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会社に隷属してはいけない ビッグモーター事件を見て考えたこと

今、世間を騒がせている「ビッグモーター」事件を見て、皆さんはどのようにお感じになりましたか?

「不正義」に対する、欧米諸国と日本の考え方の違いも浮き彫りになったような気がします。

アメリカの企業でこのようなことが行われていたとしたら、従業員は上司の命令に従ったのだろうか?

アメリカで働いたことがない私が憶測を交えて評価するのは不適切ですよね。

1.仕事は自らが幸せになるために

仕事は何のためにあるのか?

人それぞれで価値観に違いはあると思います。

私は、自分の人生を自分らしく生きていけるといいと思っているし、仕事はそのためにとても重要な手段であって、多くの人々に自由に生きていくことをお勧めしています。

私のこうした考え方は実は若い時からのものではなく、2012年に日経BP社主催の2日間の「経営者のための『吉越学校』」に参加し、吉越浩一郎さんから薫陶を受けて私の心に根付いたものです。
(吉越浩一郎氏については著書などを参考にしてください。代表作をご紹介します。 吉越式会議 | 吉越 浩一郎 |本 | 通販 | Amazon )

そのときの吉越氏の教えの真髄は概略以下の通りでした。

「『人生』とは自分でつくるもの、仕事は人生のほんの一部」

「仕事の対極は『遊び』であって、『休み』ではない」

「日本人の伝統的な仕事観は『滅私奉公』、ヨーロッパでは『ゲームとしての仕事』」

「定年引退後のことを日本では『余生』というが、本来は『本生』であるべきだ」

この時の講座では、こういった基本的な価値観に基づいて、吉越氏が実際に社長として行った様々な施策が紹介され、当時、役員になったばかりの私は目からうろこの状態で熱心にメモを取りながら聞いていました。

人生は自分でつくるもの、滅私奉公なんてくそくらえだ。

この教えは、それまで休日返上で働き、特に30歳の時に誕生した次男などは、気が付いたときにはいつのまにか中学生になっていて、家族を犠牲にしていた自分を猛省したことを今でも鮮明に覚えています。

その時いただいたテキストは、今でも私の大事なテキストになっています。

2.会社以外の世界をほとんど知らない人もいる

今では仕事を滅私奉公と捉える人たちはいないはずだと思うでしょうが、でも、以下のようなシニア層の方々を見かけることがわりとよくあり、滅私奉公とまではいかなくても、会社以外の世の中をほとんど知らないという人々はまだまだ多く存在しています。

「会社関係と家族と血縁関係以外に人的ネットワークがない」

「会社の仕事以外にタスクをもったことがない」

「自分の勉強のために社外の講座やセミナー受講などに自己資金を投資したことがない」

こういう方々は意外と多くて、こういう方々に限って真面目に社業に取り組んできた方々だと言えます。

それはその人の生き方なので、まわりからとやかく言う筋合いの話しではありませんが、この状態で定年を迎えてしまうと、そこから先の「自律」は極めて困難になってしまうのではないかと思います。

とくに、人口減少社会においてこれからシニアの仲間入りをする団塊ジュニア世代の人たちが、「非生産人口」に直結してしまうと、日本は危ういと言う危機感を持っています。

少し前に、以前勤めていた会社で社内結婚をした後輩の奥さんに偶然会う機会がありました。

彼女曰く、ご主人が会社関係以外の人との付き合いが全くなく、仕事が終わるとまっすぐ帰宅し、土日も家族と過ごす以外は家でゴロゴロしている、このまま定年を迎えるのが心配だという話しでした。

この奥さんの心配は現実的にとても心配なことで、彼が定年を迎え嘱託再雇用の道を選んだとしても65歳までがその会社での勤務の限界。

その時点で遊んで暮らせるだけの経済的な余力があったとしても、ひろい社会との関わりや考え方は、勤めていた会社を通して学んだ極めて狭く特殊な領域の知識であって、きっとそのままでは一般社会では全く通用せず、結果的に孤立しかねないものだと思います。

3.真面目に勤める人ほど隷属しやすい?

