ネット・SNSに何を書くか
きっかけ?は1年くらい前だろうか。
Twitter(X)で一方的にフォローしていた方がいて、その方は最初フォローしたときは中高生のお子さんのいる母親で、中高生を持つ母親の日常を知りたくてフォローしたつもりだった。
その後その方のお子さん(男子)が大学に進学し一人暮らしを始めて、大学受験の諸経費だとか、大学の学費だとか、一人暮らしの準備費用だとか、仕送りだとか、そんな情報を眺めていたつもりだったが、あるとき、アポなしでお子さんの元を訪れたら玄関に女物の靴があり、友達が来ているから、と言われて玄関先で荷物を渡して帰ってきた、と。
その投稿に対して、リプ欄は、彼女!?とか、ビックリだね!とか、盛り上がっていた。
わたしはその投稿とリプ欄があまりにも衝撃的というか、嫌な気持ちしかなくて反射的にフォローを解除した。ミュートかブロックもしたかもしれない。
わたしも大学時代一人暮らしをしていたので、自分の親がネットにそんな書き込みをして見ず知らずの誰かと盛り上がっていたら○にたいわ…そんな気持ちになった。
それがたぶん1年くらい前で、それを見た後もわたしは、ずっと鍵をかけてはいるものの、小学生の我が子たちとの暮らしについて、わたしが感じたことを中心にフツーの日常についてTwitter(X)にいろいろ書いていた。
書きながら、あの投稿を見た衝撃はときどき思い出していて、わたしが今ここに書いていることと、あのときあの人が書いていたことは何か違うんだろうか?あれを見て感じた嫌な気持ちと、今わたしがしていることは矛盾しないんだろうか?と、ずっと考えていた。
20年以上、ネットとともに生きてきて、掲示板に書き込んだりブログを書いたりSNSに投稿したり、多少形は変えながらも、その時々の日常をネットの大海原に流してきた。
友達との日常、好きな人ができて付き合って別れての日常、学生生活、社会人生活、結婚生活、子育て、・・・いつだってネットとともにあって、そのときどきのトレンドによってブログやSNSにHNで書いたり実名で書いたり匿名で書いたりいろいろだけど、自分の思ったことを好きなように書いてきた。
ネット空間ではいつでも自由でいられたような気がする。
しかし、ついに状況が変わった気がする。
時間の経過というのはおそろしいもので、以前は親だったり上司だったり友人だったり、自分より立場が上~同格であろう人との関わりを綴っていたのに、もはや日常は、我が子だったり我が子のまわりだったり部下だったり後輩だったり、自分よりも弱い立場であろう人との関わりが大半になっている。
書きたいことが
親にひどいことを言われた
上司にひどいことを言われた
から
子が言うことを聞かない
部下が言うことを聞かない
に変わると、今までのように好き勝手ネットに書けない…
いや違う。そもそも上とか下とかで分けるものでもなかったんだと思う。
自分より立場が上の人のことは何を書いてもいい、下の人のことは何も書いてはいけない、そんな線引きもわたしが今勝手に感じているだけで、ワールドワイドウェブの世界に上も下もあるものか。
プライバシーとはなんぞや。
まあ結局今の気分で言えることは、目の前の大切な我が子たちのことを親が勝手にネットの大海原に流すのをやめる。
それくらいなのかもしれないな。
それでいい、うん。
そんなこんなで2月に入って親の狂気やそれを見る野次馬の喧騒から離れるべく、Twitter(X)から距離を置いている。
少しだけログインしたら千葉県知事がこんなことを書いていて、そうそうと100万回頷いてまたログアウトした。
わたしが目下我が子たちのことで書きたいことと言えば…コロコロ3月号をどっちが買うかで揉めた小学生男子は可愛いな、くらいである(掲載許可済)。コロコロを所有したい気持ち、大事にしよう。