松ちゃんは日本のお笑いを良くした
私は90年代にダウンタウンに熱狂した世代。
彼らは本当にすごかった。
笑いの素、種、方程式を見つけ出し、惜しみなく世の中にばら撒いた。
それが今芽吹き、活用され、私たちをいまだに笑わせてくれる。
お笑い年表が「ダウンタウン前」「ダウンタウン後」に分かれるのは、忖度ではなく事実なのだ。
女性としてそのまま受け止めて笑えないネタ、ノリがたくさんあったのは事実。
女性は「タレ」と呼ばれ、“やる”ことを「カク」と言った。
街中で見かけた女性を容赦なく「ブス」と呼び、「どつく」「殺す」と言って笑いを取った。
当時はそれに抵抗する勢力はなかったから、ヘラヘラ笑って受け流した。
心のどこかでは「嫌だ」と感じながら。
2000年代から2010年代にかけて、国外に住んでいたので、この間のお笑いの様子を私は知らない。
ネットも発達していなかったので、ほとんど追うことは出来なかった。
日本のお笑いから離れてしまい、いつのまにかお笑いファンではなくなってしまった。
帰国してぼちぼちお笑いを見だした時は、活躍してる勢が誰が誰だかわからないから、楽しめなかった。
しかし日本ではM-1というものがあり、アメリカのスーパーボール並みに国中が盛り上がるから、私も見てみることにした。
今検索して自分の記憶と照らし合わせてみると、2015、2016、2017あたりで流し見してる。
同時期、自分が好きなお笑いを再発見して普通のテレビ番組もチェックするようになった。
そうして気づいたのは、その頃の中堅とトップの芸人たちが、いかに上手くコンプライアンスをお笑いに取り入れたか、ということ。
離れていたから、この違いに気づけたのかもしれない。
かつての「ブス」「デブ」は簡単には芸人たちの口には登らなくなっているが、
「言えなくなった」みたいな悲哀、困惑、
「言わせてもらえない」という不満、ひねくれ、
などはほとんど見せず、ただ時代の波に乗っているのだ。
見事だと思った。
現状、「お笑い界のコンプライアンス対策はバッチリ」とはとても言えないが、非常な努力が見えると思う。
かつては「殺すぞブス!」「あのオンナどついたろか!」だったのだ。
そうそう松本人志は「女に芸人は無理」と断言もしていた。
ゆっくり路線変更する様は、世間も気づいていただろう。
お笑いを愛する人たちが、お笑いを世の中から消さないために、努力した結果が「M-1で盛り上がる日本」ではないだろうか。
コンプライアンスの波にただ飲まれて、
「もうお笑いは終わりだ!」
とお手上げする未来だってあったかもしれない。
でも松ちゃん率いるお笑いのプロたちが、どうしたらまだまだ笑わせられるか、考えてちゃんと答えを出したのだと思う。
私はまた松ちゃんを尊敬するようになった。
彼は本当にお笑いに身を捧げてると思う。
完璧な人間ではないから時に失敗してるけど、「人を笑わせる」ことを愛していて、それへの努力をひとつも惜しんでないと思う。
そして実際日本のお笑いブームはかつてないほど続き、お笑いファンとお笑い人口はどっと増えた。
M-1で国中が盛り上がるってすごいことなんだよ。
お笑いにそんな市民権がある国は他にどこがあるだろうか。
若い人たちの中には、お笑いブームが終わることもあると知らない人もいるんじゃないか。
今のがあんまり長く続いてるから。
もしかしたら松ちゃんミラクルで、このお笑いブームがほとんど文化として固定なんてこともあるかもしれない。
でも芸人さんたちに笑わせてもらってることは、本当に感謝しないといけない。
これが当たり前じゃないんだ、本当に。
松ちゃんは今のお笑いを長きに渡り牽引してきた。
国中が暗く沈む時も、自分のとこがお家騒動で揺れても、日本に笑顔があるように旗振り役をした。
お笑いが好きな人は、ちょっと想像してみてほしい。
松ちゃんが旗振り役をしなかった世界線。
あの人がお笑い界のドンになっていたら?
あの人がお笑い界を任せられていたら?
悪口になってしまうから書きはしない。
松ちゃんはお笑いが生み出す富や名声を、独り占めしたりしなかった。
後輩が活躍しやすい環境をたくさん作った。
自分の事務所が一人勝ちにならないように、他事務所も盛り上げた。
結果的にそれが自分と自分の身内の幸福に繋がると知っていたからそうしたのだろう。
ビジネスパーソンのように考え、“政治”もしたのだと思う。
取り留めがなくなってしまったが、とにかく私は松ちゃんが今のお笑いの大事な部分を作ったと思っている。
聖人君子ではないから、これからもたくさん失敗するだろう。
スキャンダルに関しては、報道のように事実ではないことを願っている。
いちファンより。