自由な学びの場を子供たちに贈りたい
私はずっと以前から、みんなと一緒に同じ教科書をもとに、同じことを同じ時間に勉強するという現在の学校スタイルに強い違和感を感じてきました。
でも学校教育においては、ずっと以前からそのスタイルでやってきたし、どのように変えたらいいのかという具体案も持っていなかったために、ずっと胸にしまったまま過ごしてきました。
でも最近になって立て続けに学校教育に関する本を読んで、やっぱり私がずっと抱いてきた違和感は決して間違った感覚に基づいたものではなく、むしろ人間が豊かに生きていくためにとても大切な違和感だったのだということに気づくことができました。
その本とはこの3冊です。
これらの本は、本当に偶然、立て続けに読んだのですが、この3冊を続けて読むというのは、全体の世界観を理解するうえでとても役に立つと思うので、みなさんにも是非、「続けてこの3冊を読む」ことをお勧めします。
まず、原点は「学校とはどうあるべきか」という、とても根源的な「問い」を発していることです。
「同じ年齢の子供を、同じ教室に30人から40人ほど入れて、同じ教科書で同じ内容のカリキュラムを、同じ先生から受ける」というのが、長らく日本で行われてきた学校教育の基本スタイル、というよりもこれ以外に選択のしようがない、マストスタイルでした。
この実態に対する根源的な「問い」とは以下のような問いです。
「なぜ、ひとりひとりの理解度や個性、好み、強みを一切無視して、同じことを同じ時間に同じように学ばせるのですか?」
例えばこういうことです。
私の事例で恐縮ですが、私は親の方針で小学校4年生くらいの時から、キリスト教会が運営する英会話教室に通っていました。
英語の学びはとても楽しく、英会話と言うだけあって、比較的スピーキング重視の学びだったように覚えています。
どんどん上達していき、先生にもいつも褒めていただき、6年生の時には関係代名詞を含んだ会話を理解したり、まるで英語の森で愉快に遊ぶ、そんなイメージすら体感していました。
ところが中学に入り、1年生の最初の英語の授業で教わったことは、アルファベットの暗記で、4本の罫線がひかれたノートにひたすらABCを書くというものでした。
その後も、初めて英語に触れた生徒を基準に授業が進み、小6で学んだ関係代名詞が授業で出てきたのは中3の時、結局中学校3年間の英語の授業は、時間枠という意味では私にとって全く意味のない無駄な時間となってしまいました。
出来ればその時間には、好きだった数学の勉強をしたかったし、英語であればもっともっと実践的な英会話を修得する時間にして欲しかったし、少し難しい英語の読書もしてみたかったと、今にしてとても悔やまれる思い出です。
今から50年前でさえ、そんな状況だったのです。
ネット社会になり、何でも好きなこと、興味のあることは幼少時からYouTubeで学ぶことができるわけですから、今の時代はなおさら私のような想いに直面している子供たちは多いのではないのでしょうか?
その間も、キリスト教会での英会話教室は継続していたので学力として停滞するということはなかったのかもしれませんが、13歳から15歳までの、脳の働きがとても柔軟な時に無駄な時間を過ごさざるを得なかったことは事実です。
そして高校に入ると、今度は大嫌いな化学と生物の授業が待っていました。
ゲルやモルで躓き、何を言っているのかさっぱりわからないし、こんなことを学んでどうしようというのかという想いがいつも心を支配していて、高2の時の生物のテストはボイコットしたりしていました。
でも、物理や数学、漢文や倫理社会はとても好きな科目で、自ずといつも高得点をテストではたたき出していて、嫌いな化学や生物などやらなくていいから、もっと漢文を学びたいとも感じていました。
同じような想いの同級生が一人いて、同じクラスのFさんは、どうやら文学以外のことには興味が持てなかったらしく、数学の時間などはいつも教科書の内側に文庫本を隠して、授業中にずっと読んでいて先生にひどく怒られたりもしていました。
小学校時代にあれほど好きだった英語はと言うと、高校に入ると、通常の英語の授業のほかに文法とリーダーというコマがあって、まるで楽しくない、なんだか暗記する義務感だけの時間のように感じ、成績も頭打ちになったような気がします。
ここまで書いてきて思うことは、「なぜ、学校では楽しく学ぶことができないのか」という疑問です。
少し言い換えるならば、「なぜ、学校は楽しく学ばせてくれないのか」という疑問で、さらにもっと言い換えると、「なぜ、学校では楽しく学んではいけないのか」という疑問です。
学びとは、好きなこと、興味を惹かれることを自分の意志でどんどん深めていくことであり、嫌いなことや興味が全くわかないこと、やりたくないことを無理やりやらされるものではないはずです。
今、テレビではある特定の分野に精通している、専門家顔負けの少年少女たちがたくさん登場しています。
テレビ朝日で放送している「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」を見ていると、様々な「その分野の専門家少年少女」が登場しますが、彼ら彼女らは、学校の授業が楽しいのだろうか、彼ら彼女らにも嫌いな科目はきっとあって、それを強要してはいないかなどと、親でもないのに気にしてしまいます。
私の学校時代に、やりたくもないことのために費やしてきた時間は、いったいどれほどあったのでしょう。
人生の最も多感で感受性豊かで頭脳の柔らかい時期に、あれほどの無駄な時間を強要されてしまったことは、63歳の今になっても痛恨の極みです。
だから私は、現代を生きる18歳未満の人たちを、同じ目にあわせてほしくないと切に願っています。
どうか、自由に好きなことを学べるように世の中が変わって欲しい、学校教育のシステムが変わって欲しい、社会に認識が変わって欲しい、いや、私でできることがあれば是非、変える活動に参加したい、そのように考えています。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
この話題は、今後も書き続けていきたいと思います。
みなさまのお考えもお聞きしたく、是非、ご意見賜りたく存じます。