見出し画像

故郷がないという寂しさ

このnoteをご覧の皆さんは私のコアなファンの方ばかりなので、私の生い立ちはよく知っているだろうと思います。
それゆえほとんどのことは省略しますが、私は生まれ育った環境的に地元に愛着もなければ、良い思い出もない男です。

帰る家も家族も親戚もないので、すでに20年近く行ってない(仕事で同県内に行ったことはある)場所でしかありません。
記憶もかなり薄れていて、どこに何があったかよく思い出せなくなっています。

私の兄弟たちは小学生くらいからほぼ他所の家庭の子として生きて来た感じなので、それぞれがすでに絶縁状態です。
詳しく調べてはいないですが、たしかもう戸籍もバラバラになっているはずですから実質的には他人です。
私自身、もう顔も名前も思い出せないくらいです。
街で偶然すれ違っても気付けない自信があります。

おそらく私達の共通点は、あの場所が嫌いということだけでしょう。
思い出すと苦しくなる地域でしかないからです。

今後も生まれ育ったあの嫌な場所には帰らないと思いますし、帰りたいとも思っておりませんが、ふとしたときに「自分には古里や故郷と呼べるところがないな」と考えてしまいます。

お盆とか年末年始になると知人たちが里帰りをするので、そのときにふと考えることがあります。
毎年のように帰りたくなる故郷があるという感覚はどういうものだろうかと。

うちの管理人ちゃん(秘書)は東京生まれ東京都北区育ちなので、東京都北区周辺が地元という感覚があるそうです。
北区付近に行くといつもテンションが上がって、自慢気に土地の説明をしてきます。
私自身は北区に全く興味はないですが、いつも楽しそうに語っているので聞いてあげています。

また、あの子は祖父母が埼玉県民(熊谷付近)なので、熊谷付近も故郷という感じがあるらしいです。
そのため、埼玉北部も故郷の一つだそうです。

同時に二つも故郷がある羨ましいやつです。

私は家出をしたあと、首都圏を数年ごとに転々としてきたので、自分の故郷という感覚がわかりません。
どこにいてもよそ者という自覚がありますし、東京はすぐに街の形が変わるので懐かしいという感覚もありません。
10年経てば知らない別の街って感じです。

ここが自分の帰る場所だ、故郷だという感覚をいつかは得られるのかもしれませんが、そういう町ができた頃には棺桶に片足を突っ込んでいるころでしょう。

こういうことを考え始める年齢になったので、そろそろ定住地を見つけるべきなのかもしれないです。

それにしてもあっという間に10月ですよ。
ふるさと納税を忘れずにやらないと。



ところで、気づいた人は少ないと思いますが、サムネの文字が実は5・7・5になっております(だから何だ)


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集