無題/戦争画をテーマにした物語(第5部のつもり⑥)

      42
 
 懇親会は日付が変わる前にお開きとなって、いつぞやの雑魚寝が再現されることはなかった。その代わりに私と小池君は柏木さん宅に招かれて二次会を開いたが、ほんの小一時間程度話しただけですぐに寝入ってしまった。酔いが回っていたし、何を話したかほとんど覚えていないほどだ。
 翌朝目を覚ました時、柏木さんと小池君はまだ夢の中、という状態だった。それにしても、いろんな話ができてよかった。と、まだ目覚めそうにない彼らを見て思った。
 正直なところ、戦争画の話をしたことで柏木さんという人間の根っこにあった、ちょっと嫌なものを知ってしまった時はなんだかがっかりしたような気分になったし、小池君が抱えていた側面――陰惨という言葉で表現したくなるような暗さを受け止めるのはちょっと難儀だ、と感じてしまったりもする。しかし小池君の場合は、そんな(当時なら誰もが感じていたような)怒りを抱えこんだままにせず、ひとまず誰かに語ってみればよかった。仮に感情を言葉にできたとしても、それを共有できる仲間を探すのがとんでもなく苦手なのだろうけれど(芸校入学当初の私だってそうだったじゃないか)。
 今、少なからぬ仲間に囲まれて生きることができている私は、理解に苦しむような人物に出会ったとしても「現実とはこういうものだ」と案外素直に思えたりもする。もしかすると、以前の私は「こういうものだ」と捉えること自体悔しいと感じ、嫌な側面を見せる人間を拒むことしかできなかったのかもしれない。ある種の幼稚さを、それこそ柏木さんが言ったような「高潔」とはき違えていたのかもしれない。
 しかし今は私も含めたみんなが、それぞれのもやもやした思いを乗り越え、あるいは開き直ってそれぞれの「これから」に向き合おうとしている。それでいいじゃないか、と片づけることもできなくはない。「戦争画とはなんだったのか」の答えが明確になったわけではないが、それでも一歩前進できた感はある。
 柏木さんが言った「戦争画=仇花」という言葉は、答えとしてはちょっと物足りないというか端的すぎる気がしているし、彼が前線で描いたもの・本国に持ち帰って個展などで見てもらったものが「なんだったのか」、あるいは「何を描いていた(描いているつもりだった)のか」、もう少し突っこんで訊いてみたいとも思う。しかしそれはまたの機会に、ということでいいだろう。
 ともあれ、柏木さんが押し入れから引っぱり出して貸してくれた毛布をたたみ、謝意を綴った置手紙をちゃぶ台の上に残して、私は柏木さん宅を辞した。一旦帰宅して着替えをし、軽く腹を満たしてから展覧会場に向かった。午後からいよいよ「ひらく会」第6回展が始まる、正午前には会場入りしたいが間に合うかどうか。
 
 展覧会の受付や展示室内の監視係は会員が当番制で受け持つことになっているが、初日(毎回、日曜日を初日としている)は当番以外の者も会場に揃い、なるべく全員で観覧者を迎えるのが通例になっている。午後からお客を入れるのも通例で、酔い覚ましのため、であるのはいうまでもない。せめて一日あけられればいいのだが、そんなことを会員以外の人に言うと「深酒しなければ済む話だ」と指摘されてしまう。
 初日から「待ってました」とばかり観客が押し寄せるほど大規模な展覧会でもない、来場者の6割7割が仲間内あるいは顔見知りの常連さんだ。受付と監視係それぞれ2名ずつの配置になっているが、知った顔が来ればだいたい、持ち場など関係なくなり美術談議に興じて…… となるのが常だ。ちなみに今回、私が当番にあたったのは8日間の会期内の2日目と4日目、それから最終日の8日目。勤め人の会員が「時間の調整ができない」と言えば自営業の私のところにお鉢が回ってくるから、どうしても出番が多くなってしまう。
 展覧会初日といえばなんだか華々しい感じがするが(熱意をもって描いた作品を初めて見てもらうのだから、それなりの気分、というのもたしかにある)、自分が呼んだ仲間が来ない限りは手持ち無沙汰な時間がかなり長くなってしまう。逆に、知らない顔、特に絵の展覧会などに足を運ぶのは初めてとかいう手合いの相手をしたり、美術誌やら新聞の取材なんかが来れば気疲れしてしまうことすらある。しかしそれを乗り切って当番日になれば、在廊日程を教えておいた仲間たちがぱらぱらやって来て、ようやく退屈な時間(などというのもひどいが)から解放される。
