜なんて、最初は先生が
「誰かやりたい人はいるか?」
と先生が聞いて、クラス中がシーンとなるまでがワンセット。
当たり前だ。誰もそんなめんどくさい事やりたくない。もっと言うと、誰もそんな目立つような事をやりたくなかったのだと思う。
これが中学生になってくると、自分から学級委員に立候補するやつが出てくる。
内申点目当てかと、穿った見方をするくらいに自分の性格が捻くれていくのはもう少し先の話だが、当時の僕は、自分から学級委員に立候補するクラスメイトに感謝していた。
何故なら誰も立候補者がいないと、必ずその後には推薦が待っているからだ。
先生が言う。
「じゃあ、クラスの中で、この人に学級委員を任せたいという人はいるか?」
僕はこの学級委員の推薦制度が大嫌いだった。
小学生の時に、危うく推薦制で学級委員になりかけた事があった。
推薦で学級委員に選ばれたクラスメイトを可哀想だと思った記憶がある。
自分がやりたいと言ってやるのと、
なんで自分がやりたくない仕事を、他人に押し付ける事が出来るのか。
そしてそれは今でも続いている。
今現在、僕が働く職場で、僕も部署長を任された事がある。上司からの推薦だった。
周りの人から反対される事もなく、僕は部署長を2年程やらせていただいた。
さすがにその時は、もういい年こいた大人だし、甘んじてリーダーの地位を受け入れた。
でもリーダーをやっていた2年間はやはりしんどかった。
自分の部署で起きるすべての問題に対して、リーダーは責任を持たなければならない。