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モノクロームの悦楽 -essay-

冬になると、音楽家S氏の演奏を想い出す。
彼の音色はいつだって佇まいが良い。明け方のまだ暗い冬の朝のように、聴くひとを意図的に感化させようとしない。

最後に彼の音楽を聴いたのはオンラインライブだった。S氏がこの上なく愛するスタジオで収録された映像を、世界一斉配信するという試みだった。

「オンラインでピアノ演奏?」
およそネットライブを聴くことがないわたしは、最初、抵抗を感じた。

闘病後しばらく休養中だったS氏は、コンサートはおろか新作も発表できていなかった。公式ページを覗くと、すっかり痩せて影の薄れたプロフィール写真が載っている。

「演奏を見ていただくのは、これが最後になるかもしれない」

だからオンラインでの公開を試みたのだと理解した。
S氏のコメントを読み、チケットを入手して考えた。果たして、彼が最後に残したい音楽とはどんな音なのか。長く辛い闘病生活をどうやって昇華し、音楽という非言語世界でそれを伝えるのだろう。

世界30カ国でスタートするライブは、時差の関係で日本では1回限りしか観ることができない。それも真夜中か早朝のみ。
でも、そんなことはどうだってよかった。世界にはどうしても逃してはいけない時間があると信じていた。

配信は朝6時。ピリッと冷たい空気がわたしの部屋を満たしていた。季節はちょうど冬至に向かうタイミングで、一年でもっとも夜が長い朝だった。
見逃さないようにと普段より早く起きたわたしは、キッチンで濃いめのコーヒーを淹れ、赤いタータンチェックの膝掛けにくるまってPC画面の前にスタンバイした。真っ暗な部屋に座るわたしを不思議そうに見ていた猫は、暖をとりに膝の上で丸くなった。


ライブがはじまった。モノクロームのしっとりとした映像美に心が奪われた。無観客のスタジオで、小さなスポットライトを浴びたグランドピアノの前にS氏が現れる。
白髪がモノトーンの世界で一段と目を惹く。黒光りする譜面台に線の細い彼のシルエットが映りこむ。

皺だらけの手をカメラは捉える。日に3時間が限界だったという収録に、S氏の覚悟が伝わってくる。
最初の一音が、美しい詩集をめくるように、そっと流れる。

静謐で、消えてしまいそうなほどデリケートなピアノの旋律に息をのむ。膝の上で猫が聞き耳をたてる。
暗い部屋で煌々と照らされた画面に、わたしは身動きができなくなる。深い呼吸は、奏でられる音の響きと共鳴し、溶け合ってゆく。

圧倒だった。映像美もカット割の良さもカメラワークも、すべてにおいてアーティストへの愛が本物だった。
音響はもとより、スタッフの精神性の高さが感じられた。収録はS氏の息づかいまでも丁寧に拾い集め、今まさに目の前で演奏が行われているような錯覚をおこさせる。

懐かしい曲と曲のあいだに、S氏の肉体を通した音の余韻が漂う。カメラは眼に見えないそれさえも残そうとしている。彼を取り巻くすべての人たちの心境を想わずにいられない。

渾身とは、このことだった。
S氏のピアノ演奏は、怖いほど透き通っていた。

録音映像だということが信じられないほどリアリティを帯び、たった今、世界中で聴いている誰かとつながっているのだと確信できた。あるいは、スタジオから分離されているはずの音の気配が、わたしの部屋に漂い躰中の毛穴に沁みていたのかもしれない。

それはS氏がこの世に残しておきたいと願う絶対的なエネルギーだった。
音楽という二次元の世界観が朝霧のように立ち現れ、無限に広がってゆき、コードが進むにつれて、そのずっと遠くにある彼の魂に触れられるような気がした。
束の間の幻想にわたしは呆然となった。

窓の外がゆっくりと明けてきた。東の空がブルーのグラデーションに輝いて飲みかけのコーヒーに映りこんだ。

どうか終わらないで──
どうか、もう少しだけ。あなたの音と一緒にいさせてください。

すべての曲が終わり、暗い部屋のドアが開いて光が差しこむように、わたしの意識が戻ってきた。

忘れがたいと思わせてくれる音楽には、よく風が吹いている。
風は、いとも自然にわたしを作品の世界に招き入れる。

時に頬をサラサラと撫で、木漏れ日のただなかにいるような心地になったり、強い風がザワザワと耳の奥で吹きつづけていることもある。

もっとも忘れがたい音楽となったS氏のライブから吹く風は、水辺から流れていた。

やわらかな風の吹く空の、遠さ、遥かさ、せつなさの佇まいがあまりにも繊細で、いつもは自覚していない深いところまで浸透し、満ちて、果て、なにもかも溢れかえり、演奏が終わったあと、素晴らしい放心状態が訪れた。

映像美や音響だけでは語れない風が、わたしの中で吹きやまない。

S氏がどうしても残したかった音楽。その静寂な祈りに似た音の粒子は、真冬の空へ、都会の街角に、テーブルに、読みかけの本のページに、あの朝のモノクロームの映像に痺れて立ち上がれなかったわたしに、放心の悦楽のさなかに、いまも漂いつづけている。



2022年12月に書いたコラムに加筆しています。S氏とは坂本龍一氏のこと。 現在、東京都現代美術館で開催している「坂本龍一|音を視る 時を聴く」にも訪れる予定です。                   



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