初イレバ - つづき。
さて、左下六番、七番の歯を失った私は、もう左側で噛むことができなくなっていた。
口の奥で食べ物がスルスルと滑ってしまうのだ。努めて左側の前歯で咀嚼しようとすると、危うく食べ物を吹き出しそうになる。時々そんな感じになってよく手を口に当てていた私のおばあちゃんを思い出した。
食べるスピードは落ち、脳や舌まで刺激が半減。私はエネルギーを六割方失ったような体と頭の鈍さを味わっていた。
そんな私を救ったのが、歯茎の下で眠っていた左下八番だった。親知らずである。思いがけずお呼びがかかった控え選手は、領地を得て日に日に歯茎を突破し、ほどなくして全貌を現した。大きな歯が少し斜に構えたように一番奥に落ち着いた。
もしこの時、親知らずという歯の存在を知らないほど人類または私が無知であったのなら、神様が奇跡を起こして私に新しい歯をくれたんだぁぁーーー!!と大騒ぎでもしただろうか。まあ、そんな勘違いは千年昔でもなかったと思うし、これはレントゲンを見て予想されていたことであった。
しかし私にも願いがあった。私が願った奇跡は、どうぞ八番選手がじわじわとせめて七番選手のポジションまで攻めてきて下さい、というものだった。まあ、それも叶わなかったのだが。
インド系おばちゃん歯医者にも一応聞いてみた。速攻、それはないわね、あるとしたら横に倒れるだけよ、と半ば大笑いして私の淡い望みを打ち砕いた。
横に倒れる…か。
結局、八番選手は七番選手にはなり得なかったが、7.5のポジションまでは歩み寄ってくれた。
歯抜けはこれで一本半分である。そして私は親知らずという砦のおかげで左側で少し噛めるようになった。
インプラントは自分には合わないような気がするし、私はしばらくこの状態を放置することにした。
また3,4年。
この間に、詰め物が上手だったインド系おばちゃんは半引退し、ジョージーナという新卒らしきおねーさんが引き継いだ。ジョージーナは優秀だった。彼女は説明も明確で治療も丁寧、何より治療計画が患者主体だった。
ある時、右下七番のクラウンが割れたので、それをやり直すという治療があった。それは、前回インド系おばちゃんによる治療中に神経にダメージを受けたやつだった。
私は、あれ以降2年以上もひどい神経過敏が残ったことで、またそこを触られやしないかと心配でならなかった。それをジョージーナに伝えると、彼女は隣の部屋のベテラン歯医者からのセカンドオピニオンもとり、とうとう神経に触ることなく新しいクラウンを被せてくれた。調整も抜群にうまかった。
歯医者は若いほうがいい、と友達が言っていた。最新の技術を学んでいるかららしい。若いので目もいい。これで私も安泰だ、と思っていたら、スーパースター・ジョージーナは半年後にはロンドンにご栄転となった。
その後にもバイトのおばちゃん歯医者がきた。それをまた継いだのが今のミセス・オーロラである。
オーロラというのは苗字である。と、今、一応歯医者の予約確認のメッセージでスペルを確認したらAroraだった。オーロラちゃうやんけ。もういい、この際ミセス・オーロラと呼ぶことにしておこう。
ここで、ようやくイレバの話である。
少し前から、ブリッジのダメージで弱くなった左下五番が少し外側に傾き出したのが気になっていた。七番が抜かれてからすぐに発症していた顎関節症もある。すなわち口を大きく開けるたびに左顎が鳴る。あやうく普通にアクビをしたりすると顎が外れそうになりビックリするほど痛い。だから歌うのも不自由で、私は少し横に口を開けて歌うちょっと癖のある歌い手になっていた。
偏頭痛も処方箋が出るほど慢性化していた。少し話が戻るが、あのリタイア間近のおっさん歯医者の名誉回復をしておこう。おっさん歯医者は咬み合わせ治療に情熱と経験を積んでいただけあり、その見立てにより私を頭痛から10年も解放してくれた恩人でもあった。結局歯を犠牲にしたものの、恨むことはない。
さて、6ヶ月毎の定期検診を迎えたある日、歯医者は相変わらず「オール オーケー!」と言って私を送り出そうとした。
しかし、中学生、高校生と歯医者の言う通りにやってきた私も、今は立派な中高年である。医者にも歯医者にも美容師にも、正直に、対等にやり取りできるおばさんでありたい。
診察台から立たされた後に、私は、
「入れ歯はできますか?」
と、ミセス・オーロラに聞いてみた。
ミセスはもう1回口の中を見せて、と言い、2,3 秒見て即答、「出来るわよ」と答えた。しかし予約は3ヶ月後だと言った。知っている。ミセス・オーロラは診療報酬に忠実なタイプだ。
3ヶ月後、私はミセス・オーロラの診察室に通され、彼女の前に立った。
ミセスは聞いた。
「あれ? これは何のための予約だったかしら?」
「デンティストが欲しいんです。」
アホな私が答えた。自分の言った英語が聞こえていない。
ミセスは不思議そうに動きを止めた。
「ああ! デンチャーね!
