何をしてもいい、何もしなくてもいい
文藝春秋とnoteで、「#未来のためにできること 」をテーマに「文藝春秋SDGsエッセイ大賞」として投稿コンテストを開催します。
…との、文言を見た時。とても困惑した
「未来って何?」「ためにってどういう事??」「できることとは???」と
しかも1000字という制限がある。とても困ってしまった
ほら、今の時点で150字を超えた。もう1/10を書いてしまった。明らかに文字数が少なすぎる
ぐだぐだと文句を書き連ねた所で枠を埋めて、書きたいことが書けなくなるのでそろそろ止そう。次はもう少し私の言葉に余裕を持たせて欲しいと思う
そもそも、未来とは何か?それは一秒先の話だ。一日後でも、一年後でもいい。それらは等しく未来だ
正直に言ってしまえば、"そんなことは考えてる間に過ぎていってしまうもの"だと筆者は思う。考えてる暇があれば行動しろ、という話だ
筆者は幸運にも、考えながら行動するという事が許されているので実に恵まれている。親に、先祖に。今、この環境を維持させてくれている周りに感謝せねばなるまい。そして、自分自身にも…嗚呼、もう半分しか余白がない。実に困った
結論からいえば私が未来のためにできることは【したいことをする】だ
食べたいものを食べて、行きたい場所に行き、寝たい時に寝る
その時に口にするものは美味いものがいいし、場所は綺麗な方がいい
寝る時はふかふかの布団がベストだ。湿気た煎餅布団ではやはり寝心地が悪い
そのために働き、物を買う。予定を組む。布団を干す…文字にすると簡単に見えるが、行動するとなると意外に大変だ。毎日となるともっと大変だ。目眩がしそうだ
しかし、その大変さに私は生かされている。希望がある。夢がある
中々、どうして。捨てたもんじゃない。悪くない
さぁ、あと300字もないぞ。どうする?
簡単な話さ、書くのを止めればいい。そうすれば文字数という枠に縛られることはなくなる。何も気にしなくていい
…なんて、匙を投げるのは実に簡単だ。読み手を置いてけぼりにすればね
未来もそんなものではないだろうか
自分を置いてけぼりにすれば誰かが勝手になんとかするもんさ
しかし、自分の人生だ。自分の未来だ。人に任せちゃ面白くない
私は何をしても、しなくてもいい。それが選べる
「どちらを選んでも苦労はあるのだから、好きなようにしなさい」
私が、私にそう言ってくれる。これも一つの未来だろう
出来る・出来ないじゃない。したいようにしろ