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読書リハビリ:急につめたくなるもの
文學界2023年12月号に掲載されていたエッセー。
これはグッときた。
急につめたくなるもの:小原晩
文學界のAuthor's Eyeという1ページのエッセイ。
短いながらも、いや短いからこそ、グッとくるものがあるので見逃せない。
そしてこういう短いエッセイこそ、どこに収録されることもなく彷徨っているのではないかと思う。
さて、この「急につめたくなるもの」は、著者の父親の死にまつわる話だ。
これは好物だ。
前田隆弘の「死なれちゃった後で」を読んで以来、「これ好きなやつだ」と気付かされた死にまつわる話。
これは父親が亡くなった後の葬儀にまつわる話。
グッときたエピソードはこれだ。
火葬場には何人かの親戚が集まっていて、まみどりのジャージ姿でやってきた良一さんは肩にかけたタオルでぴかぴかの涙をふいていた。
光さんは醤油味の生ラーメンを棺のなかに入れた(父はラーメン屋さんだったから)。さらに光さんは「一応これも持ってきたんだけど」と煮卵とチャーシューとメンマの具材セットも入れようとするので、それは断った。
なんと素晴らしいエピソードだろう。
ぼくもそれなりの年齢になったので、葬儀に参列したり、近親者が亡くなったり、父親を亡くしたりしているのだが、こういった場面には出会ったことがない。
出会いたい。
流石にお笑い芸人のようなエピソードに出会うことはないだろうが、こういう話は大好物だ。
この場合、やはりベーシックな醤油味がいいのか、それは自分の好みなのか、故人の好みなのか、マナー講師に確認しておきたい点である。
思い返すと、親族でも孤独死する人が数人いた。
年末に妻の実家に帰っている際に、義父の兄弟が亡くなっていたことがわかり急遽葬儀に加わった。
葬儀というか、火葬場直送のようなもので、特に参列する人もなく事務的なものだった。
全ては義父が仕切っていて特に何をするわけでもなかったが、急遽の参加だったので、ぼくは真っ赤なジーンズを履いていた。
今にして思えば、ユニクロで黒っぽい服を買うとかもあったのだけど、義父に「そのままでいいよ」と言われたことに甘えてしまった。
しかし、真っ赤なジーンズって。
著者は故人である父親の遺言を思い出す。
「俺が死んだら和太鼓でもたたいてくれよ」そう言ってハンドルを握る父の背中を覚えている。
「どんどこどんどこ叩いてあげる」即答した母の背中を覚えている。
そして頭の中で和太鼓を叩く自分を想像してエッセイは終わる。
ぼくにはこんな家族の会話がなかったので、非常に羨ましい。
父と母の会話で覚えているものなど全くなかった。
そのせいもあってか、父親が亡くなってから、母は「こういう風に思っていたのかな。」とか、「こういうことだったのかな。」と無理に想像した。
それはどこか的外れな気がしたが、それは子供から見た父の姿で、母から見た、「夫の姿」の父はどうだったのか、それはもう故人にしかわからない。
夫婦の会話、家族の会話って当たり前だけど大事なのだ。
ぼくが死んだ場合、「あの人はSEだったから」とキーボードとマウスを入れるような親族はいるだろうか。
それは流石に火葬場に断られそうだ。
これは明確だが、死んだ時に棺に入れてほしいものなどない。
ああ、なんか1冊繰り返し読めそうな本を入れてもらうというのはいいかもしれない。
が、少しカッコつけすぎかもしれない。
エッセイ面白かったので、小原晩のことを少し調べた。
エッセイ集、気になるので買ってみようかと思う。
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