 さて、展覧会2日目。我が仲間の中で最初に展覧会に顔を出してくれたのは、小笠原君だ。彼は交際開始間もないアヤ子ちゃんを伴っていた、ふたりで出かけるのはもちろんこれが初めてだそうだ。
「やっと、招待券2枚をちゃんと使ってくれたな。
 アヤ子ちゃん、小笠原君はこれまで、招待券を2枚渡したっていつも1枚は無駄にしてきたんだ。2度も見に来てくれたこともあったけど」
「いや、編集部の奴にあげたりしてたんだよ。お袋が『お前がお世話になっている大畑君の絵を見たい』っていうからあげたりさ」
「それは失礼。こちらも、ご挨拶ができなかったんだな。
 それにしても食堂の看板娘とこんな形で顔を合わせるなんてなあ、今日は旧知の仲間の恋人として展覧会に来てるんだもの」
「恋人」という言葉に反応したのだろう、いつものように「いやだわ、もう」と嬌声きょうせいをあげたあと頬を赤らめたアヤ子ちゃんの表情がなんだか新鮮に思えた。このアベックの像を描いてやるのも悪くない、それが結婚祝いになればいい。と、こっそり思った。
 アヤ子ちゃんは二十歳そこそこで、小笠原君とは一回り以上の年の差がある。しかし食堂を手伝いながらいろんな人間のいろんな面を見てきたぶんだけ、同世代の女の子などよりははるかにしっかりしている。絵筆を置けば諸々不器用な男、と評する他ない小笠原君をうまく支えていってくれるはずだ。それでも今のところはまだ、「恋人ができた」という大きな喜びと戸惑いの真っただ中にあり、どうしても普段どおりに振舞えない。そんな感がある。
「今日、この後にね。武村さんと約束してるんだ」
「スーツの仕立てでも相談するのか?」
「うん、『今日なら採寸の時間をとれる』って。……それとね、こないだちょっと話したじゃないか」
「『アヤ子ちゃんのワンピースを』って言ってたもんな!」
「そうなの、ついさっき聞かされたのよ。なんだか、どぎまぎしちゃって駄目だわ」
 いいよいいよ、幸せなことにはうんと慣れるべきだ。そう言ってやりたいのを抑えたが、同時に私自身がまるで好々爺こうこうやのように仲間の喜びに目を細めるだけの人間にまたなってしまっていることに気づいた瞬間があり、また同時に「ということは、武村さんも今日来てくれるってことか」と気づいて、小笠原君にそう訊ねてみた。
「うん、そろそろじゃないのかな。『飯村君の取材が終わり次第、合流してこっちに向かう』って言ってたけど」
 そう教えてくれた小笠原君の言葉に従って、ぶらいと社の近況を聞かせてもらうのを楽しみに待っていたが、武村さんは他の社員とともに会場に現れた。そして私が飯村君はどうしたのかと尋ねると明らかに答えを渋るような表情をみせ、早足で会場を一巡してからアベックとの約束を果たすべく彼らに声をかけてさっさと帰ってしまった。
 よほど忙しく、せかせかするのがならしょうになってしまったのかもしれないけれど。社の近況及び飯村君のことを尋ねたら嫌な顔をしたが、とりあえず会社のほうがどうにかなってしまっているというわけではないだろう、我が家は本屋なのだからあの会社の盛業ぶりなど確認するまでもない。ということは、飯村君のことか。
 意外なところで新たなもやもやを抱えてしまった中で2日目の当番日が終わり、4日目。飯村君が、武村さん同様に後輩の女性社員を従えて会場にやって来た。これは何かあるぞ、と感じ、私は思い切って尋ねてみた。
「あのさ。武村さんと、うまくやってるのか? 一昨日、他の社員と一緒にここに来たんだけど。前は一心同体だったじゃないか」
 なるべく小声にはしてみたが、もちろん同行の社員には筒抜けだった。「武村社長と一緒に来たのって、誰ですか?」と、やたらとがった口調で私に訊ねてきたが、私がその社員の名前など知るわけがない。飯村君は「君はちょっと黙ってて」と彼女を制した。
「そんな、いつまでも一心同体ってわけにはいかないでしょ? そっちの方がおかしいじゃない」
「それはそうだけど。なんだか心配になっちゃってさ」
「あのね。武村さんからみれば、僕は『ちょっと生意気になっちゃった』ってことなんだと思うの。こないだもひと悶着もんちゃくあって、お互いに頭を下げてなんとか収まったけど。
 僕は学生時代からとにかく武村さんに憧れて憧れて、『少しでも近くにいきたい』『一緒に何かやってみたい』ってその一心でやってきて、会社まで作っちゃった。そういうのを卒業する時期が、もうすぐそこまで来てる。ただそれだけなんだと思うよ。
