無題/戦争画をテーマにした物語(第4部のつもり⑦)

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 梅雨入りの少し前。「ぶらいと」は父の言葉どおりに、神田界隈の女の子の間であっという間に評判になった。
 例えば、学友からその噂を聞かされた女学生が本を求めて神田を訪れたものの、とっくに売り切れで…… といったことが、我が店をはじめ「ぶらいと」を取り扱った店のほとんどで起きていた。また、創刊号を買い逃した層からの問い合わせ、級友から借りて読んだとおぼしき少女からの「次号が楽しみ」という便りなどが、編集部に続々と寄せられた。
 読者の存在、彼女らからの反響はきっと、我々の励ましの何倍もの効果があるだろう。ぶらいと社のふたりは、さっそく次号刊行の準備にとりかかっていた。しばらくは季刊で出していくというが、最終目標である月刊化はきっと近いうちに実現できるはずだ。
 小笠原君も、連載開始に向けて怒涛どとうの勢いで描き進めている。もはや徹夜も辞さず、という日々が続いているようだ。雑誌の名前は「ぼうけんブック」、彼が挿絵を手がける絵物語「水底巨岩城」は新たな目玉になるという。最新号の巻末に、まるまる1ページ使った予告が載っているのを見た時は「さあ、いよいよだ」と、まるで我がことのように気合が入ってしまった。
「水底巨岩城」の連載開始は7月上旬発売号、ぶらいとの次号・夏号とほぼ同時期になりそうだ。ということで、例の激励会はそれぞれが店頭に並んでからにしよう、と私と平澤君は話し合った。主賓しゅひんはもちろん、あの3人だ。玉井先生と島崎先生に平尾君、それから陽子を招き、旧交を温めるのと同時に大いに発破をかけてもらう。
 パーティーなんだから、料理もそれなりのものを…… と欲ばってしまうところだが、ちょっとでも豪勢になりそうな食材を手に入れたら、父が調理する。「ほら、俺の継母ままはは候補とうまくいかなくて、それっきり家のことを全部ひとりでやってきただろう? 料理でも裁縫でもお手のものだ、元々手先が器用なんだよな」
「お父さんの器用さを、大畑は受け継いだんだな。絵だけじゃない、書道だってお前『習ったわけじゃない』って言ってたじゃないか」
「まあ、その程度だけどな」
「いや、『その程度』なんて言うなよ。
 それにしても、お父さんひとりに料理を任せるのは申し訳ないなあ。富枝を連れてこようか?」
「お客としてだったら大歓迎だけど。手伝わせるのは、こっちが申し訳ないよ。
 そうだ、喜久雄君も連れてくればいい。随分大きくなっただろう」
 などと話していたところで、あることに思い当たった。
「そうだ。陽子ちゃんがいるよ」
 青海君の出征前に陽子とふたりで新潟に招かれた時、陽子があの家の女衆とともに台所に立っていたのを思い出した。当地での彼女の姿を見て「神主の女房としての気構えも充分だ」などと思ったものだ、しかしそれは叶わぬこととなってしまったわけだが。
「彼女、よくやっていたよ」
「そうか。たしか、俺が出征した後だったんだよな。
 でも陽子ちゃんに手伝いを期待するなら、富枝だって招かれた以上はテーブルで料理を待ってるわけにはいかないだろ? 当日は3人体制だ、とんでもないご馳走が出てくるぞ」
 