デンティストもここにいるけどね!」
なんちゅー間違いや。
まあ通じればいいのよ、通じれば、と私たちはしばらく笑った。
ミセス・オーロラは私の歯抜け具合をまた一瞥し、これは簡単ね、と言って、入れ歯初心者マークの私にあれこれ説明することもなく、さっさと型を取り始めた。
型が取られた後、私はかろうじて診察台にとどまり、費用のこと、素材のこと、どうやって入れ歯が口の中に留まるのかと、入れ歯という選択はどうなのかという最初にするべき質問をした。
一通り簡単な説明をくれたミセス・オーロラは、一週間後に出来上がるわよ、と言った。
わずか7日後に、私は 319.10 ポンド(約6万2千円)の小さなプラスチック製品を手に入れた。
ミセス・オーロラが、ピンク色の土台についている一本半分の歯を、私の歯抜け部分にカチッと入れた。
噛み締めてみた。
意外に気持ちが良かった。初めはえらく高く感じたが、秒ごとに周囲の歯が押されて馴染んでいくのを感じた。
ミセス・オーロラは、あなたの口の中がそれを異質なものだと感じてしばらくは嫌がると思うけど、いずれあなたの身体の一部になるから大丈夫よ、とお決まりであろう説明をくれた。そして、誰もあなたが入れ歯をしていることに気づかないわよ! と、そこはどうでもよかった私に必要以上の励ましもくれた。
次の予約は6ヶ月後だと言う。一週間後とか一ヶ月後ではない。私は3ヶ月で手を打とうと食い下がったが、譲らないミセスは実に診療報酬に忠実な歯医者であると確定された。
私は、ミセス・オーロラのスピード診療と、4,5 センチ足らずの小さなプラスチック製品に相当するのかよくわからない値段の治療費を払って歯医者を出た。
私の左下は、痛気持ちいい。肩のツボを上から押され続けているような感覚を味わいながら、秋の冷えた空気を通り抜け家までの道を歩いた。
帰宅後、私が予想していなかった問題は、滑舌だった。
舌がプラスチックの上を滑って、タ行が言いにくい。一日目は仕事でTwoがうまく言えていなかったのか、何度も聞き返された。th音も滑る。rも滑る。会話中に"Through floor" が言えず諦めて他の言葉を使った。
しかし、今日以降私に初めて会う人は、これが私の喋り方だと普通に思うだろう。そう思うとちょっと可笑しくも思える。これから私はこのわずかに舌っ足らずな喋り方をするキャラクターを生きるのだろうか。一週間前のオリジナルな私がすでにちょっと懐かしい存在にさえ思えてくる。
一週間がたつころには、最初の数日にはなかった歯茎の嫌みが出てきた。口の中に靴擦れを宿している気分だ。痛いところに当たっているイレバをよく見てみると、結構雑に削られているのが分かる。さすがNHS7日間制作。
ものすごく話がそれるが、私が小学生4,5 年の時の友達のお父さんが歯科技工士だった。家の近くに会社と作業所を構えていた。お父さんは難しい注文に手こずっている時は機嫌が悪くなる、と友達が言っていた。家の中で鍋が飛ぶらしい。小さい時のおぼろげな記憶なのだが、まあ、そんな真面目に悩んでくれる心優しい技工士は今イギリスに何人いるだろうかと思ってしまう。
さて、痛む歯茎を気にしながら、私はガサガサと家の物入れを探り、一番細かい紙やすりを少し破ってバスルームに戻った。
そういえばうちの長女も同じことをやっていた。彼女の歯列矯正前のリテイナーが痛くて、これで削っていたのだ。順番が逆のようだが、親子は似たようなことを思いつくものだ。