 でもそのせいで社内が混乱して、武村さんと僕が国盗くにとり合戦をやってるって勘違いする子がいて、ねえ。若手たちが『今後ぶらいと社を率いるのはどっちなのか』なんて騒ぎ始めちゃって」
 そう説明してから女性社員を「まずは、ぎすぎすした空気を作ってることをお詫びしなきゃいけないね。でも、それに踊らされて新たな火種を振りまいてる君たちも君たちだよ」と諭し、「ま、こんな感じなの」と苦笑いしてみせた。
「忙しくなりすぎて、隆ちゃんのお店には顔を出さなくなってたし。『最近、来ないなあ。新雑誌も創刊したし』って思ってたでしょ、実はこういうことだったの。
 今回の展覧会も、武村さんと僕が今までと変わらず仲良しなままで見に来てくれると思ってたのかな。今そう思ったら、なんだか申し訳なくなっちゃった。
 でもね。僕のほうが巣立つ、っていうか。近いうちに、そんな風になると思うよ。喧嘩別れでもなんでもなく、発展的解消、っていうのかな」
 これは私ではなく、むしろ同行した社員に聞かせるために発した言葉なのだろう。失礼ながら、この女性社員が実体のない争いでいきり・・・立ち、彼女自身と他の社員がどう立ち回るか神経をとがらせている、社内でのそんな日常が容易に想像できた。先ほどの飯村君の言葉をこの社員がどう捉えたか、(すぐ肚落はらおちするものでもないだろうが)ちょっと興味がある。
「方向性、ってものだろうな。薫ちゃんと武村さん、それぞれがひとりの表現者だけどきわめて近い要素をもっていた、だからこれまでともに手を携えて走ってくることができた。
 でも薫ちゃんなりの方向性が確立されつつある、だからこそ摩擦が生じてしまった。これは逆に喜ばしいこと、と捉えたっていいんだ」
「そういうこと。さすが隆ちゃん!」
「長年同じ方向を見てきた者同士だ、武村さんだって薫ちゃんの思いを分かってるはずだよ」
 飯村君は女性社員に「今お話ししたこと、他の子には絶対言わないでね」と念を押した。彼女らも入社したてでお家騒動まがいの軋轢に巻きこまれるとは夢にも思わなかっただろうが、それでもそんな渦に積極的に参加している感もある。「ぶらいと」という素晴らしい雑誌の作り手それぞれに憧れを抱いてこの仕事を選んだのだろうし、入社前から私淑していたどちらかに勝手な忠誠を誓う、となってしまうのは当たり前といえば当たり前だ。
 雑誌創刊を目指して奮闘した日々をこの目で見て、微力ながら力を貸してやった私からすれば一抹の寂しさもある。しかし飯村君が新たな道を歩み始めるとなったら、こんどはその前途を祝ってやればいいのだ。
 ただ、今ぶらいと社がぎすぎすしているというなら、それは彼が脱皮する過程で生じた「産みの苦しみ」といえるものだ。飯村君本人も仲間を混乱させていることに対して「申し訳ない」と言っているのだし、ある意味当然のものと捉えて、過ぎ去るのを待つしかない。
 
 最終日はいつも来館者が一番多い。日曜日だし、平日に都合がつかなかった人が大挙してやってくるから、絵の展覧会らしくもないざわついた雰囲気になるのもいつものことだ。
 この日は、新田さんとともに当番を務めた。「ひらく会」の会長たる新田さんがいるのだから彼のお仲間もそれなりに顔を出してくれたが、これまでと比べると人の入りはさほど多くなく、ちょっと寂しい感もある。
「今回は静かに終わりますかね。どうでしょう」なんて言いながら受付に座っていたら、表から何やらにぎやかな話し声が聞こえてきた。ここの客とも思えない、というところだが「はい、ここからは静かにお願いしますよ」と男ばかりのお喋りを制する声が聞こえ、その直後に10人ほどの集団が、ほんの少しだけかしこまった感じで会場に入ってきた。その先頭にいたのが、平澤君だった。
「地元の仲間に片っぱしから声をかけてみたら、みんな『絵の展覧会なんて初めてだけど、行ってみようかな』って」
「さすが発ちゃん。人徳、ってやつだな」
 仲間にはだいたい2枚ずつ招待券を送っているが、平澤君からは「有料でいいから」と切符の追加発注があった。「とりあえず10枚」などと言っていたが、まさかそこまで捌けるとは思ってもいなかった。彼自身が出品しているわけでもないのに、絵とは無縁の生活を送っている人ばかり10人も連れてきてくれた。周りに誰もいなければ「昔の人たらしな発ちゃんに戻ったんだな」と声をかけてやりたいところだ。