 激励会の詳細が決まったが、いつか平澤君が言ったように小笠原君を芸校組の引率係にするわけにはいかない。彼はとっくに平尾君の人物画教室を卒業して芸校には行っていない、こちらから直接誘うしかない。というところに思い至るのが、ちょっと遅くなってしまった。招待状を出すほどのものでもないのだから、早いうちに芸校に出向いて日時を伝えなければ、と思っていたところに、なんと陽子が店を訪れた。
 その時はたまたま来客もなく、私はただ帳場に座っていた。彼女はそんな私を見るなり、ひどいことを言った。「相かわらず、ぼんやり店番をやってるだけなのね」
「なんだよ、久しぶりに顔を見てその言い草はないだろう!」
 年を食った分だけ口が悪くなっちゃったか、とつけ足してやりたくもなったがなんとか抑えた。「それにしても、こっちに足を運んでくれたのは嬉しいよ。銀座のほうは大変だったっていうじゃないか」
「もう丸焼け、洋品店も廃業よ。でも街が落ち着いてきたのはご存知のとおり。私ね、百貨店で売り子を始めたのよ」
 青海君が戦死してから、5年が経っている。その後いい巡りあわせがあって、とっくに片づいたものと思って話していたが、さにあらず、だった。彼女と会うのは青海君の葬儀以来だったが、戦局が悪化するまでは銀座におり、私が新潟に移るよりも早く親類筋を頼って一家で栃木に疎開していた。終戦の翌年に帰京してすぐに、焼け残った百貨店の衣料品売場で働き始めたのだという。
「銀座は駄目って分かってたし、両親は栃木に住み続けることにしたのよ。でも私はやっぱりこっちのほうがいいなあ、って、ひとりで戻ってきちゃった」
「強いなあ」
「それほどでも」
 話しているうちに、みづいさんを思い出した。モダンガールだった頃の彼女とほんの少し似ている、だから学生時代にはどきどきして直視さえできなかった人と平気で話しているような、変な感覚がある。
「なんだかいろいろ、懐かしいな」
「それはそうだけど。やっといい時代になったんだし、前に進んでいかなきゃいけないんじゃないの?」
「うん。俺は、みんなが前に進む手伝いをしてやってるんだ」
「そう。みんなが前に進む手伝いを、ねえ」
「そうだ、俺達の同級生の小笠原君と芸校で会ったんだろう? 彼から陽子ちゃんの名前を聞いた時はびっくりしちゃったよ」
 彼の話題になると「そうなのよ」などとちょっと微妙な表情になってしまったが、飯村君と武村さんの活躍も知っていた。幼い頃からの顔馴染みだった島崎先生ととっくに再会し、私が芸校に顔を出したことも聞いていた。
「『大畑君は本屋さんを手伝いながら絵を描き続けるはずだ』って島崎先生から聞いたの、いつだったかしら。それが今では昼行燈ひるあんどんだなんて、ねえ」
「昼行燈はひどいな、本屋の店番だって立派な仕事だよ。それに時代が時代だったんだ、仕方ない面もあるんじゃないのか? 今まで店を立て直したり周りの人を助けてやったり、いろいろ忙しくしていたんだ。それはそれで結構楽しいよ」
「そういうところに収まっちゃいそうね。先生いわく、『大畑君は自覚がない』ですって」
「え? なんの自覚?」
「さあね」
「なんだよ。
 それにしても印象が変わったなあ、小姑こじゅうとみたいだ。年を食っちゃったからか」
 さっき言いたかったことをつい口に出してしまったら、彼女は声をあげて笑った。
「おとなしい人だったのに、そんなこと言えるようになっちゃったのね」
「ごめん。いや、昔からこのぐらい言えたよ。昔はほら、君は……」
「彼がいたものね。私達、一緒に新潟に行ったりしたわね。
 ねえ、これから私、ちょくちょくこんな風にお邪魔してもいいかしら」
「もちろんだよ。いつでも来てくれよ」
 戦争が終わって帰京してからいろんな再会があったが、これまでで一番びっくりするような、なぜだかどきっとするような再会だった。彼女の顔を見ればもちろん青海君のことを思い出すし、失礼ながら時間の流れまで確認してしまった、もちろん私自身に対して流れた時間も確認したわけだが。
 
 陽子が店を訪れてから、私は彼女から聞いた「自覚がない」という言葉の意味を、ちょくちょく考えるようになった。
「ぼんやり」だの「昼行燈」だの、彼女は随分と失礼なことも言ってくれた。帰京後の私は、店の立て直しや街の人あるいは旧友の手助けを続けてきたわけだが、その楽しさ忙しさにかまけて絵を描く人としての自分をどこかに置き去りにしてきた。学生時代の私、収めた成績なども知っている陽子からすれば「いったい何をやっているのか」と言いたくもなるだろう。
 これまで自分がやってきたこと、その充実感を理解してもらえないのは悔しい。でもきっと、陽子も島崎先生も、「大畑隆一は『絵を描く人』としての自覚を失っている。それを取り戻してほしい」と思っているのかもしれない。そう結論づけることにした。
 小笠原君に「教え方が下手だ」と言われ、改めて絵の手ほどきを受けるべく芸校に顔を出した私だったが、その後も数回、時間のある時に訪問させてもらっていた。正直なところ昔の話をするほうが楽しみなほどだったが、久しぶりに母校の空気に触れて昔の自分にほんの少し戻った感があった、その自覚ならあった。さらに陽子との再会を経て、ほんとうに久しぶりに、部屋の棚に突っこんでおいた画材一式を引っぱり出してみた。
 時間を作って紙本を広げ、にかわを温める火を眺め、岩絵具を溶く。その一連の作業が楽しく、へんに新鮮だった。
 そこから何枚か描いてみた、こんなに楽しいことをなぜやらずにおいたのだろう。たしかに腕が落ちているかもしれない、でもとにかく楽しい。もっと上手く、昔のように、いや昔以上に描けるようになりたい。
 それでも、描くといっても。今の自分はなんのために描くのか、という疑問がわいてくる。帰京後はさすがに焼け野原に背を向けて紙本を広げたりできなかったし、戦中は逃げに徹した数年間だったとみることもできる、その罪滅ぼしとばかりさんざん人助けをしてやっていた。そんな日々自体が私にはもったいないほどの充実感をもたらしてくれたし、こういう日々が続くならそれはそれで幸せだろう、と思えてもいる。
 しかし、そこから自分を引っぺがしてまで描く必要があるのか、と首をかしげる人がいるかもしれないし、いうまでもなく日本画界存続の是非に関する問題も引っかかる。
 人のために自分の時間を使うだけの毎日に慣れた時、世の中どころか私自身に、日本画は必要ないものになりかけていた。そう気づかされた感もあった。果たしてそれでいいのか、いや駄目だ。と、意外と素直に打ち消すこともできる。
「絵を描く人」としての自分は、どこかに残っている。本当に頭の片隅に残っている程度かもしれず、だからこそ腕が鈍ってしまったのだろうが。絵を描く人であることは今の私にとってどのくらいの意味があるのか、単なる自己満足としてそんなアイデンティティを得たいだけではないのか。
 まあ、描いているうちに分かるかもしれないな。楽しいと思えたのは事実なんだ。
 あまりにも簡単な言葉で片づけようとしている自分に少々呆れたが、今のところはその程度の答えしか出せないようだ。

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