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神の悪戯と完璧な創造 18 - 導き


あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行なわせる。エゼキエル36:26,27
A new heart I will give you, and a new spirit I will put within you; and I will remove from your body the heart of stone and give you a heart of flesh. I will put my spirit within you, and make you follow my statutes and be careful to observe my ordinances. Ezekiel 36:26,27

聖書


-導き Guidance-


私がキリスト教会に導かれたのは社会人になってからのことだった。

私はそこで、長くつけすぎた漬物のように樽の底から見つけ出され、糠を落とされることになる。


リハビリの専門学校を卒業後、私が就職先に選んだのは、臨床実習に行った精神病院で、そのスーパーバイザーから熱心に就職に誘ってもらってのことだった。実は私は地元にある病院から4年分の学費全額(プラス通信大学費までも)の奨学金をもらっていて、卒業後はそこで働く予定だった。しかし、父と私で病院長に頭を下げに行き、3年間という約束でお礼奉公を延期して実家から遠く離れた県にある、その職場に行かせてもらうことになった。

ところが、実際中に入ってみると、そこには今で言うハラスメントがまかり通っていた。私は精神の病に苦しむ人たちと向き合いながら、好きと嫌いを交互にぶつけてくる上司たちの機嫌を取るはめになった。私は日に日に世の中に存在する多くの矛盾に気づくようになり、それでもなんとか張りめぐらしていたアンテナを一つずつ下ろして大人になろうとしていた。しかし、ある日の上司からの心無い言葉をきっかけに、私の中のトラウマが呼び起こされ、それにつらなる自己否定の念慮に心を奪われるようになっていった。

あのときの父の言葉が何度も体を襲い、心を奪う。
「おまえはいらない子だ」
職場では明るく懸命に働いていたが、家に帰ると攻撃性がすべて自分に向かっていた。

そんな私を心配してか、母が私のアパートの近くにキリスト教会を探してくれた。三件メールを送って、唯一返事を返してくれた教会だったそうだ。
私はすぐには日曜の朝早くに起きることができなかったが、ある時、なにかにすがるようにして起き上がり、与えられた番号に電話をかけた。

なんだかキラッとした笑顔を持った丸い体の牧師夫人が、日曜の朝、アパートまで迎えに来てくれた。
教会に向かう車の中で、夫人が私に向かっておもむろに、
「あなたは神に生かされているのよ!」
と後部席の私に言って、またキラッと笑った。

しかし、当時の私は、生きていること自体が辛いのに、さらにそれを強いられているように感じて辛かった。
教会で聞く「永遠の命」という言葉も、身体に重く感じた。
永遠には生きたくないな、そう思った。

しかし同時に、初めて読む聖書の言葉に私は、
「ここに正義がある」
と感じ、強い確信と安心感を得たのを覚えている。

教会はそんな私をしっかりと受けとめてくれた。

礼拝後には子どもたちと遊び、それは私を元気づけた。同じ年の女の子もいて、度々日曜日の朝に起きてこられない私を心配し、持ち寄り昼食の残りをアパートのドアに何度もかけてくれたりした。
そのうち、週に一日、牧師の家で晩御飯を食べさせてもらうようになった。裕福ではないはずの牧師家庭。大きな深鍋に具のたくさん入った味噌スープがよく出されたが、時に一つ数を足された焼き魚が食卓に並んだ。
誰かがお祈りをしてくれて、食事をいただいた。

それでも、仕事のストレスが続き、ついに小さな自傷行為を試すようになった。中学生の時に仲が良かった友達がそうしていたのを思い出して真似してみたのだ。自分の身体からでる少量の血を見ると、なぜか安心した。
まだ生きている、そう感じた。

そうしてしばらくは友達に電話をしたり日記を書いたりしながら気を紛らわせていたが、次第に限界に近づいていた。ある日の朝の出勤前、私はとうとう生きてることに疲れてしまった。アパートの台所で、うつむいたまま、私はうめくようにこう祈った。


「神様、助けてください。共にいてください。」


私は初めて自分から神に祈った。


よく覚えていないが、そこから先に落ちることはなかった。
車で通勤する途中、前方の大きなミルクタンクカーに映った朝日が輝いて見えた。私は毎朝、新しい日が与えられることにとても感謝した。
それから間もなく職場で異動があり、トラウマを引き起こしていた環境から離れられ、私は日に日に回復していった。