最近読んだ「定年前と定年後の働き方」(石山恒貴著:光文社新書)の中に、次のような面白い事例が紹介されていました。
定年前と定年後の働き方~サードエイジを生きる思考 (光文社新書 1255) | 石山 恒貴 |本 | 通販 | Amazon

「業績不振に陥った大手メーカーのシニア社員が、転職相談に来た。転職相談が目的であるから、当然、どんなことをやりたいか、という質問をされる。しかしそのシニア社員は、仕事とはやるべき義務であり、会社から与えられるものであり、やりたいことと転職相談に関係はないはずだ、と反論した」

転職相談に来ているのに、やりたいことなど不要だ、仕事とは会社から与えられるものだ、とまじめに答えるシニア社員がいるということは驚きですが、こういうタイプの方々は決して例外ではなく、それまでの年月を責任感を持って真面目に仕事をしてきたからこそ、こういう考え方が生まれてきたのでしょう。

会社がどんな仕事を与えようが反論せずに業務遂行することが、給料をもらう唯一の根拠で、真摯に会社の要求に応えてきたのかも知れません。

でも、失礼ながら言葉を変えると、「真面目に勤めた」ではなく、もしかしたら「会社に隷属してきた」ともいえるのではと思います。

繰り返しになりますが、会社人生は人生全体のとても大きな部分ではありますが、見方によってはほんの一部でもあります。

会社生活が終わっても人生は20年以上続く可能性があります。

できるだけ若いうちから、少なくとも50歳になったら、社外に飛び出て社外の人たちとのネットワークに触れるべきです。

そうして社外のネットワークを持つことで、自身の立ち位置を確認できるし、周りを見ることで自ずと自己啓発にもつながっていくでしょう。

ここまでのことを要約すると以下のようになります。

・仕事というのは人が幸せを創造するためにあるのであって、滅私奉公で働いてはいけない

・定年後の為にも早いうちから、仕事と家族以外の幅広いネットワークを持つべきだ

・会社から与えられる仕事を一切反論せずに真面目にこなすことが、実は隷属につながりかねない

4.会社に隷属してはいけない

その上で、今日は最近のお騒がせ事案である「ビッグモーター」のことについて、少し過激で叱られるかもしれない私の意見を書きたいと思います。

叱られるかもしれない、というのは、この会社の社長をはじめ経営陣の極悪非道ぶりばかリが強調され、社員たちは全くの被害者だという論調があるとすれば、私はそれは間違っていると主張したいからです。

まず前提として、私がこの事案について知っているのは「ネットを通じた情報のみ」だということで、媒体の意図的な誘導も当然あるということを含んでおかなければなりません。

私が今回の事案の報道を見て一番深く考えたことは「なぜ、社員は辞めないのだろう?」ということ。

確かに異常な雰囲気の中で、故意に顧客の車に傷をつけて不正に保険金をだまし取ることに加担させられていた社員の方々の胸中は、外部の我々にはわからない様々な想いや葛藤があったことは想像に難くないところです。

誰も好き好んで保険金をだまし取ろうとはしていなかったと思います。

でも、ドライバーで車体に傷をつける瞬間、タイヤに故意にビスをねじ込んでパンクさせる瞬間に「こんなことをして給料をもらうことは間違っている」として悪事に手を染めない判断はできなかったのかと思わざるを得ません。

もちろんそんなことをしたら、即刻クビでしょう。

多分、世間では、この会社の社長と経営陣に対する糾弾が今後一層激しくなるのではないかと思いますが、でも、いかに命令されたからと言って犯罪に加担する自分を許せたのかと、最前線の現場の従業員に対して考えてしまいます。

仕事は自らが幸せになるためにすることであって、すべての人は自由であるはずです。

例えが不適切かも知れませんが、私は今回の事案を見ていて、少し前に話題になった「ルフィ」を名乗る人物が仕切っていた犯罪集団のことを思い出しました。

もともと「楽をして金を得たいと考える輩」と、「まじめな気持ちで入社してきた普通の社員」とを同列に語るのは不適切であることは百も承知しています。

しかしながら、「上からの指示命令で、自らの行為として犯罪に加担し、金(保険金)をだまし取った事実」に変わりはありません。

ましてや、犯罪組織は一度加担したら抜け出ることはできないのでしょうが、ビッグモーターはいつでも自分の意志で退職することはできたはずです。

今、報道では、退職した元従業員が過去に自分が加担した不正の手口を語っていますが、とても複雑な気持ちでテレビを見ています。

会社に隷属してはいけません。

今回の事案は極端な事例だとお考えかも知れませんが、すべての大事は小さな出来事の積み重ねによってなるものです。

聖書にこういう一節があります。

「いかに幸いなことか。
神に逆らう者の計らいに従って歩まず
罪ある者の道にとどまらず
傲慢な者と共に座らず
主の教えを愛し
その教えを昼も夜も口ずさむ人。

その人は流れのほとりに植えられた木。
ときが巡り来れば実を結び
葉もしおれることはない。
その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」
(旧約聖書 詩編 第1編1節から3節)

仕事は人々が幸せを創造するためにある。

これからも主張し続けていきたいと思います。

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