イギリスで作業療法士"アシスタント"、はじめました。(10)グレード3 - 中高年の再就職
中高年の再就職に、体力づくりは欠かせない。
私の住むハーボーンという街は、大きな総合病院と大学を持っていることもあり、教育的で知的な人が割かし多く住んでいると思われる。というのも、基本的にそういう人たちは活動性が高く、健康志向で、そうなると、朝夕ジョギングしている人、自転車で車道を走りながら通勤する人を近所で沢山見受けるのである。
そんな優れたエネルギーの集まる街の片隅で、私は40歳後半でしかも英語圏内で再就職を臨んだわけだが、案の定、苦労は多かった。いや、これは安全地帯を超えていると分かっていた。それでも進んでしまった。そしてそれはまだまだ現在進行形。
とにかく頭は回らず体はヘロヘロ。大きい声では言えないが、更年期症状も十分に重なっている。ああ、日本のコマーシャルで長年眺めていた「命の母」の出番はここだったのか。
当初、10年ぶりの再就職は週3日から始めようと思っていた。しかしそれだとエージェンシーに登録してから3ヶ月たってもオファーが来なかった。それで仕方なく「もう、フルタイムにしてください。」と、私のエンジェルエージェント、ハリーに告げた。そしたら1ヶ月くらいでオファーがあった。
結局、市役所のOTマネージャーとの交渉で週4日にしてもらったのだが、やっぱり体力的に、脳的にとてもきつかった。それでも続けた。一日一日、夕方には風に吹かれるのしイカのようになりながらも、紙一枚分仕事を覚えられているという手応えはあった。せっかく掴んだチャンス、やめる気にはならなかった。
最初の3ヶ月位は、定時に仕事を片付けられない私を見て、旦那が夕食を作ってくれるようになった。決して美味しくはなく、台所もアチコチきったなくなるが、もうその助けなしでは乗り切れなかったかもしれない。子どもたちも洗濯物を自分で干すようになってくれた。まあ、母ちゃん、さらっとスマートにはいかなかったなー。家族という共同体は本当に受容力、回復力があり、ありがたいものだ。
そののしイカ状態からようやく脱した、と感じたのがほぼ6ヶ月後。
休んでいたテニスを再開する気力が出てきた。
そして一年後にはジョギングも始めた。4キロ強の近所をぐるっと周るコースを走ったり歩いたり。週に2回のつもりがそこは西欧の明るい夏の夜、ほぼほぼ毎日走った。
すると、体が少し楽になってきた。
その頃の日記を読み返してみた。
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ケンチャナよ
今日は、普通に仕事して、ちょっと大変なこともあったけど「ケンチャナ、ケンチャナ」って言いながら元気だしてがんばったし、夕飯の後ちょっとジョギングして、あ、そのご飯のときになんか面白いこと言ってうちの思春期女子たちを笑わかせたし、走ったあとでちょっと庭の世話しようと思ったら、思いがけず草引きまでしてその先にあったラベンダーでドライフラワーまで作ってしまって、それからまた大好きな韓ドラまで見たし、今日の私は花マルや。
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クリニック
ニ週間のクリスマス休み明け、もう仕事内容を忘れてしまったんじゃないかという恐怖感をうっすら覚えはじめた頃、今週から復帰、しかもまた職場が変わりました。さすがの派遣社員、就職してから一年の間で部署が3ヶ月ごとに変わり、ただでさえヒーヒー言ってたのがゼーゼーになり、そして更にヘロヘロになりながらもここまでやってこれました。何しろイギリス第二の大都市市役所ですから、作業療法士の役割は半端なく広く、細かい自助具の注文から住宅改造、障害に応じた公営住宅用の移動能力評価まで関わります。そして今週、その新しい勤務先であるクリニックというのが、なんと家から歩けるほどの距離ではないですか。希望はちょくちょく上司に伝えておくものです。通勤は仕事用具一式持ち歩くので車が必要なんだけど、そうすると家からおよそ2分。前のクリニックは道が混むと70分もかかっていましたから、左足が人生で初めて「クラッチ踏みすぎでお疲れさん」状態を記録する日もありました。それがどう、2分よ。クラッチ何回踏んでやったか数えられるわ! 余裕過ぎてニヤける。そしてもう一つ別の曜日に受け持つクリニックも自宅から車で10分弱という最高のロケーションで、あとの曜日は自宅勤務。ああ、これは過去最高、なんて幸運なんでしょう!! と今朝の通勤中の車の中で一人キラキラ感に包まれ、その午後には、難しかった精神疾患系の利用者の住宅改造申請が通ったというグッドニュース。その人も私もすごく嬉しかった。こんな日が来ると…思っていたけど、やっぱり来た。先生(たくさん)、ありがとう。
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ほんと頑張ったぜ、中高年!
体力をつけ、一週間を乗り切る。
これでグレード3(自己基準)、突破です。
つづく…
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