-伝道者 The Missionaries-

その頃、教会に韓国からの伝道者たちが来ていた。
自分と同じ年頃の20代の青年たちだった。彼らは、なにか熱いものに動かされているような目をしていた。


彼らにとって私は格好の獲物であったであろう。すぐに熱心に語りかけてきた。
私は、素直に疑問をぶつけた。
人間が地球をこんなにも破壊していること、そして神がこんな人間を作ったならそれは創造の間違いだと言って、彼らの語る美しい創造説に反発した。


一週間、二週間と、彼らは変わらず私の疑問に応答し、そして祈ってくれた。チマチョゴリを着たり、韓国では、ラーメンを茹でるときにスープも一緒に入れます、と言いながら大きな鍋にそれを作ってくれた。


そして、彼らがもうじき任務を終えようかというその夜、そのグループのリーダーが、私と膝を合わせて床に座り、涙を流しながら祈ってくれた。

「神は私たちと地球を愛しています」

「神はあなたの心の中にもいます」


私はその熱心さに少し圧倒されていたので、彼女の言葉に少し距離をおいて聞いていた。
それにもかかわらず、その「心」という言葉を聞いた時、確かに自分の胸にじわっと温かみが戻ったような感覚がしたのだった。

ああ、いつからか自分は心を失くしていたのだ。

すべて頭で考えるようになっていたのだ。

今、私は心で感じることができる。

嬉しい。


そう変えられた瞬間であった。



その頃、牧師が私にくれた言葉が、心を強く打った。


「わたしの目には、あなたは高価で尊い。」イザヤ43:4 
You are precious in my sight, Isaiah 43:4

聖書


約束の三年が過ぎて、お世話になった牧師夫妻、友達、仲良く遊んでくれた子どもたちとの別れが来た。私は、いずれ洗礼を受けてもいいと思っている、と皆に感謝を伝え、地元の四国に戻った。


引っ越しが住み、私は家の近くに教会を見つけた。幸運なことに牧師家族と気が合い、子どもたちも可愛くて仲良くなった。
また2,3年間が過ぎた頃、牧師からそろそろ洗礼を受けてみないかと言われ、私はすぐに「はい」と答えた。
洗礼の学びが牧師とのマンツーマンで始まった。
学びの中、私は、父と同様に自分にも存在する罪の大きさと、それに対するイエスキリストの十字架の苦しみと赦しと愛を理解し、打ちのめされた。

私は、25年間手のなかに握りしめていた怒りと復讐の石を、明け渡す時に来ていた。

それまで私の人生を支配し、ある意味、共に歩いてきた石である。それを手放すことが、私にとって大きな不安や恐れなのだと感じたことは意外であった。私はすぐにそれを明け渡すことはできなかった。

しかし、1,2週間経つうちに、私はその覚悟を決めた。
私は罪の告白をし、キリストの愛に癒やされることを願った。そしてその希望とともに、手に握っていた石を十字架のもとに置いた。


小さな小さな奇跡がそこにあった。


手を開いた瞬間、主は私の手を握った。


私はイエスキリストに出会い、その知恵と愛に憧れ、一生この教えについていこうと決めた。


西暦2000年のクリスマスの日に、私は洗礼を受けた。
牧師宅のお風呂の水に2,3秒沈んで、私は起き上がった。
それは私にとっては告白の儀式であって、それ以上の意味はなかった。洗礼後のパンとぶどうジュースも、ちょうどお腹が空いていたので美味しいと思ったくらいだった。



洗礼の日からも、私は疑問と思考を繰り返した。
牧師が教えてくれた、「キリストと自我が一つとなる」とはどういうことだろうと、よく考えていた。私はキリストの道を歩みながらも、現実は自分の良心と自分の感性で生きており、自分の存在は良くも悪くもそのままだった。

二十代の私は、誰かの愛を常に求め、ありのままの自分を受け入れてくれる存在を探していた。そして空回りしては自分の弱さと向き合い、それを繰り返していた。
しかし、そんな中でも、希望はいつも神と共にあり、次第に喜びが心を満たすようになっていた。


ここからおよそ17年後に、私が思いもよらず激しい恋に落ち、キリストなのか自我なのか分からないほどに、主との甘い交わりを経験していくことになるのだと、誰が知っていただろう。


自分の命を愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠の命に至るのです。ヨハネ12:25
Those who love their life lose it, and those who hate their life in this world will keep it for eternal life. John 12:25

聖書



つづく


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