自分の人生...は自分の物ではない

こんなようなこと↑を養老先生書いてたな。深く私は同意するのだが、死にたいという娘は、この考え方をまだ理解できていないようだ。

大脳が殆ど失われた子供は、ベッドに24時間横たわり、人工呼吸器で24時間呼吸をし、おそらく自分の意思すら持たない。自律神経は生きているため心臓をコントロールしたり、不十分ながら排泄したりすることはできるが、それだけだ。しかし、それでも、我々介護者からの働きかけに対して、指を動かしたり、全身を震わせたり、心拍数を変えたりする。単なる「生理的反射」かもしれないけれど、その様子に対して、介護者は、尿がたまってるのかな、怒ってるのかな、と思いを巡らせる。

そんなふうに子供のケアをしていると、生きるとはなにか、について考えざるを得ない。そして、ある考えが浮かんでくる。生きるとは、''単に、心臓を動かしている、ということではない。 他者とのコミュニケーションが生きることそのものなのではないだろうか''、と。生きるというのは、自分以外の人と共同で行う営みなのだ。

そんなわけで、養老先生の言葉は抵抗なく私の胸に落ちたのである。

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