読書リハビリ:エッセイが読みたい 追補編
文學界9月号の特集、エッセイが読みたいの追加分。
その後、エッセイについての論考と、文学フリマでエッセイを買うを読んだら面白かったので追加分を書いてみました。
エッセイについての論考
定義を拒み、内部に聞け:宮崎智之
エッセイの成り立ち、歴史、海外での扱いなどについて。
こちらでも、能町みね子が取り上げていた酒井順子の「日本エッセイ小史」にあたったりしており、これもいずれ読んでみたいと思った。
それによると、映画監督の伊丹十三が書いた「ヨーロッパ退屈日記」が随筆をエッセイに変えたとあった。
これまた気になる本が出てきてしまった。
さて、当初の疑問、随筆、コラム、エッセイの違いについてが、まさにこの論考で解決されていたのです。
これが純粋なエッセイではなかったので、「まあいいか」と読む前に前回の読書リハビリを書いたのだけど、これを読んでみたらなんともすっきりと解説されていたので取り上げておくべきかと。
これはわかりやすい。
コラムとエッセイの違いを端的に説明している。
ぼくが随筆、コラム、エッセイの区別がよく分からなかったこともあるし、自分のことを書いていたり、出来事や物事についてであったり、やや小説っぽくあることも全てエッセイがあやふやゆえに成立するのかもしれない。
そしてこの論考。
最後に現在のシーンについても言及していた。
文学フリマは盛んになり東京、大阪、福岡、岩手、札幌、京都、広島の7都市で開催されて、今年の第36回では来場者数が1万人を超えた。
これは知らなかった。
そして文学フリマにも俄然興味が湧いてきた。
文学フリマでエッセイを買う
物語としてエッセイを読む:高瀬隼子
上記の流れで、こちらも。
これを読んで、少しだけ文学フリマへ行くのを躊躇うところもある。
あまりに混雑するのは辛いと。
でも来年の東京での開催は行ってみようかと思う。
この中で、高瀬隼子が購入した1冊が非常に気になった。
「文集・バイト」生活綴方出版部
ぼくも同様に朝の飲食店でのアルバイト経験がある。
その際に毎朝同じものを頼むおじさんがいた。
最初は「またあのおじさんだ、今日も同じものを注文するんだろうな」としか思わなかったし、それを友人に話すくらいのものだった。
でもいつからか、
おじさんの朝のルーチーン。
そこに自分のアルバイト先、そして自分も含まれていることに恐怖を覚えた。
この紹介はあくまでも高瀬隼子の書いた部分のみだったので、この恐怖の具体的な正体を知りたくなって、ぼくはこの同人誌を早速探して購入した。
もしかすると、感じているものは異なるのかもしれないけれど、あの時垣間見た深淵とその正体をもう少し知りたくなってしまった。