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【掌編小説】雨の匂い

雨の匂いに蘇るのは
あの子との記憶。

斜向かいに住む彼女とは
いつも一緒だった。

学校から帰ると家にランドセルを置き、
同時に玄関から出てくる。

彼女の家の前の朽ちた木の杭にゴムを引っ掛け、
来る日も来る日も夢中でゴム跳びをした。

杭のそばには名も知らないオレンジ色の花が咲いていた。
マーガレットのような、でも、違う。

朽ちた杭に素朴な優しさで馴染む様が子供心になんとなく好きだった。

その花の手前で彼女が掛け声に合わせて上下にぴょんぴょん跳ぶ。
それはなんら変わらないいつもの光景だった。



ぽつ  ぽつ ぽつ



夕立ち。
アスファルトが雨粒で水玉模様になり、だんだん色濃くなるとあの雨に濡れる独特な匂いが立ち込めてきた。

跳ぶのをやめて朽木の杭からゴムを外すと、木がほろりとめくれて濡れた地面にパラパラと落ちた。

「また、明日ね」

「うん、また明日!」

その名も知らない花たちが切なげに雨に打たれ、私たちを見送っていた。

お互い玄関を開けてそれぞれの家に帰った。

雨の匂いに後ろ髪引かれながら。


大好きだったのか。
只々幼馴染みというだけだったのか。


次の日から急に彼女は私に意地悪をし始めた。


教室の机の鞄掛けに掛けていた手紙交換用の缶のトランクに入っていた。

「死にたいですか?」

図工の画板で見つけた走り書きには私の名前
その下には

「サイアク」




何があったの?

何もしてないよ。

何故こんなこと?



酷い、悲しい。

悔しい。


不意な夕立ちで別れてしまったあの日。
急に断ち切られ、できてしまった心の距離。
刻まれた深い溝。

何もわからないまま、でも知ろうとはしなかった。
真実を知っても戻れる自信もなかった。

ただ

ただ怖かった。


月日は流れ、中学に進学し、そのあと彼女がどうして過ごしていたかも知らない。

そして30年が経ち、同窓会で再会した。

ゴム跳びをしていたころのように、さも親しげにでも繕った笑顔で話しかけてきた。

そう、「幼馴染み」だったよね

という風に。

真実は別段、今更いらない。

けれど

「幼馴染み」という単語で収まるこの関係は、多分、お互いに一生ついてくる記憶。

雨の匂いが立ち込めてくると
私は決まってその記憶に目をつぶる。

溝に深く刻まれたのは心の傷

これは私だけではない。

彼女の心にも刻まれている
そんな声が聞こえる。

それは
ゴム跳びのそばで見ていた
あの花たちの声

そして

アスファルトを
2人を
濡らした雨粒たちの声。


雨の匂いはもう嗅ぎたくない。


今日もまた夕立ち。
目を閉じ、鮮明な記憶を瞼の裏から消し去る。
目の前の湯呑みにお茶を注ぐ。

夕立ちが見える窓に背を向けて。


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