「前にちょっと話しただろう、この中の若い奴3人と車屋を始めるんだ」平澤君はそう言って、彼のこれからの仕事仲間を紹介してくれた。いずれも深川で知遇を得た人で、彼の妻・富枝の幼なじみなどもいるという。
「とりあえず車の整備をうんだけど、『いつかは売るほうもやってみよう』って話してるんだ。ちっぽけな店から始めてみて、どこまでいけるかな」
「ふたり目が生まれるんだもの、奮起のしどころだな。富枝ちゃんの体調はどうだ?」
「順調、順調。喜久雄も、いい兄貴になってくれそうだよ」
 仲間のひとりが「発ちゃんは描かないのか? あんたの描いた絵が見てみたいもんだ」と言い、平澤君は「よせよ、俺は描くほうはもういいんだ」と照れてみせた。しかし後になってから、小声で私にこんなことを言った。
「まだうんと先の話、どころか実現するかどうかも分からないけどな。
 俺、いつか車屋を大きな会社にして…… そしたら画廊みたいなのもやってみたい、なんて想像してるんだ。俺の好きな絵、仲間の絵を何枚も展示してさ。
 どうだ、お前だって奮起のしどころだぜ」
「そういう発破のかけ方もあるのか」こんどは私が照れる番だったが、平澤君はあの「疲れ」を見事に乗り越えたのだろう、と思うことができたのが何より嬉しかった。もしかするとそういう記憶に無理やりふたをしただけなのかもしれない、そうなると蓋が外れた時、その隙間から漏れ出てくる苦しみへの懸念が出てくる。でもその時にはしっかり受け止めてやればいいだろう、彼には私だけでなく仲間がこんなにたくさんいるのだし、ほんの少しの支えがあればどうにでもなる。
 
 展覧会場らしくもない賑わいをほんの少しもたらしてくれた一団が帰って、小一時間たった頃。また、絵画展に足を運びそうもない客が現れた。こんどはくたびれた着物姿の、なんとも風采ふうさいの上がらない男だ。白髪頭で、小さな風呂敷包み(その風呂敷も随分使いこんでいるようで、なんだか垢じみた感じがする)を大事そうに抱えている。
 彼が着ている着物同様に疲れた、どころかやつれた顔をしているし、杖がないと歩くのも覚束おぼつかないようだ。しかし実際はさほどの高齢ではなさそうにも思えて、見ているとちょっと混乱してくる。何やら禍々まがまがしいものに魅入みいられて魂を吸い取られた結果、こんな風になってしまったのか。そんな想像さえさせてくれた。
 美術展に来たのはいいけど、切符を買えるのか。などと心配になるほどだったが、新田さんがこの男に「ああ、河原田かわはらだ先生!」と声をかけた。新田さんの声はやたら快活な感じだった、変てこな来訪者を気遣ってわざと明るい声をあげたのかもしれない。
「お元気になられたんですね。いやあ、よかったよかった」
 これのどこが「元気」なのか。しかし病み上がりだとすれば、私はかなり失礼なことを考えてしまったといえる。等々思っていたら、男は蚊の鳴くような声で「いや、本調子じゃないよ。もう一生こんな感じだろうね」と答え、ちょっとうるさそうに「まったく、君は相かわらずだね」と呟いた。新田さんは聞こえぬふりで、男のかたわらにいた女性にやはり快活に声をかけた。
「ああ、留美子ちゃんがつき添ってくれてるんだね。それなら安心だ。いやあ、すっかり大人っぽくなって。見違えたよ」
「ご無沙汰しています」と会釈した留美子という女性は清潔感のあるワンピース姿で、「ぶらいと」の読者層よりは少し上のようだが、少なからず影響を受けている世代だろう。当然ながら、この河原田とかいう男(新田さんは先生と呼んでいるから、それなりの人ではあるのかもしれないが)と一緒にここまで歩いてきたのだろうが、その情景はちょっと想像がつかない。この女性はさておき、「得体の知れない」などという言葉では済まないほどの男のことが気にかかってどうしようもない。
「……お知り合いですか?」
「大畑君、知らないとは言わせないよ。この方が、あの河原田雨啼うてい先生だ。ああ、真暁しんぎょう先生といったほうが通りがいいかもしれないね」
「いや、そんなわけはない」と言いそうになってしまった。いつ改名したのか知らないが、河原田真暁といえば私が大いに憧れた画家の筆頭といえる存在だ。
 しかし、それは過去の話だ。彼は、一度行ったきりの時局画展で見たあの忌々しい絵、軍服姿で横たわる遺体を描いた「忠魂」の作者でもある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?