知のトレッキング叢書 カメラを持て、町へ出よう 「観察映画」論/想田 和弘 (著)を読んで
一年が早い。「桜が散ったな」と思ってたら「来週はハロウィンです」くらい早い。
これは脳内の編集マンの仕業だ。大人になると編集マンもベテランになって腕もあがる。似たような情報はバンバン切りまくる。「今日なにしてたっけ」くらいに記憶がないときは、編集マンがダメ出し連発でオールカットしたかだ。
脳内編集マンの仕事は思い出ダイジェストの制作だ。新人の頃は新しい事がいっぱいで情報が多い。なので子供の頃は記憶に残りやすい。でも年を重ねると新鮮な出来事が減る。驚くことがあまりない。だから一年が子供の時代は長く大人は早く感じる。
一日の終わりには、まだホヤホヤ感のせいなのか、それほど早く過ぎたとは思わない。でも昨日の晩ごはんも、移動の道すがらの出来事も記憶にない。もう普段の生活では編集マンの気に止まることはできないのだろうか。
できるだけ近くのコインパーキングをさがすとか、すぐATMにいきたいときはすごく集中して周りを見ている。でもあとで記憶に残らない。目的のために見ているだけだ。
「物の見方や感じ方は、自分の意識によってあっさりと変更することができる」「自分には見えているようようで見落としてるものがあまりにも多い」という二つのことを学んだ私は、自分の視界にはいっているものも注意深く見ることでなにか気ずけるのではないかと考え、この本で「観察」と呼んでいるようなことを初めてみることにしたのだった。 観察の練習 著者 菅 俊一 (著)
「普段」「いつもの」「一般的に」などを軸にしながら少しの変化に集中する。「ズレ」「違和感」「ささいな変化」を感じ取る。奥まで裏から見る。そこでの気づきがやがて豊かな記憶になっていく。なにもない日がアレコレあった日に変わっていく。
カメラを持つことで著者の観察力を増幅させる。撮れた映像を並び替えるとそれは映画になっている。