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豊洲初競りが映し出す、香港の寿司文化の変遷

2025年1月5日、豊洲市場の初競りで青森県大間産の本マグロが2億700万円で競り落とされました。この金額に驚く声が上がる一方で、香港在住者の間では、かつてこの初競りの主役として知られた「板前寿司」創業者、リッキー・チェン氏を思い出した方も多いのではないでしょうか。

香港における寿司の歴史は、1989年の元禄寿司(日本の元禄とは別)の創業に始まり、1995年には元気寿司が進出、同年に元禄寿司は元緑寿司へと改名しました。そして2004年、板前寿司の創業により、香港の寿司シーンは新たな転換期を迎えることになります。

2008年から2011年まで、板前寿司は築地市場の初競りで4年連続してマグロを競り落としました。初年度は607万円でしたが、最終年度の2011年には3249万円にまで価格を押し上げています。全盛期には香港で17店舗を展開し、この初競りのマグロを1貫50香港ドルという、手の届く価格で提供。「縁起物」として多くの香港人の心をつかみました。

実は私の事務所があった旺角(モンコック)のビルの1階に、板前寿司系列の板長寿司があり、この2008年の初競りマグロを実際に味わうことができました。1貫50香港ドルは今のレートで約1000円、当時の感覚では800円ほど。「縁起物だからね」と言い聞かせながら注文しましたが、むしろ安いと感じたことを今でも鮮明に覚えています。

しかし2012年、「初競りの国外流出」を憂慮する声を背景に、すしざんまいの喜代村が5649万円で競り落とし、これを機に板前寿司は初競りから撤退することとなりました。その頃から香港での板前寿司の人気にも、徐々に陰りが見え始めていきました。香港の寿司業界も変革期を迎え、2016年には老舗の元緑寿司が営業を終了しています。

決定的な転機となったのは2019年のスシローの香港進出です。2024年までに香港で32店舗を展開し、開店から閉店まで行列が途切れないほどの人気を博しています。続く元気寿司(2006年にマキシムグループがフランチャイズ権を獲得して営業開始)、はま寿司の進出により、香港の寿司文化は高級店から大衆的な回転寿司へとシフトしていきました。そして2024年には、かつて香港の回転寿司の代名詞であった板前寿司が、全店舗を閉鎖し、完全に幕を下ろすことになったのです。

同じ2024年4月2日、日本の寿司文化を香港に広めた先駆者であるリッキー・チェン氏が、東京での闘病の末、癌により57歳で逝去されました。彼が2008年に仕掛けた初競りでの挑戦は、単なる商業的な成功を超えて、日本と香港の食文化の架け橋となりました。チェン氏の訃報と板前寿司の閉業は、香港における日本食文化の一つの時代の終焉を象徴しているようです。今年の2億700万円という価格の裏には、そんな日本の食文化の国際化の歴史が刻まれているのです。

市場のグローバル化と共に変容を遂げる食文化。香港における寿司の35年の歴史は、高級店から大衆化へ、そして再び品質を重視する新たな時代へと、まさに香港という都市の経済発展と人々の生活水準の変遷を映し出す鏡となっているのです。

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