新任紹介/ ヴァン・ロメル・ピーテル 明治期の教育と文学からわかること
4月にコミュニケーション学部の特任講師に着任したヴァン・ロメル・ピーテルです。出身地はチョコレート、ワッフル、ビールの王国と呼ばれているベルギーです。東京経済大学では主に英語の授業を担当し、またそれに加えて日本における近代教育と近代文学について研究します。
私が担当している授業には「英語コミュニケーション」、「総合英語セミナー」、「英語講読」、「Advanced English」などのほかに、「アカデミック・ライティング」、「Academic English」、「English & Culture」も含まれています。レベルは初級から上級に渡りますが、落ち着いた雰囲気の少人数のクラスで英語の4技能を集中的に学習することが共通点です。言語学習を効果的に行うために、可能な限り「authentic materials」、すなわち「本物の英語」を教材として用いることにしています。中級・上級英語の授業では、新聞記事や雑誌記事、学術論文などを使いますが、ほかの授業でも広告やCM、地図、歌、テレビシリーズ、YouTubeの動画などを積極的に取り入れて「生きた英語」に触れる機会を多く提供します。また、授業自体も基本的に英語で行われています。授業を受けることだけで、海外に行かずとも気楽に「留学」の体験ができるというコンセプトなのです。
私の授業のもう一つの特徴は言語学習にとどまらず、内容を重視するということです。言語の学習は常に文化の学習でもあるため、外国での日常生活、文化、歴史、社会構成、教育制度などについて基礎的な知識を身につける必要性もあります。学生とともに英語での多彩な資料に触れつつ、言語能力を生かして、人生や世界について多面的な考察を試みて、人間と社会に関する理解を深めることを教育活動の最終的な目的とします。
人間と社会についての理解を深めることは研究活動の目的でもあります。私は特に明治期の日本における近代教育と近代文学の発展と変遷過程に注目して、近代社会の特徴、可能性、問題点を検討してきました。たとえば、テレビやインターネットのない明治時代においては、急激な社会変化と格闘するために雑誌や文学が人々の生活の中で重要な媒体として機能したと言えます。学生や青年だけではなくて、地方で孤立感を覚えた小学校教員なども熱心な文学読者層を形成したのです。私は明治期における地方教員の生活実態を明らかにして、教員たちがどのような文学作品を読んだり自ら創作したりしたのか、文学が教員たちにとってどのような意義をもっていたのかを究明することによって、近代社会の柱でありながら周辺的で平凡な生活を送った無名の教員たちの観点から、近代生活と近代社会の複雑な歴史と多様なありかたを考え直しました。
日本の地方教員が読んだり執筆したりした文学作品は、当時の教育雑誌で見つけることができます。たとえば、『教育界』は充実した文芸欄を設けた教育雑誌として、読者であった教員のために永井荷風のような新進作家の短編も掲載することがあったのです(写真1と2を参照)。
(写真1)教育雑誌『教育界』の表紙(2巻10号、1903年8月)
(写真2) 永井荷風の短編「梅の黄昏」(『教育界』2巻10号、1903年8月、78頁)
なお、日露戦争後、忠君愛国主義的な精神をもつ地方教員を理想的な教師として描く単行本も出版され、教師たちに対して宣伝されました(写真3を参照)。
(写真3)小泉又一『教育小説 棄石』(同文館、1907年)の広告。『教育学術界』15巻5号(1907年8月)、丁の5頁。
文学はラジオやテレビ、インターネット、ソーシャル・メディアなどの浸透に伴って、現在姿をほぼ消してしまいましたが、文学や雑誌の代わりに、写真、動画、オンライン・メディアなどが現在の社会において重要な媒体として多くの人々の生活の中で機能しています。そうした媒体も学生とともに読んだり、分析したり、議論したりすることを今後の教育活動と研究活動の課題としたいと思います。
(ヴァン・ロメル・ピーテル)