嶽温泉の思い出
最後に嶽温泉に行ったのは、昨年の5月です。この時、どうしても青森に行っておきたかったのです。理由が2つあります。
1つは体調面です。私は線維筋痛症という痼疾があります。また原因不明の発作が度々起こり、スパイク熱に白血球の異常も起こります。
年々進行していく病症の悪化は歯止めがかからず、様々な薬理療法を試しますが激痛は治まりません。長距離の移動、閉塞感のある飛行機や新幹線は痛みが出ます。
4~5月にかけて、大型連休に有給を噛ませ、テレワークをしつつ1ヵ月近いロングランを果断しました。道中、湯治宿で数日間身体を休め、車で徐々に北へ向かいました。弱りゆく身体のこと勘案すると、これが最後の青森旅になると覚悟しました。
2つ目は相次ぐ温泉施設の廃業です。青森は近年特に多い様に見受けられます。また行きたかった宿、いつか行ってみたかった湯が、次々と倒れて行きます。
また一昨年の夏の豪雨被害で、思い出の地「下風呂温泉」が大打撃を受けたことも、青森へ発つ決意を断固たるのもにしました。下北半島への一本道に掛かる橋が流され、大好きだった温泉地が孤立するニュースをただただ傍観することしかできませんでした。
もう自己欺瞞に堪えられなくなったのです。
自宅の埼玉を発ち、宮城県の鳴子で湯治をした後に青森県に入りました。激痛を患ってから湯巡りというものが出来なくなり、基本的には1箇所に滞在するのが私のスタイルです。
黒石市にある「温湯温泉」にて4日間の湯治をします。宿泊は「後藤客舎」という、私が歴代入った中でも最上位に鄙びた宿でした。毎日共同浴場に3回通い、身体の痛みを抑えます。
その後向かったのが本州最北端の温泉地「下風呂」です。ここではまるほん旅館で2泊しました。ここで一つ違和感を覚えます。本来濁り湯であるはずの内湯が無色透明で、湯温も35度程度でした。
まだ寒さの残る頃で、とても入ってはいられません。蛇口を捻りボイラで加温した源泉を投入しました。女将さん曰く、下に「海峡の湯」(※旧浴場を取り壊し新たに造った温泉施設)を作ったために、湯が安定しなくなったと。
その後向かった海峡の湯、こちらでも湯が安定せず、一つの浴槽は循環しているとのことでした。パラドックスが生じています。
「湯が出なくなっちゃたのかな」
そんな邪推をした記憶がありますが、現在日本国中で起きている温泉枯渇問題は、下風呂でも起こっていたのかも知れません。あくまで私の推測です。
下風呂を発ち、今度は弘前にある百沢温泉を根城にします。GWとあり嶽温泉の宿は一人泊では取れず、隣の温泉街にしました。
こちらから10分程走ると嶽温泉街です。岩木山麓の裾野を舐めるように西へ向かいます。到着した温泉街中心の駐車場は満車で、入庫待ちが出来るほどでした。こんなに人がいるのかと驚いたほどです。余計なお世話でしょうが、望外に賑わっていてホッとしたという感想です。
入庫待ちの時間が煩わしく、私は少し離れた湯段温泉に向かいました。
桜並木の背景に、雄々しき冠雪の岩木山が聳えます。背筋が震えるような美しさです。私は暫しカメラを構えるのも忘れ、カップルや夫婦の観光客に紛れ、一人立ち尽くしていました。
暫くして嶽温泉に戻ると、離れの駐車場は空いてきました。
昼過ぎ、最も大きい「山のホテル」に行くとフロントは大変な混雑です。風呂は一時間待ちと言われ入浴を諦めました。5年振りの入浴は幻となりました。
向かいにある田澤旅館(食堂)に行くと、こちらは空いています。連休とあり、ご子息が戻られていたようです、女将さんに御主人、若いご夫婦と小さい子供がいました。玄関は親子三代で大変賑やかでした。
女将さんから「お兄さんどこから?」と聞かれ埼玉と答えると、「遠くからありがとう」と仰いました。廊下の奥へと向かい階段を下りると内湯があります。ブルーの生簀の様な浴槽に、細い管から白濁の源泉がドバドバと落ち落されます。
全身が硬化しやすい私は、これを打たせ湯にし鎖骨や背中に浴びせました。30分程の入浴、終始独泉でした。連湯は身体を傷める可能性もあるので、無理はせず百沢の宿へと帰っていきます。
この記事を記して8ヵ月後、つい先日「山のホテル」が廃業しました。洗い場が畳敷きの個性的な造りと、白濁の見事な湯が印象に残っています。
去年の春の湯治の際に連載していたブログの一説に、去り行く青森を思いこのように記しています。
後継者不足やコロナによる経営悪化は耳にしていましたが、まさかこんなに早く現実になるとは思いませんでした。この青森旅で経由した後藤客舎も、下風呂温泉の全ての宿も後継者がいないようです。
「真実は孤独なり」という言葉があります。
嶽温泉の湯は、真実(ホンモノ)でした。温泉ファンからすれば釈迦に説法かと思いますが、日本の温泉施設の多くは循環・消毒液使用です。
リゾート開発や観光地化された温泉街では、地中を掘り進め出るはずのない処に湯元を造ります。高度経済成長期の乱掘が昨今の温泉枯渇問題に影響を与えていると考えられます。
遂に、嶽温泉も湯量が減り温度が下がり、350年の歴史を誇る山のホテルが倒れました。一時間待ちを惜しみ踵を返したことを後悔しています。もう、名物のマタギ飯も食すことは出来ません。
ホンモノの湯が出なくなり、資本力を武器に展開する大型ホテルが温泉街で幅を利かせているのを見ると、少し寂しいものです。得てして湯は循環消毒液使用がまかり通っています。
源泉を大切にしてきた宿の廃業、親父の泣いている姿を見てしまった時のような、言葉にならない哀惜が心底から湧いてきます。
嶽温泉の湯自体は死んではおらず、営業を継続している宿もあるようです。雪解けが進めば湯が安定するという話も聞きます。例は少ないと思いますが、私が最も利用する湯治の御宿もかつてピタッと湯が止まった後、湯が復活を遂げました。原因は分からないそうです。
今の身体の状態では嶽温泉まで行くことはイージーではありませんが、体力がある限り、どうかもう一度…
去年お世話になった田澤旅館さん、ラーメンおいしゅうございました。
嶽温泉名物の『嶽きみ』は、私の知る限り日本一美味しいトウモロコシです。真空パックの物も食べましたが、やはり風呂上り、露店で蒸かしている嶽きみほど旨い物はありません。
末筆になりますが、山のホテルさん本当にお疲れさまでした。良い湯でした。
令和5年1月21日
<田澤食堂 ラーメン紹介記事>
<嶽きみ 紹介記事>
<昨年春の湯治記録>