4分18秒の冒険
◇
「だからさあ、頼むよ、ハトリちゃん。出よ? せっかく当たったんだからさあ」
ササキ・アラタは大げさに私を拝んだ。
私のデスクの上に、一枚のハガキがある。
「『シング・フォー・ザ・ドリーム』出場決定のお知らせ」
それは、出場者が歌唱力を競う、歌手志望者の登竜門として有名なテレビ番組だった。その番組に、どうやらこの私が、出場する権利を得たらしい。
「バカ言わないでよ、何勝手なことしてくれてんの?」
私はアラタを睨み付けた。
アラタは会社の同期で、長年の付き合いだが、時々思いもよらない行動を取る。こいつはなんと、勝手に私の名前を使って、番組出場のエントリーを行ったのだ。
「だってさあ、ハトリちゃん、歌超上手いじゃん? 俺びっくりしたもん」
あれか。私は胸の内で舌打ちした。
毎年恒例の、会社の新人歓迎会。二次会はカラオケで、私は上司に無理矢理誘われ数曲を歌った。こいつ、聞いてたのか。
「だからって、勝手に応募する? 普通」
「えーだって、もったいないよ、あんなに上手いのに! それにハトリちゃん、好きでしょ、歌うの。見ればわかるよ」
私はため息をついた。
確かに、私は昔から歌が好きだった。小中学校では合唱部、高校・大学では軽音部でボーカルを務めた。
好きなジャンルは、ロック・ソウル・ファンク。パンクとメタルも少々。
私は今でこそ、地味で大人しそうな外見をしているが、あの頃は相当尖っていた。若いからできたことだ。
プロの歌手になりたい。そんな夢を抱いたこともあったが、長くは続かなかった。社会人になってからは、人前では歌わないと決めていたのに、あの日は酔っ払い達におだてられて、つい、いい気になってしまった。
それが、こんな事になるなんて。
「えっ、ハトリさんテレビ出るの?」
不意に現れた同僚が、ハガキをかっ攫って騒ぎ始めた。何事かと他の社員も寄ってくる。
「ほら。もう出るしかないよね?」
アラタが勝ち誇ったように笑い、私はその頭をひっぱたいた。
◇
「やっぱ林檎ちゃんかな。一番似合うよ」
二人きりのカラオケボックスで、アラタは言った。
練習と称してさんざん歌わせた挙げ句、勝手に曲を決め、勝手に作戦を立てている。
「俺、マジだからね。ハトリちゃんなら絶対優勝できる。衣装は……そうだな、何かパンクっぽいの着ようよ。うん、カッコいい!」
一人で盛り上がっている。
「ねえハトリちゃん、ちょっとそこ立って」
アラタが部屋の奥のステージを指し、私は重い腰を上げた。
「横向いて、そう、マイク立てて、横目で客席見ながら歌ってよ。本番だと思ってさ」
悔しいが、私はさっきから、すっかり音楽に昂っていた。ミラーボールのきらめきは、学生時代何度も立ったステージを思い起こさせる。
イントロが始まった。MVに映る真っ赤なルージュを引いたナースが、その拳でガラスを突き破った時、私の中の最後のためらいが、音を立てて砕け散るのがわかった。
そうだ、私は歌手だ。どうして忘れていたんだろう。
アラタが、真剣な目でこっちを見ている。私は、その目を見つめ返しながら歌った。
誘うように、沸き立たせるように。そう、もっと、もっと魅せつけて。
私は胸の内に、遠い日の夢が再び燃え上がるのを感じていた。
◇
「ハトリちゃんなら絶対やれるよ!」
本番当日、アラタは私の肩を叩いて言った。
「客席で見てるからね、がんばって!」
「……ありがと」
私がそう言うと、アラタは一瞬驚いた顔をしたが、すぐににっこりと笑った。
私は、大きな拍手と共にステージに立った。
不思議と緊張は無かった。ただ、懐かしい高揚感だけが、私の身の内を駆け巡っていた。
マスカラを幾重にも乗せた睫毛が重たい。私は、スポットライトに目を細めながら、満員の客席を睨み付けた。
さあ、聞け。これが私の歌だ。
4分18秒の冒険が今、始まる。
椎名林檎の「本能」のMVは4分18秒あるんすよ。(←歳がバレる)
↓今回もボツ!負けない!お題は「冒険」。