大学生×伝統野菜 飛騨美濃伝統野菜『南飛騨富士柿』
東海学院大学管理栄養学科の飛騨美濃伝統野菜プロジェクトチームの学生です。今日は大学のある岐阜県各務原市から車で2時間上した岐阜県下呂市の飛騨美濃伝統野菜『南飛騨富士柿』を学びにやってきました。
飛騨美濃伝統野菜『南飛騨富士柿』の畑に残された椅子
岐阜県には現在32の野菜・果物が飛騨美濃伝統野菜として認証されています。その中の1つである『南飛騨富士柿』。今回、生産者の方にお話をお伺いしようと思いわかったことは、生産者の方が6年前にお亡くなりになっていて、もうだれも生産をしていないという現実です。
『南飛騨富士柿』について学ぶ
今回、私たちが飛騨美濃伝統野菜『南飛騨富士柿』学びにくるということで、下呂市役所の方が、今はだれも管理していない『南飛騨富士柿』の畑の草を刈り、整備をしてくださったそうです。感謝の気持ちでいっぱいです。また、今回、下呂市役所様、下呂農林事務所様、生産者の方の娘さんから『南飛騨富士柿』のこと、生産者の生前の生産の様子をお伺いすることができました。本当にありがとうござます。
『南飛騨富士柿』は、10月下旬~11月上旬頃に収穫される不完全渋柿で、果実は四角ばっていて1個350gにもなるそうです。果皮には小黒点ができるという特徴があるそうです。『南飛騨富士柿』の名前の由来は、先がすぼんだ形が富士山に似ていることから「富士柿」と名付けられたといわれているそうです。
『南飛騨富士柿』の栽培が、いつ頃どのような経緯で始まったかは定かではないそうですが、昭和5年頃から指導者の存在もあり、本格的に普及し始め、昭和20年代には、富士柿の干し柿が「益田枯露柿(ましたころがき)」という名称で大阪市場にも出荷されていたという記録が残っているそうです。その後、昭和60年代、旧荻原町で「南飛騨富士柿生産組合」が発足し、旧荻原町の特産に使用と産地拡大を推進し、平成13年頃には1万本の産地となり、平成14年には乾燥加工施設を設置して、安定して品質の高い干し柿の生産が可能になっということですが、少子高齢化や担い手不足により縮小し、最後の出荷記録が8年前で、約10 tの『南飛騨富士柿』が出荷されていたそうです。
高齢化と担い手不足で生産者がいない『南飛騨富士柿』の収穫
今回、生産者の娘さんより許可をいただき、私たちプロジェクトチームのメンバーで収穫をさせていただけることになりました。
私たちプロジェクトチームの学生の感想です。
「生産者の方の高齢化や担い手不足によって、飛騨美濃伝統野菜が将来的にどのくらい残っていくのだろうか・・・と考えるようになりました。日本の少子高齢化、過疎化、担い手不足の課題について、深く考えさせられました。」
「たくさんの立派な南飛騨富士柿が畑に実っていました。生産者が誰もいなくなった柿の畑に実るたくさんの南飛騨富士柿を見て、とてもさみしい気持ちになるとともに、この『南飛騨富士柿』を伝えていかなければいけないと思うようになりました。」
「南飛騨富士柿をたくさん収穫させていただきました。この柿を無駄にせず、伝統の干し柿をつくり、多くの方に生産者がだれもいなくなった南飛騨富士柿について、伝えていこうと思いました。」