紙やすり対策はうまくいった。歯医者的にはどうなのか分からないが、痛みが出るたびにほんの少しだけ痛む部分を削ってやると、またイレバを口の中に戻すことができた。
また話がズレるが、私は仕事で、障害を持った手に装着するスプリントをいくつか作ったことがある。患者さんのニーズに応えるのはもちろんだが、肌に当たる部分が痛くないようにとプラスチックのエッジを丁寧に処理するよう心がけていた。そういう仕事は、治療者の気持ちまで優しくしてくれるものである。
かと言って、この一日に何度も訪れる不快感の度に歯医者に直してもらうわけにもいかない。私は、削りすぎないように…と自分に言い聞かせながら、シュッシュとヤスリを当てた。
今はまだ、誰かと話をしていると、自分の滑舌の悪さが気になって、相手に小さな秘密を隠しているように感じてくる。ポロッと言ってしまいたい気持ちがまだ私の背中を押してくるが、そこは相手を選ぼう。多分会話中に歯茎が痛んだら普通に言うのだろうし。
もしかすると、初めて自分の毛じゃない毛を頭に乗せた人はこういう気分なのだろうか。加えて、それを外して置いたところを人に見せたくない、というか、相手への思いやりとしてあまり見せびらかすようなものではないと思う。人間の本能として、身体の一部分が切り取られてどこかに置かれていたら、やっぱり一瞬不自然に見えるだろう。
私は職業柄、義肢には慣れていて、手や足がどこかに置かれてあっても何とも思わないが、やっぱり小さいパーツというのが原因なのだろうか。それとも歯というのは、見えたり見えなかったりする言わば半プライベートな器官だからだろうか。極端に言うなら、義ヘソが洗面台に置かれてあったら、やっぱり一瞬おかしな感じになるだろう。
さて最後に、本題と言うべき部分入れ歯のメリットを挙げておこう。
噛んでいるときにまだ痛みが出るものの、私は食べ物を左側でもっと噛めるようになった。
顎関節症も日に日に改善している。気づけばあくびすることが恐る恐るではなくなった。あの昔の長寿者クイズ番組でみたおじいちゃんのように、あくびや歌っている時にカポッとイレバが出てしまうような事態だけを恐れている。
そして、コケていた左頬に膨らみが戻った。バンザイ。
義歯という選択自体については、誰かにNHSの入れ歯について情報収集しておけば良かった。次の入れ歯は、ちゃんと相談できて調整もしてくれるだろうプライベート診療を検討しよう、というのが今回の教訓だ。
28本、あるいは32本の永久歯は一旦抜けると元に戻せないし新しく生えてもこない(今のところ)。だけど、そんな貴重な歯をわざと抜いてしまう部族だっているんだから、まあ、私もあと数本抜けたって入れ歯を作ればいいのだと今は少しそう思える。
ここまで私の歯歴史を振り返ってきたが、やっぱり歯医者も人間、患者も人間。歯科技工士だって人間。歯をだめにしてしまおうという人は一人もおらず、みんな一所懸命やってくれた。そして、こうしてまた新しい歯で歯抜けをうめてくれる人もいる。その事実をただ噛み締めている。
とうことで、入れ歯が出来上がったのがハロウィン一日前の出来事だったので、表題写真は削ったカボチャでした。こんな話に付き合ってくださってありがとうございました。みなさんも歯をお大事に。
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